未来につなげる

「ヨーナ、起きろ!」


 起床時間になると、侍女が外から扉を叩く。数回繰り返してから、中には入らずに立ち去るのが常だ。俺は音が聞こえるなり、飛び起きてヨーナを揺すった。


 普段の俺は寝床から出るのが一番遅い。ヨーナに何度も揺すられて、やっと起き上がる。その俺がヨーナを起こすのだから、ロイダも驚いて起き上がった。


「どうしましたか?」

「アーウィンさま、ヨーナまだ眠い」


 ヨーナがぼんやりした顔で俺を見る。


「姉さんが、俺と結婚するって言った。今度こそ本当に結婚してくれるって」

「え!」


 ヨーナがぱちんを目を開き、ロイダの顔を確認した。俺とヨーナのやりとりを知らなかったロイダは戸惑った顔をしている。


「お姉さま、本当? 本当にアーウィンさまと結婚する?」

「え、えっと」


 みるみるうちに、ロイダの顔が真っ赤に染まった。


「そうだよな、ロイダ。俺と結婚するって言ったな?」

「はい⋯⋯」

「きゃあ、お姉さま! じゃあ、アーウィンさまと離れて町に住んだりしない?」


 飛びつくヨーナを受け止めて、彼女は恥ずかしそうに笑った。


「そうね。町に住むのはやめて、アーウィンさまのお側に居させて頂こうかと思ってる」

「じゃあ、立派な王妃さまを目指すのね!」


(あ!)


 みるみるうちに、ロイダの顔色が白くなる。


「エルウィン殿下が言ってたの。殿下のお母さまが、お姉さまも立派な王妃になれますよって褒めてたって」


 ロイダがすがるような目を俺に向ける。


「あの、やっぱり私⋯⋯。えっと、どうしましょう」

「駄目だよ。君はこの前と昨日と、二回も俺と結婚するって言った。今さら止めるなんて話は聞かないからな」

「えええ?」


 やっぱり。昨日は感情のままに『結婚する』と言ってくれたが、そこまでは考えて無かったらしい。でも、もう俺は引くつもりはない。


「継母が大丈夫だと言うなら、大丈夫だ。安心しろ」

「はあ」

「何だよ。俺の事を愛してるんだろう?」

「え!」


 また、顔を真っ赤にして口を閉じてしまったけれど、俺とヨーナの期待する目に負けたのか、恥ずかしそうにふわりと笑う。


「はい、⋯⋯愛しています」


 俺はロイダとヨーナを、まとめてぎゅっと抱きしめた。


「ひゃあ」

「アーウィンさま、くるしいー」


 俺は最高に幸せだ。



 婚儀の支度は無事に進んでいる。ロイダも諦めたのか、徐々に周りと打ち解け始めた。


 いるべき場所ではないと思っていたからこそ、怯えて萎縮していたけれど、本来の彼女は人との交流が苦手ではない。継母にあるべき姿を示されると真摯に取り組み、周りに対して、ふさわしい振る舞いが出来るようになっている。


 刺繍を通じて、同年代の貴族の令嬢達とも交流し始めたようだ。継母によると、皆を虜にする刺繍の技と思いやり溢れる素直な気質で上手くやっているようだ。


「最初は、王太子妃の座を狙っていた女の子達からの風当たりを心配したの。でも皆、あの子に悪意を持ち続けるのは難しいみたいよ。分かるでしょう?」


 継母は自分の娘のように可愛いと、食事の時もロイダとヨーナの二人の間に入っている。父も、やっとロイダと話が出来るようになったと喜び、ヨーナの話に見た事が無いような優しい笑顔で、目を細めて聞き入っている。


 気になるのはエルウィンだ。ヨーナに対しての親しみは新しく出来た妹を可愛がる気持ちだと思っていたが。


 先日、遊び友達の男の子が、ヨーナに花を摘んでやっているのを見かけた。どこの子だと身元を確認しようとしたら先にエルウィンが動いた。何と『僕のヨーナに気安く贈り物なんてするな』と追い払ってしまった。


(僕のヨーナ?)


 まさか妹以上の気持ちを持っているのでは。ロイダに言っても考え過ぎだと笑っている。自分が同じ年頃には、ガイデルの事が好きだったくせに。


 ホーソンに確認すると苦笑いをしていた。


「まあ、殿下のお許しを得る為に、完璧な男を目指せと伝えておきました」


 少なくとも俺以上の男にならないと、ヨーナはやれない。武術については、俺自ら特訓してやろうと思う。


 武術と言えば、俺が働いていた武術の訓練所の代表がはるばる遊びに来た。


「心配されていたご友人は、騎士になりましたよ」

「騎士か! いいじゃないか。向いていそうだな」


 実直で武術に熱心なガイデルには向いているだろう。代表の息子の配下に入り、生き生きと過ごしているらしい。


「あのドブネズミどもが陰湿に彼を追い詰めるものでね、少々無理を通して騎士にしました。その際に、あなたのお名前をお借りしました」

「私の?」


 代表は人の悪い笑顔を浮かべる。


「ガイデル殿はアーウィン殿下の親しい友人と言う事を、国王陛下に思い出して頂きました。事前に許可を頂かずにお名前を拝借致しまして申し訳ございません」

「構わない。何か便宜を図るかどうかは別だが、ガイデル殿が私の大切な友人ということは間違っていない」

「そうおっしゃって頂けると思いました」

「先日もあなたの国の大臣が、和平の仲介で泣きついて来ていたな。今なら『親しい友人』は効果のある肩書だろう」


 俺の名前で彼の道が開けたのなら、こんなに嬉しい事はない。ロイダにも伝えてやったら喜ぶだろう。


「しかし、私としてはいささか想定外の事もございまして、複雑な思いです」


 代表の孫娘が、しきりにガイデルに興味を持って接近しているらしい。聞けば女騎士とのこと。彼には一緒に戦える女性が似合っているだろう。代表には申し訳ないが良い縁に思える。


 これもロイダに伝えてやろう。きっと喜んでくれるはずだ。


「殿下、仕立て屋夫婦が参りましたよ」

「待っていた!」


 俺の服はほとんど仕立て屋夫婦に頼んでいる。周りの人間も頼みたがるが、夫婦はそれを固辞する。


「いやあ、もう貴族の仕事はこりごりです。殿下は別ですけどね」


 店は順調だと言うが、俺に対して不満をぶつける。


「ロイダと殿下はお似合いだとは思っていましたけどね、ロイダの刺繍を独り占めするのは、ひどいじゃないですか」


 俺は仕立ててもらった服に、ロイダに刺繍を施してもらっている。独り占めと言われても仕方ない状況ではある。


「そう怒るな。いま、ロイダは弟子を増やしているんだ。そのうち、彼女に近い刺繍が出来る人間も育つだろう」


 ロイダは貴族の子女だけでなく、侍女や侍女が連れて来た刺繍を習いたい女性にも教えている。


「ロイダのような刺繍が出来る人が増えたら⋯⋯想像すると素敵な事ですね」


 仕立て屋の夫人は夢見るように視線を宙に向ける。


「おじ様、おば様!」


 ロイダが嬉しそうに入って来た。彼女が着るワンピースには、今日も華やかな刺繍が施されている。今にもふわりと香り立ちそうな花々。


 彼女は俺にも視線を向けて、ふわりと柔らかく微笑む。


「新しい図案、思いついたんですよ」

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