まるで石のように

「ありがとう」


 アーウィン様が立ち上がろうとする。顔を見てしまうと、自分の気持ちを伝えられなくなりそうだ。私は思い切って声をかけた。


「あの」

「何?」


 アーウィン様が振り返ろうとする。思わずタオルを再び頭に被せてしまった。


「え?」

「あの、あの、前を向いていて頂けますか?」

「何だよ、どうしたんだ?」


 戸惑いの声を上げながらも、アーウィン様は前を向いてくれた。


「少しだけ、話を聞いて頂けますか?」

「うん」

「王宮で私に何かお仕事を頂けませんか?」

「え?」


(え?)


 自分の口からこぼれ出た言葉に驚く。町で暮らすつもりだということ。明日、仕立て屋夫婦の所へ行って具体的な事を相談してみること。予定とは全く違う事を言ってしまった。


 でも私の口は続ける。何度も想像してしまった事、言うつもりの無かった願いを。


「一番得意な事は刺繍ですけど、布の扱いには慣れているので洗濯とか、繕い物のような作業とか、何か出来る事は無いでしょうか。今までの蓄えもありますから、給金は少しで構いません。王宮の隅にでも置いて頂けないでしょうか」


 言ってしまった。反応が怖くて手が震える。私はアーウィン様の頭にタオルを被せたまま、震える手を胸の前で固く握った。


 アーウィン様は何も言わない。呆れてしまうのも当然だ。どうしてこんな事を言ってしまったのだろう。ちゃんとした話をするはずだったのに。恥ずかしくて逃げ出したくなる。


「申し訳ありません、やっぱり忘れて下さい。ごめんなさい、縁故を頼ってお仕事を頂こうだなんて、はしたない事をして。こんな事お願いするつもりじゃ無かったのに、言う事を間違えちゃいました。ごめんなさい」


 私はアーウィン様の頭からタオルを取ると、急いで浴室に置きに行こうと足を踏み出し、動揺のせいで絨毯に足を取られて無様に転んでしまう。


「ふきゃっ!」

「大丈夫か?」


 アーウィン様が立ち上がる気配がする。嫌だ、全部やり直したい。来ないで欲しい。顔を見られたくない。思い切り転びすぎてわき腹が痛くて立てない。私は何とか四つん這いの状態になると、タオルを頭から被って床に丸まった。涙が出てきた。


(もう、何もかも嫌だ。このまま石になってしまいたい)


 アーウィン様がため息をついたのが分かった。


(私は石。私は石。何も感じないし全て忘れたの。恥ずかしくない、何でも無い)


 タオルからアーウィン様の香りがする。髪を拭いていて感じる、石鹸とは違うアーウィン様だけの香り。ヨーナにはヨーナの香りがあるように、この香りは彼だけのもの。


 タオルの香りで気を紛らわせているうちに、少しずつ脇腹の痛みが引いて来た。もう立ち上がれそうだ。でも、すぐそこにアーウィン様がいる。


「申し訳ありませんが、向こうに行って頂けませんか? もう髪は乾いています。あちらのテーブルに、お茶を用意してありますから。どうぞあちらへ」


 アーウィン様は何も言わない。すぐそこにいる気配を感じたと思ったけど、気のせいかもしれない。呆れて向こうの部屋に行ってしまったのだろう。


(どうしよう、失敗しちゃった)


 もう一度言う勇気を奮い起こせるだろうか。その前に、あんな不躾なお願いをしてしまった事をどう取り繕えばいいだろうか。


(明日、置き手紙をして仕立て屋のご夫婦の所に逃げたら怒るかな)


 私は、ふうと息をつくとタオルを被ったまま、体を起こした。まだわき腹が少し痛い。


 タオルで涙を拭いて立ち上がろうとすると、ズキンとわき腹が痛んだ。


「痛たた⋯⋯」


 わき腹を押さえて床に腰を下ろすと『大丈夫か?』と顔を覗き込まれた。


「きゃあっ!」


 心臓が口から飛び出しそうになる。


「まだいたのですか!」

「いたよ! ずっといたよ。何だよ、さっきから」


 恥ずかしさで涙がまた出てくる。私はタオルで顔を隠した。


「今日、部屋に戻られてからの事を全て忘れて頂けませんか? えっと『ただいま』の所まで全部忘れて下さい」

「嫌だ」

「駄目ですか? 絶対駄目ですか?」

「忘れないよ」

「そうしたら、鳥の話が終わった所からでもいいです」

「嫌だよ」

「⋯⋯分かりました、申し訳ありませんでした」


 こうなったらもう寝台まで走って、毛布を頭まで被って眠ろう。朝になったら、眠くて起きられないって言ってアーウィン様が出掛けるまで、毛布の中に隠れていよう。


 タオルを被ったまま立ち上がる。


「ひゃっ!」


 アーウィン様が私の腕を引っ張り、転びそうになってまた絨毯の上に腰を下ろした。アーウィン様が隣に座った。抵抗空しくタオルを取り上げられてしまい、アーウィン様は私の顔を覗き込む。『泣くなよ』と言ってタオルで乱暴に顔を拭かれる。ちょっと痛い。


「転んでどこか痛めたのか?」

「いえ、わき腹を少し打ちましたけど、もう大丈夫です」

「本当に?」


 痛みよりもこの場から逃れたい気持ちの方が強い。今度こそ立ち上がって逃げようとしたけれど、また腕を引かれて腰を下ろす事になる。見上げるとアーウィン様は怒ったような厳しい顔をしていた。やはり、あんな不躾なお願いをしてしまったからだろう。


「行くな」

「もう、眠いから寝ます。お休みなさい」


 逃げたいのに腕を離してくれない。


「どうして、王宮の仕事が欲しいんだ」

「忘れて下さい」

「嫌だ。どうして、王宮の仕事が欲しいんだ?」

「タオルを貸して頂けませんか?」

「え? これ?」


 ため息をついて、手渡された。私はそれを被る。


「たまに、君よりもヨーナの方がお姉さんだと思う時があるな」

「私もそう思います」

「それで?」


 深呼吸をした。ガイデルの時に学んだはずだ。言えないまま心に抱えた事は消えずに残ってしまう。吐き出さないと前に進めない。


「約束通り、町でヨーナと二人で暮らそうと思っていました。でも、両親と祖母がいなくなった時の事を思い出して、家族がまた一人いなくなってしまうような気がして寂しくなりました」


 両親や祖母を失い、もう会えないと知った時の悲しみ。あんな思いはしたくない。


「でも王宮にいたらアーウィン様の顔が見れると思いました。元気だという事が分かるなら、それで幸せです」

「全く成長していないじゃないか」

「え?」

「ガイデル殿の時と全く同じことを言ってる。たまに会えたら幸せだと言っていたけど、どうだった? 幸せだったか?」


 それまでよりも会う機会が減って、話すことが出来なくなって苦しかった。ガイデルの申し出を受けなかった事を後悔した。勇気を出して気持ちを伝えなかった事を後悔した。


(私はまた同じことをしている?)

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