完璧な彼が抱えていたもの

 アーウィン様の言葉をもう一度、頭の中で繰り返す。ガイデルと、たまに会えるだけで幸せだったか。


 夜中に台所の窓からガイデルの家の方角を眺めて流した涙。他愛もない会話が出来た毎日が、どれほどの幸せだったのか深く思い知った日々。――私は幸せじゃなかった。


(同じだ。町で暮らす私は、きっとあの時と同じ想いを抱えて涙を流すんだ)


 私は被っていたタオルで涙を拭いてタオルを外した。


「おっしゃる通りです。私は成長していませんね」


 真っ直ぐにアーウィン様を見る。アーウィン様は、何も言わなかったけれど私がガイデルと会えなくて苦しんでいた事に気が付いていたのだろう。きっと、きっと――今の私が抱えている想いも、とっくに見透かしてしまっていたのだろう。


「私はアーウィン様に頼る事を覚えて、そばにいて頂ける安心感に慣れてしまいました。一時的な事だとずっと自分に言い聞かせて来たのに、それを手放すのが怖くなってしまって、こんなに長く優しさに甘え続けてしまいました」


 アーウィン様も私を真っ直ぐに見つめてくれる。真剣に聞いてくれている。私がちゃんと独り立ち出来るように、アーウィン様と離れても泣いて暮らさなくて済むように、心に区切りを付ける手伝いをしてくれている。


「家族のようだ、私達も役に立っていると言って頂いたのが嬉しかったんです。ガイデルにも、私達がアーウィン様の支えになれているのではないかと言われて、それを甘える言い訳にしてしまいました」


 あまりに恥ずかしくて、またタオルを被りたくなる。でも、最後までちゃんと話さなければならない。勇気を振り絞って、さっき吹き散らした想いを集めて向き合う。


 私はアーウィン様を愛している。こんなに早く、ガイデルへの想いに区切りを付けられたのは、最後にガイデルと話したあの日に、心に育っていたこの想いに気が付いたからだ。


「アーウィン様が試練を乗り越えて立派に進まれる姿を見ているうちに、自分の甘えが恥ずかしくなりました。でも一方的な想いを認める事が怖くて、その想いを捨てられなくて、結局ガイデルの時と同じように抱え続けようとしてしまいました」


 失恋を忘れるには次の恋。友人達が言っていた事は正しかった。


「私は約束通り、仕立て屋のご夫婦の近所で暮らします。そこで今度こそ、私が好きになってもいい人を見つけます」


 ちゃんと言えた。きっとこの国にだって私を受け入れてくれる男性がいるはず。少しだけ気持ちが軽くなった。きっとこれで区切りを付けられる。


 アーウィン様も安心してくれると思ったのに、さっきよりももっと厳しい顔つきになった。


「⋯⋯町に行っても、頭の悪い糸問屋か、行儀の悪い魚屋か、運動が出来ない男しかいないよ、きっと」


 苛立ちを抑えるような強い口調。叱られる時の調子だ。まだ駄目だろうか、私の男性の選び方が間違っているのだろうか。


「前にも言いましたけど、ご自分と比べてはいけません。糸問屋の息子さんは釣銭を間違えますけど、珍しい糸を手間を掛けて取り寄せてくれたり、ヨーナにお菓子をくれる優しい人でしたよ?」

「糸の取り寄せは仕事だろう。俺だって、ヨーナに果物や菓子を買ってやった」

「そうですけど。⋯⋯あなた程の人なんて、どこにもいません」

「だったら、なぜ君は俺を見てくれない」

「え?」


 アーウィン様が私の両肩を掴む。猛烈な熱を放つ、炎を宿した瞳を私に据える。


「俺は完璧じゃない。何度も君達の助けが必要だと言った! 求婚して承諾の返事までもらってるのに、どうしてこんなに気持ちが伝わらないのか、これ以上どうしたらいいのか本当に分からなかった」

「え、どういう――」

「――でも分かった。俺が完璧じゃない自分を見せていないからだ。俺には支えが必要だと君に理解してもらえていないからだ」


 緊張したような顔で、私の髪の毛を何度か梳いて両頬を包んだ。『俺のみっともない話を聞いてくれるか?』問われて、私は頷く。


「俺は暗闇が怖いんだ。まだ子供の頃に、周りの目を盗んで岩山まで一人で行って深い穴に落ちた。しっかり挟まったから身動きが取れなくて、叫んでも誰も来なくて、そのまま夜を迎えた。月も無い暗くて寒い夜だ。恐ろしそうな獣の鳴き声も聞こえたんだ」


 命が懸かった危機だ。どれほど怖かっただろう。


「凍えそうに寒いのに、身動きして体を温める事も出来ない。叫びすぎて既に喉が痛かったし、これ以上騒ぐと獣に狙われそうな事も恐ろしかった。永遠にも思える時を過ごした。そのまま朝を迎えて、昼頃には見つけてもらえて救出された」


 私は息をつく。私の頬を包むアーウィン様の手が少し震えている。私はその手に自分の手を重ねた。


「幸いな事に体は擦り傷程度で済んだ。でも強烈な恐怖が俺の心に残って、暗闇や狭い所で俺に襲い掛かって来る。あれ以来、夜も眠れなくなった。どれだけ明かりをつけても、夜だと思うだけで、あの恐怖が呼び起こされる」


