第30話 一之瀬星華、再来

「晴人よ、我に見合うカクテルを選んでみせよ」


「何の遊びだ、それ」


「筆頭眷属なのだからそれくらいするのだ!」


「はいはい」


 面倒な姫様だこと。

 えっと……メニューを見ても全然わからんな。


 マティーニ、ギムレット、ロブ・ロイに青い珊瑚礁……何だこれ、昭和のアイドルか? 南の風に乗って走りそうな名前だな。

 そんな鬼才だらけのカクテル群の中で、頭ひとつ抜けた名前のカクテルがあった。


「じゃあえっと……スクリュー・ドライバーください。あとソフトドリンクのオレンジジュースを」


「かしこまりました」


「ほう! スクリュー・ドライバーとな!?」


「あぁ、必殺技みたいでかっこいいだろ」


「うむ! いいではないか!」


 刹那は目を輝かせた。

 スクリュー・ドライバーで興奮するとは。感情が小学三年生の男子みたいだな。


「てか、俺が何を注文するのかわからなかったのか? その体質でさ」


「わからぬ。意識すればこの体質は表に出るが、意識しなければあまり出て来ないのだ」


「……意識しなくていいのかよ」


「晴人が相手だ。そんなもの必要ないだろう?」


 カウンターテーブルに肘をつき、手を曲げてセクシーにこちらを覗き込んできた。

 こんな時だけお姉さんぶりやがって。ずるいやつだ。


 バーのマスターさんは強そうな酒をグラスに入れ、その後に俺のためのものかと思ったオレンジジュースを注いだ。そして果物のオレンジをカットし、オシャレにグラスに挿して1つの芸術品にしてみせた。


「すげぇ」


「お待たせいたしました、こちらスクリュー・ドライバーでございます」


「感謝する!」


「あとこちらオレンジジュースです」


「あ、どうも」


 俺の方はこだわりも何も無さそうだ。まぁわざわざバーに来てソフトドリンク飲む奴に本気出すほど暇ではないわな。

 オレンジジュースの味はよく言えば懐かしい、悪く言えば普通のオレンジジュースだった。バーは20歳になってから来よう。そう誓った。


「なぁ晴人ぉ、お主は白銀の魔女に惚れておるのかぁ?」


「な、なんだよいきなり」


「どうなのだー!」


「あぁうるさいうるさい、バーでは静かにしろ!」


 マスターからの視線が痛い!

 ……ん? よく見たら刹那顔真っ赤じゃないか。

 スクリュー・ドライバーは半分くらい飲んだみたいだが、まさか半分で酔っ払ったのか!?


 俺は頭をフラフラとさせる刹那の肩を揺らし、意識をはっきりさせようと努めた。


「おい刹那、お前酒苦手なのか?」


「そんなことないぞぉ? いつも飲んだらすぐに記憶がなくなるだけだ!」


「クソ雑魚じゃねぇか」


 よくそんなんでバーに行こうと思ったな!

 でもこの大人な雰囲気、たぶん中二心をくすぐるんだろうな。くそ、酒弱なのを知っていたら止めたのに!


 刹那は俺の揺らす手を振り払い、顔をぐいっと近づけてきた。


「どうなのだ! 白銀の魔女に惚れておるのだろう?」


「どうせその様子だと今日も記憶が飛びそうだな。あぁそうだよ、俺はアイツが好きだ。惚れている」


「やっぱりぃ! あぁもう我どうしよう……マスター同じのもう一杯」


「まだ飲むのか」


 ヤケになったように残り半分をぐいっと飲んだ刹那はおかわりを要求した。

 マスターはカクテルを作る素振りを見せながら、アルコールを抜いたソフトドリンクを刹那に提供した。できる男だ。


「晴人ぉ! お主は我の筆頭眷属なの! 我以外にうつつを抜かすな!」


 ただのオレンジジュースを飲んで酔いを加速させているらしい。バーという雰囲気そのものに酔っているのだろう。


「酔いすぎだ。らしくないぞ」


 いつも色恋のいの字もない性格なのに。急に恋バナみたいなことしやがって。


 それともアレか? 俺がエルサに恋していることに嫉妬しているのか?

