儀式の練習

 翌日から、私達はサジイル王国の礼儀や言葉、歴史、文化を習った。エダさんと一緒に町を見学に行く事もあった。仕立て屋夫婦のお店にもお邪魔して、二人の新しいお店の計画も聞かせてもらった。


 エルウィン殿下も頻繁に遊びにいらっしゃる。身分が高い人に対しての礼儀が徹底出来ないヨーナが新鮮なのか、二人できゃっきゃ笑いながらはしゃいでいる。ヨーナの態度に青くなる私に、殿下は『気にしないで欲しい』とおっしゃって下さる。エダさんも大丈夫だと言うので、そっと見守っている。


 エルウィン殿下のお母様である王妃様にも近しくお声を掛けて頂いた。王妃様はアーウィン様のお母様が無くなった後に、後添えとして入られたそうだ。


「私も平民の出身なの。若い頃に国王陛下と出会って身分の違いから一度は身を引いたのだけど、先の王妃様がお亡くなりになった後に、陛下にどうしてもとおっしゃって頂いて」


 とても平民出身とは思えない気品と風格に驚いていると、悪戯めいた微笑みを向けられた。


「私がここに来た時よりも、今のあなたの方が余程貴族のご令嬢らしく見える。私なりに平民から王妃になった先例を上手く作れたつもりよ。安心してアーウィン王子と結婚しなさい」


 自国から逃げる為の口実で結婚相手と称してもらっているとは言えない。私は小さくなって曖昧にほほ笑む事しか出来なかった。


 アーウィン様の王位継承の儀式の日が近づくにつれ、私にも分かるほど王宮内が騒がしくなって来た。アーウィン様も、緊張した顔を見せるようになってきた。


 儀式の前日の夜は、いつもよりも眠りが浅いのか何度も寝返りを打っていた。心配していたところ、起きるなり改まった調子で私とヨーナに向かった。


「頼みがある」


 私達は寝巻のまま畏まった。


「練習をしたいんだ。いざとなると色々な思いが頭を巡って、また躊躇してしまうかもしれない。君達とピクニックにでも行く気分で試して、その気持ちのまま儀式を迎えたい」


 ピクニック。儀式という重さに比べて違和感があるけれど、アーウィン様が望むなら私達に異論はない。


「承知しました」

「ピクニックね。それならヨーナも出来る」


アーウィン様によると、少し離れた岩山の地下に神殿があり、そこで儀式を受けるそうだ。夜に執り行われるので、昼間のうちに近い所にある洞窟に行って予行演習をしたいと言う。当日にそんな事をしていて良いものかとは思うけれど、アーウィン様良いと言うならいいのだろう。


 練習の事は秘密にしたいと、数人だけで洞窟に行った。


「ぽわーん、はわーん、よくひびくう~」


 洞窟内に響く声をヨーナが面白がって、おかしな声を出す。港の近くの海辺にはこういう洞窟が多くあった。潮が引いた後に、洞窟内に入って珍しい貝を採る事もあった。ぼんやりしている私は窪みにはまって水浸しになり、ガイデルに背負ってもらいながら、しくしく泣いていた事を思い出す。周りの子達も、美しいハンカチが汚れる事も気にせずに拭いてくれた。懐かしい。


(ガイデル、元気かな)


 二度と会えない事は分かっている。お互いに新しい道を進むと約束したし、思い出しても前ほどは辛くない。大丈夫、ちゃんと傷はふさがりつつある。


「あー、あー、あー」


 私も声の反射を楽しむ。アーウィン様は、手に持った明かりをしきりに辺りにかざし、反対の手で私の手をしっかりと握っている。私はもう片方の手で繋いだヨーナと手を軽く揺すって誘ってみた。


