第6話 陸
箱根の宿はかなりの人がいる。街道沿いの
両国に比べれば圧倒的に少ないが、それは仕方の無い事だろう。時雨は、屋台で色々と買い食いをしながら街を歩いていた。それは情報収集を兼ねてのことだった。
昨夜聞いた藤木屋善三郎の息子の事も気になったし、やくざ者達の事、おかしくなった者の事も気になっていた。
「そこの若様、どうです一丁」
突然すり寄ってきた男がさいころと壺を振るまねをする。
時雨は(鉄火場とは案外簡単に見つかるものだ)と思いながら黙って頷いた。
男はこっちですと丁寧な言葉で案内を始める。すこし宿場を離れた所にある寺に案内される。そこは外にいながらも熱気が伝わって来ていた。
時雨は案内されるまま寺の中に上がり込む。
先日藤木屋に来ていた者はいない。同じ所なら力づくで聞き出そうと思っていたのだが、別の所に当たったかと時雨は残念に思う。もっとももうひとつの目的、旅費を貯めるための場所にはうまくたどり着けた。
鉄火場は熱気に包まれていた。
時雨は被っていた笠を取り座る。周りからは好奇の目線が送られた。時雨は化粧をしなくても十二分に美しい。
時雨は小判を
「さぁ、丁方ないか? 丁方?」
時雨が突然入り、半方に一両分の駒札を賭けていた。全額賭けたので全ての者が及び腰になっている。もう一度
「さぁ、丁、半、駒出揃いました。いざ、勝負!!」
その壺は二・三度揺すられ、ゆっくりと引き上げられた。賭場は一気に静まりかえる。
「伍弐の半!」
鉄火場の中におぉという声が拡がった。丁方に賭けた者はがっくりと肩を落としている。何度か丁半勝負を繰り返し、時雨は十五両を持って鉄火場を後にした。後ろから二度と来るなと叫び声がしている。
時雨はその声を無視して大通りに戻ろうとしたが寺の境内を出て人気の無い通路に入ると十数人の男達に囲まれる。
そこには最初に鉄火場へ案内した男もいた。
「よぉ、お武家のお嬢さん。羽振りがよさそうじゃぁないか。懐の物すべて置いていけば命は助かるぜ」
1人の男が胸元に手を入れて近づいてくる。
他に、長どすを持っている者も数人いる。普通の町人や、武士ならばそれで良かったかも知れない。さすがの武士も十数人に囲まれては少し苦しいからだ。
しかし、相手が悪かった。
黙っている時雨に業を煮やした男が匕首を抜き、近づいてくる。そして時雨の頬に匕首の腹を当てた。
その男はそのまま、その場に崩れ落ちる。
「てめぇ、何しやがる。
時雨は溜息をついた。人に刃物を突きつけて何しやがるは無いだろうと呆れたからだ。それと同時に目的の一つが自分からやってきたことが嬉しかった。
そのどすの効いた声、一家の名前にも無反応に、薄らと笑みさえも浮かべている時雨にやくざ者たちは怒り狂った。
長どすを持つ者達が一斉に抜き斬りかかる。時雨は近づいてきた一人に下からの抜き打ちを放つ。太刀と長どすがぶつかり、蒼い火花を散らす。長どすは大きく跳ね上げられ、近くの木に突き刺さった。時雨の太刀は相手の喉元にある。一歩動けば喉を貫く位置にあった。
「おっ、おい、こいつ昨日藤木屋でうちの用心棒を倒した奴じゃないか?」
やくざ者の一人が隣の者に声を掛けた。直ぐに近づいてきていた者達が遠巻きに戻る。
暫くにらみ合いが続く。
時雨の太刀はすでに鞘の中に収められている。切っ先を当てられていたやくざ者は時雨が太刀を収める際に襲いかかろうとしたが、時雨の眼光で動けなかった。時雨の耳に囲まれている外側から数人が走ってくる音が聞こえる。
(おや? 用心棒でも連れてきたかな?)