 子供の頃からずっと眠れなかったのだろうか。私の疑問が分かったのか、優しく笑う。


「毎日、体を限界まで疲れさせて気絶するように眠りに入った。でもすぐに目が覚めて眠りは浅い。君達の家に泊めてもらった晩に、朝まで深く眠って心も体も軽く起きた時の驚きと爽快感は忘れない。どんなに望んでも手に入らなかったものが、あの日、手に入った」


 毎晩ぐっすり眠っているように見えた。当然だと思っていたけれど、それはアーウィン様がずっと求めていた事だった。


「王位継承の儀式から逃げていた原因も暗闇だ。練習で洞窟について来てもらっただろう? 君とヨーナが一緒なら、なぜか暗闇も怖くないんだ。だから直前まで迷惑を掛けた。悪かったな」

「本当に、お役に立っていたのですね」

「何度も言っただろう? 何で信用しないんだよ」


 思い返せば、何度も私達が必要だ、役に立っていると言ってもらった。


「すみません。私達にそんな役に立つ力があるとは思えなくて」

「子供の頃に、気心の知れた世話係に寝室に居てもらったり、一緒に横になってもらった事もある。それでも駄目だったんだ。俺にも、なぜ君じゃないと駄目なのか分からない」

「子供の力ですか? ヨーナの愛らしさ?」

「確かにヨーナは愛らしい。でも、ヨーナがいない晩も、俺は眠れたよ」


 ヨーナがいない日。侯爵家に連れて行かれそうになって助けてもらった日。アーウィン様に子守歌を歌ってもらった。


「そういえば、そうですね。他の人にも試してもらったらどうでしょう。エルウィン殿下とか」

「嫌だよ、そんな必要ない。君が俺と一緒に居てくれればいいじゃないか」

「でも⋯⋯」

「俺は君を愛している」

「え!」


 今、愛していると言っただろうか。駄目、意味を取り違えてはいけない。この話の流れだからきっと家族のようにと言う事だ。鼓動が早くなってしまう。


「君の話には、大きな間違いがあった」

「えっと、何でしょうか」


 今日はたくさん話をして、たくさん間違いをした。どの間違いの事なのかもう分からない。


「俺への一方的な想いを認めるのが怖い、捨てられないと言った。そうだな?」

「⋯⋯はい」

「一方的って何だよ。俺はその想いを知らない。一度も伝えられていない。違うか?」


 自分の中でも絶対に言葉にしなかった想い。もちろん伝えてなどいない。またタオルが欲しくなり、頬を包まれている手を外そうとした。でも、逆にもっと強く押さえられる。アーウィン様の手から熱が伝わって来る。


「それは、一方的な想いじゃなく、俺から君に伝えている愛と同じではないのか?」

「――分かりません」


 アーウィン様の愛、私の想い。アーウィン様が少し苛立ったような顔をする。


「こういう愛だ。嫌なら押しのけろ、遠慮はいらない」


 アーウィン様は私の頬を包んだまま、膝立ちになった。自然と仰向く姿勢になった私に、ゆっくりと顔を寄せる。赤い瞳が強く輝き、私の視線は吸い込まれる。時が止まったように感じる。


 唇が重なり、アーウィン様の赤い髪がさらさらと流れる。顔に血が集まり熱くなる。私は炎に包まれたような錯覚を覚える。頬を包む手と、唇から伝わる熱。心臓が壊れるかと思うほど強く打つ。


 少しして唇が離れ、代わりに額を付けられた。ヨーナとおでこをくっつけるように、でもふわふわしたあの気持ちとは違う。もっと胸が高鳴って熱い気持ち。


「嫌じゃないんだな? 俺と同じ愛だと思っていいな?」

「⋯⋯恐らく、同じ愛だと思います」

「恐らくって何だよ」


 少し掠れた熱い声で言うと、アーウィン様はまた私に口づけた。さっきよりも深く、私の気持ちを確かめるように。


(アーウィン様を愛してる。私にはアーウィン様が必要で、彼も私を必要としてくれている)


 私はアーウィン様の背中に手を伸ばして、ぎゅっとしがみついた。彼は唇を離すと、私をきつく抱きしめた。


「ロイダ、やり直しだ」

「はい?」

「君を愛している。⋯⋯結婚してくれ」


 儀式の後に言って頂いた言葉だ。あの時の私は混乱のまま心を伴わずに答えた。この国に移住する条件の続きだと思っていた。


 今は心から言える。


「私も⋯⋯アーウィン様を愛しています。結婚したいです」

「ありがとう、ありがとう。⋯⋯大切にする」

「私も全力で、あなたの眠りを守ります」

「何だ、それ」


 アーウィン様が笑う。


「え? 変ですか?」

「嬉しいけど、何か変だよ」


 つられて私も笑う。抱き合ったまま、たくさん笑った。


 アーウィン様の香りが私を包む。ここが私が一番安心できる場所。そして、私も彼が一番安心出来る場所になれますように。想いを込めて抱きしめる腕に力を込めた。


◇◇◇


 ここまで読んで頂いてありがとうございます。

 ロイダ編はここでお終いで、閑話を挟んでアーウィン編に進みます。

 同じストーリーを、アーウィン様目線で追っていきます。


 どうやってロイダの国にやってきたのか、彼はどんな気持ちで暮らしていたのか。ガイデルとの間にあったあれこれや、刺繍の事件をどうやって収めたのか。ロイダの知らない出来事が、アーウィン編で語られます。


 アーウィン編は、ロイダ編よりも少し未来まで進んだ所で終わります。

 ガイデルのその後についての番外編を最後の締めとして完結する予定です。


 後半もお付き合い頂けましたら幸いです。

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