 そんな可愛いこと言う20歳がいたら、バカな思春期男子は即落ちしちゃうと思うけどな。


「むーー」


 オレンジジュースをカクテルだと思い込んでいる刹那はグラスから飲み干した瞬間に深い眠りに入ってしまった。

 おいおい、酒飲むお前が寝ちゃったら誰がこのバーで歓迎されるんだよ。


 はぁ、もう帰るか。こいつおんぶして帰るの、面倒だな。

 そう思った瞬間、俺の隣の席に赤いドレスを着た女性が腰掛けた。


「えっ」


「お兄さん、一緒に一杯いかが?」


「……光栄だね」


 バーで逆ナンパ。

 こんな展開、現実世界であるんだな。


 ただ、俺はこんな展開に喜んではいられなかった。

 赤いドレスを纏った麗人は、カールのかかった金髪を肩までで整えてある。

 優しい印象を与えられるが、俺にはもうこの麗人に対して警戒感しかなかった。


「マスター、スパークリングワインはいただけるかしら」


「かしこまりました」


「お前、未成年だろ」


「あら、あたしはドイツ国籍。ドイツでは16から飲酒が認められているのよ」


「ここは日本だ」


「ドイツを見習いなさい」


 論破王みたいな屁理屈言いやがって。


「なんで俺の前に現れた……一之瀬星華!」


「ふふ、せっかちな男は嫌われるわよ」


 一之瀬星華は、もう初対面の頃の彼女ではなくなっていた。

 今ではもう、カルマーの殺し屋としての彼女としか会話できないようだ。


「答えろ。どうして俺たちがここにいるとわかった」


「逆よ。アタシの住むホテルに、アンタたちが来たの。運命だと思ったわ」


 ハッと、俺はここへ送迎された時のことを思い出した。

 客の中には2ヶ月連泊している客がいると聞いた。それが一之瀬星華だったのか。


 なんて運の悪い……と考えるべきではないのかもしれない。

 逆に言えば、まだカルマー本部に俺たちの生存は知られていないのだ。ここで一之瀬星華をどうにかすれば、俺たちの情報は渡らずに済む。


「こちらスパークリングワインでございます」


「ありがとうマスター」


 彼女の髪と同じような黄金色のワインに色っぽく口をつけた一之瀬星華は、舐め回すような視線をこちらに向けた。

 俺もまた、男の本能からか一之瀬星華を舐め回すように見てしまう。赤いドレスは、エルサ以上に大きな胸をはっきりと強調していた。


「視線がいやらしいんだけど」


「服装がいやらしいんだが?」


「ふふ、変態ね」


「男の中にはその言葉に快感を覚える奴もいると覚えておけ」


 さてどうする、下手に動けば刹那が危ない。

 ドレスにはフリルが多くついており、どこに隠し武器があるか分かったもんじゃない。この状況で動けない刹那を抱えたまま戦闘に突入するのだけは避けたいな。


 一之瀬星華はもう一度スパークリングワインに口をつけ、こちらを見つめてきた。


「ねぇ晴人、アタシの協力者にならない?」


「あんまりふざけていると……」


「ふざけてなんかいないわよ」


 俺の言葉を遮って、一之瀬星華は挑発的な表情から真面目な表情になった。


「そんな提案、お前が衝動的にするとは思えない。裏に何がある?」


「このホテルに爆弾を仕掛けた……」


「なっ!?」


「なーんて言ったら、アンタはどうする?」


 一之瀬星華はカウンターテーブルに肘をつき、挑発的な態度に戻った。


 これは最悪のケースだ。なぜなら爆弾がブラフだったとしても、それを確認する能力が俺にはないからだ。

 もし本当だったとしたら? ……99%は嘘だろうが、残ったその1%の可能性がどうしても脳から離れない。


「協力者は何をすればいい?」


「えー、すぐその気になるんだぁ。もしかして正義のヒーロー気取り?」


 一之瀬星華は俺の肩に手を回し、首筋を撫でるように指を動かした。

 こんなハニートラップに引っかかってたまるか。それよりも今は、こいつの目的を知ることが優先だ。


「さっさと話せ」


「はいはい、せっかちだなぁ」


 一之瀬星華は「残念」などと声を漏らしながら俺から離れた。


「目的は……エルサ先輩を殺すことだよ。アンタはその協力」


「やっぱりか」


 ある程度、予想はできていた。

 ただまだ分かっていないことがある。それを確認しなければならない。


「お前は日本に何をしに来た? 俺を殺しに来たのか?」


「うん。エルサ先輩が帰ってこなかったから、組織は彼女が失敗したと考えた。だから次の刺客として、アタシが選ばれたわけ」


「だがお前はあくまでエルサを狙うんだな」


「当然でしょ? 組織を裏切った人間を始末すれば、それだけで評価がうなぎ上り。アンタはまぁ、ついでに暇な時に殺してあげる。協力者になるならちょっとくらいいい思いをさせてあげてから殺してあげてもいいわよ」