時雨の思った通り、五人の浪人風の男達が現れる。その中に先日気絶させた男も入っていた。しかし、京史郎と呼ばれた男の姿はない。
「こやつ、昨日の……」
時雨に気絶させられた男が僅かに後ずさる。
「なんだ、大柄な女にやられたと聞いたからどんな
用心棒の男が刀を抜きながら舌なめずりをする。
一人下がった用心棒を除き、全員が刀を抜いた。やくざ者達は邪魔者が入らないように周囲に散って逃がさないように周りを囲む。
「気をつけろ、相当使うぞ」
下がった用心棒が他の者に声を掛ける。しかし女に敗れ、気絶させられた者の言うことを聴く者はいない。
「腕が斬り落とされるくらいは勘弁しなよ。後で気持ちよくしてあの世に送ってやるからな」
一人が素早い動きで時雨との間合いを詰める。時雨は太刀を抜かず、斜めに素早く移動した。浪人の剣線はずれ、時雨は浪人の右側に出る。
浪人が手を押さえ、そのまま通り過ぎる。時雨の手にはその浪人が握っていた刀が握られていた。時雨の
「おのれぃ」
三人の浪人が次々と斬りかかってきた。
時雨は一人を
「そろそろ帰りたいから道を空けて欲しいのだが……。さもないと斬って通ることになるが……」
時雨は刀をだらりと下げ、無造作に歩き出した。
「おい、長どすを持っている奴、全員で突くぞ」
浪人の声に長どすを持ったやくざ者が腰に長どすを当て、身体を沈みこませた。
(発想は良いんだけど、あの使い方では駄目だなぁ)
やくざ者のやり方は
数があるのは良いことだが、それだけだ。
時雨は少し腰を落とし、
構えは下段。
時雨が動く。
それはやくざ者の方ではなく、立っている浪人二人でもなかった。
一瞬で倒れている二人のもとへ移動し、斬り上げ、斬り下げて片足ずつを裂いた。
そのまま、指を押さえている浪人に向かい右足を薙いだ。浪人は崩れ落ちそうになったが、時雨に片腕で引きずりあげられた。そのままやくざ者達に突っ込んで行く。
「どきな!」
時雨は浪人を左手で盾にしてやくざ者との距離を詰めた。
時雨はそのままやくざ者達の手や足を斬りつけて行く。これならば余程のことが無ければ刃も欠けず、耐久力も落ちない。
後は人を斬った数の差が出た。
斬られた者が悲鳴を上げる。所詮は死線を潜った者達ではない。
「さぁて、本当にこれ以上やるなら、死んでもらうよ」
時雨から冷気のような冷たい雰囲気が流れ出す。残った二人の浪人はすでに震えだしていた。切っ先の震えが大きくなってゆく。
「な、なんだよこやつは、化け物か……」
切っ先を向けたまま徐々に下がり出す。通路に散っていたやくざ者達も戻ってきたが、ほとんどの者が斬られて呻いているのを見て動きが止まる。
時雨の身体がゆらりと動いた。先日気絶させた浪人の手首が地に落ちる。地に落ちた手と元あった場所を見比べた後、絶叫があがった。辺りに
それを見た瞬間、やくさ者達の小さな胆力は限界を超えた。全員が全力でその場から走り去る。最後に切っ先を向けている浪人も身を翻そうとした。
「ごめん、めんどくさいから……死・ん・で」
時雨の横薙ぎが浪人の両眼を切り裂いた。絶叫が響き渡る。浪人は滅茶苦茶に刀を振り廻し、明後日の方向を斬りつけている。時雨は後ろに廻り、切っ先を耳の後ろに付けた。
「さ・よ・う・な・ら」
切っ先は耳の後ろから首の中に真っ直ぐに入り込む。堅い物に当たった瞬間、時雨はその刃を半回転させた。浪人は口をぱくぱくとさせ、その場に崩れ落ちる。
その後、倒れて呻いている者達に次々ととどめを刺してゆく。ある者は脇の下を刺され、ある者は金的を抉られ、ある者は顎から刃を突き入れられた。
最後に一人だけ、鉄火場に案内した男だけが生きていた。その男に時雨が近づいて行く。這って逃げようとするその男を時雨は片手で担ぎ上げる。
「さぁて、おにいさん。色々と話してもらおうかねぇ」
時雨はにやりと笑い、男を担いだままその場から立ち去っていった。
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