心残り
扉の外からリベスさんが声を掛けると『声を掛けるなと言っただろう』というガイデルらしくない苛立った声が聞こえた。
「ロイダ嬢がお見えです」
この言葉には、ガタンという大きな音と『痛たっ』という声に続き、扉が細く開いた。すかさずリベスさんが扉を大きく開き、私を中に押し込んだ。
私はガイデルに体当たりする形となってしまい、ガイデルは『うわっ』と言って数歩後ろに下がって、よろける私を支えてくれた。すぐ後ろで扉が閉まる音がする。
「私はここに控えております」
扉の外からリベスさんが静かに言った。私は頭を思い切りガイデルのどこかにぶつけた。彼が二の腕を押さえているから、恐らくそこに頭突きしてしまったのだろう。
「ごめんなさい、痛くなかった?」
「いや、大丈夫」
戸惑った顔をしているガイデルを見て、私は思わず吹き出す。彼はひどい姿だった。頭は寝ぐせだらけで髭も生えている。くしゃくしゃの服は恐らく寝間着だろう。
「ごめんなさい、こんな時間に押しかけて」
「笑うなよ」
笑いをこらえたけど手遅れだったようで、ガイデルは不貞腐れた顔をして寝ぐせを撫でつけようとした。
「ガイデル、やつれてる。食事はしてるの?」
「それなりに食べてる。動かないから腹が減らないだけで、周りが心配するほどじゃない」
「良かった」
態度も口調も、リベスさんが言うほど心配する状態じゃなさそうに見える。私は安心したけど、ガイデルはすごく嫌そうな顔をしている。
「リベスも、君を呼ぶなら言っておいてくれればいいものを。あ、入浴はしてるから臭くないからな!」
「そんなこと気にしないわよ」
「だってヨーナが、アーウィン殿と初めて会った時の臭さを何度も語るだろう? あんな風に言われたくないと思ってた」
懐かしい。その話が出る度に、アーウィン様は『今は臭くないだろう』と不満そうな顔をしたものだ。
「あの人、家出した王子だったな」
「仕立て屋のご夫婦は、戦争で国を追われた王族だと思ってたんですって」
「正解に近いな。俺は、政争で追い落とされた貴族の息子かと思ってた。君は炎の精霊だっけ?」
「ううん。最近は離婚して奥さんと子供に去られた人だと思ってた」
ガイデルが吹き出す。
「何だそれ!」
「⋯⋯みんな、色々想像していたのね」
ガイデルは私がいつまで居られるのかを聞いた。朝になるまでに帰ると伝えると、少しだけ待っていて欲しいと言う。
「この姿が最後ってのはさすがにな。確か、侍女が着替えを置いていっていたはずだから⋯⋯ちょっと待ってて」
「うん、待ってる」
最後。恐らく私たちが会って話せるのはこれが最後。涙が出そうになるのを我慢して部屋の中を見渡した。明かりは無いけれど、覆いが降ろされていない窓から月明かりが差し込んでいる。
この部屋も随分広く感じるけど、ガイデルが姿を消した奥の方にも、まだ部屋がありそうだ。以前、貴族のお屋敷では各自の部屋に浴室やお手洗いまで備えてあると聞いた事がある。
(私の家がまるごと入ってしまうんじゃないかしら)
待つように言われた長椅子の前にはテーブルがあり、何冊か本が積み上がっている。戦術の本、歴史の本、政治の本。
「交渉術? 書類整理の方法?」
書類整理の本を開くと、線が引いてある箇所がある。前に王宮での仕事は大変だと言っていた。書類を扱う仕事も多いのだろう。
「すまない、待たせた」
姿を現したガイデルは、私が見慣れた恰好になったけど、少しだけ寝ぐせが残っている。顎をなでて、ぶつぶつ呟いている。
「自分で髭を剃るのは苦手なんだ。でも、今そんな事に時間を使うのも惜しいし」
「そういえば、アーウィン様も髭を剃るのが苦手みたい。さすがに私がお手伝いするのは難しいから、理髪店に行って剃り方を教えてもらったって言ってた」
「自分でやった事なかったんだろうな」
口調も何もかも以前と変わりない。あんな事件も、ガイデルに起こったひどい出来事も、何も無かったように。
しばらく他愛もない話をした。最後だと考えたくない。でも、触れないわけにはいかない。ちゃんと話をしてお別れを言う。
「謹慎の理由が、侯爵家と諍いがあったからだと聞いたの。迷惑を掛けてごめんなさい」
ガイデルは不愉快そうな顔をして扉の方を見る。
「リベスが余計な事を言ったんだな。あいつ⋯⋯」
「いえ、リベスさんは詳しい事は何も言わなかった。でも、侯爵家と諍いを起こしたなら、きっと私の刺繍の事件が関係あると思っただけ。⋯⋯でも正解って事でしょう?」
ガイデルは何も言わずに、大きくため息をついた。
「本当にごめんなさい」
ただでさえ、刺繍を紹介したガイデルのお母様の立場も微妙だっただろう。あれだけご恩を受けた領主様にもご迷惑を掛けてしまった。
「どうお詫びを言っていいのか分からない。今まであんなに皆さまに良くして頂いたのに、ひどい迷惑を掛けてしまって――」
「そうだ、君のせいだ。君が全部悪い」
言葉はきついのに、眼差しは柔らかい。
「俺の想いを受け入れて一緒になっていれば良かったんだ」
「⋯⋯そうだね、ごめんなさい」
「冗談だ」
「え?」
ガイデルは目をふせて軽く笑った。
「もしも、俺の妾という立場で刺繍に目を付けられていたら、もっとひどい事になっていた。俺の家は侯爵家には逆らえない。でも、俺は君を渡したりしない。⋯⋯今頃、家族全員、命を失っていたかもしれないな」
命を。ガイデルの調子からは私を怖がらせようとしたり、冗談を言っているようには思えない。言葉を失う私をちらりと見て、またため息をついた。
「そういう世界だ。君を助けられるのは、あの人しかいなかった。君が俺の申し出を受けずに、あの人と共に暮らしていたのは正解だったんだ」
向けてくれた笑顔は幼い頃からずっと変わらない。大好きだった。私は一呼吸する。
「朝になったらサジイル王国に発つの。もう、この国には戻れないと思う。私はサジイル王国の国民にしてもらえるんですって」
ガイデルは膝の上で組んだ手を固く握りしめた。
「アーウィン殿と仕立て屋夫婦が一緒なら安心だな」
「うん。でも⋯⋯あなたはいない。もう会えない」
我慢出来なくて涙が溢れてくる。
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