「ねえヨーナ、歌いましょうよ」


 私とヨーナは、学校のピクニックの時に皆で歌った曲を選んだ。


「ほら、アーウィンさまも歌って。忘れちゃった?」


 ヨーナの催促に、アーウィン様も困った顔をしながら合わせて歌ってくれる。


「アーウィンさま、歌が下手ねえ」

「やめて、ヨーナ!」


 遠慮ない感想に慌てて止めたけど、アーウィン様は不満そうな顔をした。


「何で否定しないんだよ。君も俺の歌が下手だと思ってるんだな」

「そんな事はありませんよ?」


 声が上ずってしまった。アーウィン様が悔しがってもう一度歌おうと言う。歌ってまたヨーナに下手だと言われて、三人で暮らしていた頃のように大笑いした。


 洞窟から出ると、アーウィン様は晴れやかな笑顔を見せた。


「ありがとう。俺はきっと大丈夫だ」



 後は儀式からお戻りになるのを待つだけだろうと思って、部屋で寛いでいると、慌ただしい足音と共に乱暴に扉が開かれた。驚いたエダさんが応対に出たけれど、ひどく戸惑っている様子だ。


(何かあったのかな)


 儀式で何かがあったのだろうか。嫌な想像が頭を巡る。


「ロイダ様、ヨーナ様、急ですがこの者と儀式の場に行って頂けませんか?」

「??」


 呼びに来た従者らしき人の緊迫した様子から、説明を求めている場合では無さそうだと判断して素直に従った。建物の外に出ると、馬車に乗る暇は無いと屈強な兵士に馬に抱え上げられてしまう。


「ひえ~、お姉さまあ!」


 後ろからヨーナの悲鳴が聞こえる。


 私もヨーナも馬車や農作業をする馬は見た事があるけれど、乗馬をした事が無い。想像していたよりも高い位置に抱え上げられ、馬車よりも数段速い速度で駆けられて、恐怖のあまり石のように固まるしかなかった。


 丘を駆け上がり岩肌が多い所を走る。髪が風に踊る。こんな不安定な道を馬が全速力で駆けて大丈夫なのかと思うと、気が遠くなりそうだった。必死で兵士にしがみついた。ヨーナが心配になるけれど、様子を見るどころか身動きが出来ない。


 目を開いていても怖いし、閉じていても怖い。にじむ涙が恐怖によるものか、風のせいなのか分からない。


 しばらくすると馬の歩みが緩やかになり止まった。すぐに兵士に抱えられたまま、岩山を下り少し開けた所に出たところで地面に下ろされた。


 目が回りそうで足に力が入らず、地面にへたり込んだ。すぐ隣にヨーナも下ろされ、同じように地面にへたり込んでいる。


「お連れ致しましたっ!」


 兵士の鋭い声に、広場にいた人達から声が上がる。暗くてよく分からないけれど、大勢の人がいるようだ。


 誰かが駆け寄って来る。頭がくらくらして良く見えない。


「急に悪かった」


 アーウィン様の声だ。


「何だ? ひどい姿だな」

「え?」


 言われて隣のヨーナを見ると、涙でくしゃくしゃの顔をして髪の毛もひどく乱れている。恐らく私も涙こそ流れていないものの、似たような姿だと思われる。


「だって、馬なんて初めて乗りましたし、兵士は大きくて何だか恐ろしいですし!」


 震える声で抗議すると、アーウィン様は大きな声で笑った。ひどい。


「ごめん、ごめん。あー、何だか気が抜けた。悪いんだけど、昼間の歌をもう一度歌って欲しいんだ」

「あの歌を?」


 状況が良く分からないけれど、大切な場に無理やり私達を連れてきてまで聞きたいのだから、よほどの事だ。


「ヨーナ、出来る?」


 涙でいっぱいの目をしばたたかせていたヨーナも、アーウィン様が歌を聞きたい事だけは分かったらしい。しっかりと頷いた。


「せーの、」


 私達は声を合わせてピクニックの歌を歌った。途中からアーウィン様も小声で歌った。終わると、アーウィン様はヨーナと私の髪の毛の乱れを直してくれた。そして私達の頭を両手で撫でる。


「じゃあ、行ってくる」

「「行ってらっしゃい」」


 二人で声を合わせると、嬉しそうに微笑んで皆の方に戻って行った。

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