陽だまりの花園に安らう
告げられた最終期限と絶望の淵
(ご、よん、さん、に、いち――)
素振りを終え、汗を軽く拭う。絶え間なく吹き出す全てを拭う事は諦め、また剣を握り直した。
どれだけ剣を振っても足りない。もっと体を動かさなくてはと焦燥感が募る。既に日が暮れているが、誰か相手をしてくれる人を探しに行かせようと素振りを止めると、横から父の侍従が遠慮がちに声を掛けて来た。
「殿下、国王陛下がお呼びです。身なりを整えてお越し下さい」
「分かった」
短く返答し、すぐに支度をする素振りを見せたが、内心では面倒で仕方がなかった。
(身なりを整えろ、か)
また、新しいお妃候補にでも引き合わせるつもりだろう。重たい気持ちを抱えて侍従に湯あみの支度をさせた。
◇
意外にも支度を終えた俺が通されたのは父の私室だった。応接室で来客に引き合わされると思っていたのに肩透かしを食らったような気分になった。
(身なりを整える必要なんて無かったじゃないか)
しかし、父とはいえ王に謁見するのだ。訓練のままの汗と埃にまみれた姿とはいかないのだから、手間は変わらなかっただろう。気を持ち直して父に向かった。
「お待たせいたしました、父上」
「ずいぶん時間がかかったな。また剣の訓練か」
呆れたように言われたが、体を動かすことが好きなのは父譲りだ。父は馬上での槍の扱いに長けている。父と手合わせをしたとして、地上ではどの武器であれ全て勝つ自信があるが、未だに馬上では自信がない。
「最近は幅広の長剣の扱いを訓練しています」
「ずいぶんな力が必要だろう。どのような訓練をしている」
しばらく訓練についての雑談を交わし、出された苦い茶を飲んだ後、父は居住まいを正した。俺も倣って姿勢を正す。
「アーウィン、あと一年だ。もうそれ以上は待つ事が出来ない」
何の事とは問わない。父も口には出さない。
「それでも駄目なら、どうされますか」
思った以上に固い声が出てしまう。何も気にしていないような態度を取りたいのに、これでは緊張している事が簡単に見透かされてしまう。
「お前の、王位継承権を剥奪する」
父は厳しい顔ではっきりと言った。覚悟はしていたが言葉にされると思った以上に重みを感じる。
「承知致しました」
俺には母が違う弟がいる。継母は優しい女性で、俺の事も弟と分け隔てなく息子として愛情を込めて、時には厳しく接してくれる。俺と弟の関係も良好だ。
(あいつが王位を継ぐのも、悪くないかもしれないな)
俺は無能ではないと自負している。周りの手は借りているが少しずつ政治にも関わり始め面白さも分かってきた。俺が発案して力を尽くした施策は、いくらか民の生活の質を向上させたと思う。王として力を試したい気持ちは大きい。
ただし、俺は正式に王位継承者となる為の儀式を受ける事が出来ない。
思わずため息をついてしまう俺に、王としてではなく父親として温かい視線を向けてくれる。
「克服が難しい事は承知している。私に出来る助けがあるなら、遠慮なく言うんだ。分かったな」
「はい、ありがとうございます」
王位継承者になる為には地下神殿で儀式を受ける必要があるが、俺にはどうしてもそれが出来ない。
儀式と言っても、地下の洞窟を進んだ奥にある神殿に行くだけの事だ。行けば神官が何やらしてくれて、すぐに儀式は終了すると聞いている。洞窟内には明かりもあるし道も整備されている。獣が出るわけでもなく道に迷うほどの複雑さもない。
それでも、どうしても俺にはそれが出来ない。幼い頃に岩山の深い窪みに落ちて一晩を過ごして以来、暗い所や狭い所に耐える事が出来ない。薄明かりがあるとはいえ洞窟などもってのほかだ。
二年前に成人して儀式を行った時、どんなに勇気を奮い起こしても洞窟に入る事が出来なかった。理由を言わずに頑なに入らないと言い張った俺を見て、人払いをした父は俺の致命的な問題を知った。父はこれを俺が国王になるための試練と判断し、俺が自分で解決すると信じてくれている。
(あと一年以内に、どうにかしろという事か)
周りの人間はこの事を知らない。俺に高邁な理想でもあり、思う所があって儀式を受けないのではと噂されている。そんな高尚な理由では無いのに。
しかし、俺が王位継承者にならないなら、周りは弟を擁立するだろう。継母に野心がなく、幼い弟も今は素直に俺を慕ってくれている。しかし、この状態が続けば後継者争いが発生するかもしれない。
国王になるのなら、このくらいの問題を解決出来なくてどうする。他に深刻な理由があるならともかく『暗い場所が怖い』こんな理由で儀式を放棄するような自分を、俺は心から恥じている。
俺は重い足を引きずるように自室に向かった。後ろから侍従頭がそっと声を掛けてくる。
「ゴレオール大臣とご息女が、夕食に同席されるそうです」
(身なりを整えろと言われた理由はこれか)
「今日は、夕食は取らない」
踵を返して王宮の外へ出て港が見える丘に足を向けた。煌々と明かりを灯して、忙しく荷下ろしをする船員たちを眺める。広い海に出て世界各地を巡り、荷物と異国の空気を運ぶ。月と星に照らされて夜空も明るく、大きな世界を感じるだろう。
(全てを捨てて、違う世界で暮らしてみようか)
暗闇が苦手な俺は眠る事も苦手だ。仕事の後に出来る限り体を動かし、その疲れで何とか眠りに就いている。しかし、そこまでしても眠りは浅い。夜中に何度も目が覚め、暗闇に怯えて無理に眠ろうと努力する毎日。熟睡は王位に就く以上に俺が求めている事かもしれない。
俺は船の上で暮らす自分を夢想した。それはたまらなく甘い夢だった。力一杯働き、酒を飲んで月明かりの元で夢も見ずに深く眠る。多くの民が得られている、そんな幸せすら俺には手が届かない。
荷を下ろし終えたのだろう船員達が、笑い合い騒ぎながら町に向かう姿が見える。悪戯心を起こした俺は、丘を下りて船を目指した。
「少しだけ、夢想を続けさせてもらおう」
沈んだ気分を上向けるつもりで、俺は船に近寄った。荷物を全て下ろして金目の物がほとんど無いのだろう。数人の見張りがいるだけだ。しかもその見張り達は酒盛りを始めている。
俺はこっそりと船に忍び込み、船員になった気分で甲板から海を眺めた。
「俺は海の男だ。海賊など一太刀で追い払ってくれよう」
身なりを整えよと言われた俺は飾りとして長剣を腰に下げていた。それをすらりと抜き、海賊を追い払う自分を想像し、ひゅんひゅんと風を斬る。思った以上に気分がいい。
「まあ、実際は刀で争う前に、大砲での争いになるか?」
子供じみているとは思いながらも、次は帆柱をするすると登る自分を想像する。
「出来るんじゃないか、俺」
楽しくなって実際に登ってみることにした。少し登ると海風に煽られて、案外難しい事が分かる。意地になって夢中で登る。
「ほら、見てみろ。熟練の船乗りのようじゃないか?」
町を見渡せるくらいまで登った時、ひと際強く風が吹き、大きく船が揺れた。船の揺れまで想定していなかった俺は焦って足を踏み外し手も滑らせた。
最後に目に入ったのは、ゆっくりと回転する、薄闇に包まれ始めた町の明かりだった。
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