「そりゃ魅力的なことで」


 いいぞ、やはり一之瀬星華はそこまで頭がいいわけではない。自分の快楽的な話を引き出せば、情報をペラペラと話してくれる。

 そしてやはりだが、俺の体質はバレてはいないようだ。


「アンタにも聞きたいことがある。なんでエルサ先輩は裏切ったの? アタシには到底、あの人が裏切るような真似をするとは思えない」


「さぁ? なんでだろうな」


「当ててあげる。アンタの体質は洗脳体質。だからエルサ先輩を洗脳させて、自分の手駒にしたんだわ」


「さぁ? どうだろうな」


「関係ないけどね。形はどうであれ、裏切ったことへの罰を与えればアタシの評価は上がる」


 刹那を殺しに来たロン毛男もそうだったが、コイツらは向上心に溢れている。出世、評価、地位向上。そういったものに貪欲だ。それだけカルマーが縦社会なのだろう。


 もちろん一之瀬星華に協力なんてしたくない。だがこのホテルにいる者たちすべてを人質に取られた可能性がある今、感情論で動くわけにはいかない。


「それで、具体的に俺は何をすればいい」


「簡単なことよ。明日の正午、このホテルの10階にある大バルコニーにエルサ先輩を呼んで欲しいの」


「正午である理由は?」


「お昼ご飯をバルコニーで食べる人は滅多にいないからよ。巻き添えは少ない方がいい」


「爆弾を仕掛けたクレイジーな女の発言とは思えないな」


「ふふ、巻き添えは少ない方がいい。でもアンタの出方次第では、このホテルにいる全員が人質ってわけ」


 一之瀬星華は酔っ払ったように俺の方にもたれかかってきた。

 そして首元を指で触り、何かを取り付けた。


「盗聴器か」


「えぇ、エルサ先輩にアタシのことを伝えるようなことがあったらすぐにドカン!」


「筆談のリスクはいいのか?」


「あら、カメラ機能を切り忘れていたかしら」


 こいつ……。

 前言撤回だ、ちゃんと頭が回りやがる。


「ちっ、面倒なものを」


「あはっ、これでアンタはアタシの犬ね。ワンって言いなさいよ」


「調子に乗るな」


「つまらない男」


「というかお前はエルサに勝てる算段でもあるのか? 俺の協力はただ呼び出すだけだろ?」


「えぇ。アンタはエルサ先輩と呑気に話でもしていればいいわ」


「俺も同席していいのかよ」


「言ったでしょ? ついでにアンタも殺すって」


 言われたな。殺せされればの話だけど。

 余計なことは考えなくていい。とりあえずエルサを殺す算段が何なのか、それをハッキリさせないといけない。


「言っちゃ悪いが、お前はエルサより弱そうだ。サシどころか2対1で勝てると思っているのか?」


 俺が一之瀬星華とエルサを比べるような発言をした瞬間、美しい彼女の顔に曇がかかった。


「ムカつく……エルサ先輩も、エルサ先輩を持ち上げる組織も、アンタも、全部ムカつく!」


 一之瀬星華はグラスを割りそうなほどに強く握りしめている。激しい怒りだ。

 いいぞ、感情的になれば情報を引き出しやすい。


「どうやって勝つつもりだ」


「ベレッタ・ナノしか持っていなかったあの時のアタシと今のアタシを一緒にしないでよね。武器が揃えば、アタシはエルサ先輩をも超える!」


 よほど自信のある武器を持ってきているということか。

 その自信を見せた後、一之瀬星華は立ち上がった。


「期待しているわよ、晴人。エルサ先輩が目の前で殺された時、アンタはどんな顔をするのかしらね」


「そう簡単に好きなようにさせるかよ」


「ふふ」


 薄く笑って、一之瀬星華は去っていった。

 さて、参ったな。まさかこんな展開になるとは。


 しかも一之瀬星華がこのホテルにいたのはまったくの偶然だというのだから恐ろしい。

 どうする……エルサが負けるところなんて想像できないが、一之瀬星華のあの自信は怖い。根拠なく殺せると言っているわけじゃないだろう。


「……くそ」


 解決策は何一つ浮かばなかった。

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