第2話ノワール
アレックスは、私の幼なじみだ。
幼い頃の私はは膨大な魔力に身体がついていけなくて、病弱でひ弱だった。そんな私になにくれとなく、世話を焼いてくれた彼は私の太陽だった。
一生アレックスについていこう。貴族としての家の序列からもそれは当然の事だった。
ただ、私の背が彼の頭ひとつぶん超えるくらい成長する頃には私はアレックスにほの暗い欲望を抱くようになっていた。
アレックスはいつしか成長が止まり、声変わりすることも髭が生えることもなかった。
その無垢な姿に場違いな欲望を抱いた自分が赦せなく、アレックスの側から離れていこうと決意したその夜、アレックスが突如バルコニーに現れた。
月明かりに照らされたアレックスはその淡いはちみつのような髪色が月に溶けていきそうな程儚くて、思わず駆け寄った。
間近で見たその姿に息を飲む。
ボタンが胸元まで外され、カフスもひとつ取れていて一目で何かあったとわかる姿に息を飲む。
「アレックス、どうしました?何があったんですか?」
泣きそうなアレックスに羽織っていたガウンをかけた。
はらはらとアレックスのから大粒の涙がこぼれた。
「ノワール、俺。」
涙で声にならない。
いつも明るく元気なアレックスのただならぬ様子に怒りが押さえられなくなってくる。
男か?女か?私のアレックスをこんなに泣かせているのは…。
傷ついて泣いているアレックスの前で平静でいたいのに自分の顔がどんどん険しくなっていく。
涙が止まるどころか、どんどんひどくなるアレックスが、えぐえぐと泣きながら「き、きらいにならないで、」とか細く呟いた。
殺す。
私のアレックスをこんなに泣かせたやつ、殺す。
殺意が急速に膨れ上がる。魔力が揺らめいて陽炎のように身体に纏わりつく。
ともすれば暴走しそうな魔力を押さえつけて、アレックスがここにきた魔力の経路を辿る。
アレックスは彼の部屋のバルコニーから逃げてきていた。
アレックスの部屋に一人分の人間の気配がした。
サクッとひとおもいに始末したい。
しかし、この国の筆頭貴族リヴィエラ公爵家の一人息子であるアレックスの部屋に忍び込めた手腕を鑑みるとその背後に何かあると考えた方が良いだろう。
とかげの尻尾切りでは終わらせてはならない。一網打尽にしなければ今後も同様の事が起きる可能性がある。
とりあえず拘束した。
いっこうに泣き止まないアレックスをふわりと抱き抱える。
男らしくないアレックスの柔らかい抱き心地にうっとりしそうになる自分を必死で押さえてなんとかソファーに腰かける。
優しく撫でたい衝動を押さえて、わざと子供にするように背中をとんとんする。
涙が治まるまでと自分に言い訳しながらアレックスを抱き締めた。
あいらしい人、愛しくて残酷な我が親友。
このままこの時が止まればいいのに…。
ずっと私の腕の中にいてくれればいいのに。
自分に許された時間の短さに嘆息する。
涙が止まるまで…。
淡い時間は終わりを告げた。
泣き止んだアレックスを抱き上げベッドに横たえた。
「アレックス、何があろうと私があなたを嫌うことはありませんよ。何も話さなくても良いです。今夜はゆっくり休んでください。」
親友として精一杯の私の手をアレックスが離れないでというように掴んだ。頼りなげな表情に私の理性が吹っ飛びそうだ。ぐらつく理性を必死で抑える。
「ノワール、俺の話、荒唐無稽すぎて信じて貰えないと思うけど、俺の話を聞いてくれないか?」
ひとしきり話終えて安心したのかアレックスは私のベッドですやすや眠っている。
アレックスの話は確かに荒唐無稽だった。
何故なら王族に連なる高貴なリヴィエラ公爵家の一人息子をメイドに手を出したくらいで断罪するなんてあり得ないことだ。
また仮にアレックスが嫌がるメイドに無理矢理迫ったとして、公爵家が丁重に保護しその生涯に渡り手厚く庇護するだろう。
万が一にもアレックスに流れる高貴な血が外に漏れる事のないよう万全の体制を取るだろう。アレックスはそこらの貴族とは違うのだ。
ただ、私がアレックスを監禁凌辱するくだりについては…。
馬鹿な王子や重臣の息子達がいる状況で機会があるなら、心が動くかもしれない。それにそんな輩がいる国なら私が監禁した方がアレックスの身は守られるだろうし。
ただ、アレックスの父リヴィエラ公爵の目の黒いうちは誰一人としてアレックスに手を出せないだろう。
いや、だから10年後なのかもしれない。
10年後リヴィエラ公爵が亡くなるなどの不測の事態が起こると仮定すれば、現在学園に通っていないアレックスの足元は脆いものとなるだろう。
この国の貴族の子女は学園の卒業が必須だ。
たとえ高貴な血をひくアレックスといえども、いやだからこそ、その摂理を無視すれば将来手痛いしっぺ返しが、待っているというのに…。
アレックスが女性であること、その衝撃がアレックスの荒唐無稽な話に現実味を持たせた。そして、学園に入学しなかった理由も…。
他国出身のアレックスの母はアレックスの性別を偽った。それは、13歳になれば、全寮制で王族といえども一人部屋厳禁の学園の入学があることを知らなかった、もしくは学園の卒業がアレックスの将来にどれだけ影響を及ぼすかわからなかった愚行だ。
性別を偽るのは、普通であれば大罪だが、アレックスの家は筆頭公爵家。
現在判明したとしても、強大な権力を握るアレックスの父ならばうやむやにするのは造作もないことだろう。
それどころか王族に適齢期の女性がいない今、アレックスが女性だとわかれば、政略結婚の駒にかえって都合がいい。
今きちんと認めて女性として入学すれば、いや入学しなくても他国へ嫁ぐなら取り返しがきくのだ。
だが…。
それは、アレックスとの永久の訣別を意味した。
他国へ嫁ぐであろうアレックスと、膨大な魔力故に国外に出ることを許されないだろう自分。
その姿を見ることすら難しくなるならば…。将来、監禁した時点でアレックスの性別が判明したならば、私はきっと冤罪を晴らすことなく、いや、冤罪に嵌めてでも、アレックスが私以外に嫁げないように純潔を奪うだろう。
思考がドロドロと歪んでゆく。
アレックスを思うなら、今全てを白日のもとに晒すべきなのはわかっている。わかっているのに、あなたを破滅に追いやる選択に加担してしまう私を赦して。
「アレックス、あなたの話は荒唐無稽なんかじゃないかも知れませんよ。」
眠る愛しい人の髪に口付けた。
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