第四章
鍛錬と酒と嫉妬と
力を込めて、剣を振るう。斬撃は光となって放たれ、大木の枝を切り落とした。
≪よし、狙い通りだな≫
いろはは剣から人の姿へと変え、ふむ、と腕を組んだ。千早自身も日々の成果をひしひしと感じていた。
右手を開き、手のひらを見る。これまでなかったタコのようなものがぽつぽつとできていた。いろはの力が回復してからは、早朝だけではなく学校から帰宅してからも鍛錬をするようにしているからだろう。今も学校から帰宅してすぐ鍛錬に入っている。鍛錬の場所は祠があった山だ。
これまでのような疲れも然程なく、力のコントロールは日に日に上達しているように思える。今日は何十本もの枝を切り落としたが、まだまだ放つことができそうだ。自身の成長を噛み締めるように、千早は右手を握り締める。
「いろはさんの力はどうですか?」
「元通り以上だ。千早のお陰だな」
口角を上げて笑ういろはに、千早は顔を赤く染めて視線を逸らした。
睡眠、食事の他に、千早からのキス。千早のお陰というのは、そのキスの部分を指している。キスをしていたのは回復のためなのだが、いろはは「千早からキスをしてくれる」ということが相当嬉しかったようだ。
以前から「気持ちがいいから」という理由でキスをしてくるようになったが、今は千早からのキスをねだってきた。千早がしなければ、我慢ができないいろはに名を呼ばれ、振り向きざまにキスされることも。
嬉しいような、少し複雑なような。だが、いろはが嬉しそうにしているのならいいかと千早も許しているところがあった。
「そろそろ、向かってもいい頃合いかもしれんな」
「伊吹山、ですか」
そうだ、といろはは頷いた。あれから、伊吹は何も仕掛けてこない。来てくださいと言っていたとおり、こちらが来るのを待っているのだろう。
それはそれでありがたいが、敵地に乗り込むというのは勇気と覚悟がいる。いよいよそのときが来たのかと、千早に緊張が走った。
「準備しないといけないですね」
「そうだな。何がいるだろうか」
「……お酒、とか」
スサノオが八岐大蛇と対峙したときに酒で酔わせたと聞いたことがある。同じ手が通用するとは思わないが、その話を思い出し、酒に弱いのではないかと思ったのだ。
「それは良い案だ。酒のにおいにつられ、樽に頭を突っ込んで飲んでいた。あれは酒が好きなのだろう」
好きだからこそ、弱みにもなる。使い道を考えれば、酒は千早達の強力な味方だ。いろはも賛成し、どのように使うかを考えることになった。
そのとき、千早の後ろから「なあ」と誰かが話しかけてきた。その声に二人はそちらに視線を向ける。
「狐の手はいらん?」
猫の手ちゃうで、とひらひらと右手を振り、遠慮しがちな笑みを浮かべながら玉藻がやってきた。
「ごめん、おばあちゃんがご飯できたって言うから呼びに来ただけで、話を聞くつもりはなかったんやけどな」
決して盗み聞こうとしていたわけではないと、玉藻は千早の横で立ち止まる。振っていた右手を腰に添え、左手を軽く胸元に当てた。
「酒使って撹乱させるくらいなら、ボクでもできるんちゃうかなあって思ってさ」
「なるほど、お酒のにおいで撹乱させるんですね」
うんうんと首を縦に振る玉藻に、千早はそれは名案だといろはを見る。が、彼は何故かムッとしたような表情をしていた。
「……別に、私と千早で何とかできる」
消え入りそうな小さな声で呟くと、いろはは顔を横に向けてしまった。まるで幼い子どもが拗ねているようなその仕草に、玉藻は「別に二人の邪魔するわけちゃうやん」とケタケタと笑っている。
どういうことかわからないが、玉藻にはいろはが今どのような感情を抱いているのかわかるらしい。一頻り笑ったあと、玉藻はニヤニヤとしながら千早の耳元に顔を近づけてきた。
「いろはは千早チャンとどおおおしても二人がええんやて。ボクがいると邪魔なんよ」
玉藻が再び声を出して笑うと、いろはは「うるさい」と少し頬を赤く染めていた。どうやら玉藻の言っていることは正解のようだ。
いろはが千早と二人で何とかしたいと思ってくれているのは嬉しいが、今は玉藻の手も借りたいところ。少し考え、千早はいろはの名を呼んだ。いろはは口を尖らせながら、横目でちらりとこちらを見る。
「玉藻さんがお酒で撹乱してくれたら、わたしといろはさんは戦いやすくなると思いますよ?」
「それは……そうだが」
「ボクさあ、二人にはもちろんやけど、おじいちゃん、おばあちゃん……それに、伊織には感謝してるねん。敵やったのに、よくしてくれてさ。やから、何かさせてよ」
む、と黙ったあと、いろはは小さな声で「わかった」と渋々返事をした。千早と玉藻は顔を合わせ、ハイタッチをする。その様子を見ていたいろはだが、またしても顔を横に向けてしまった。
「においで酔いそうなくらいの酒ないか、いろんな店あたってみるわ」
「ありがとうございます! わたしはまだ二十歳ではないのでお酒を買えなくて」
「任せといて!」
ひとまず、夕食を食べに行こうと三人で山を下りる。おばあちゃんの準備を手伝うから、と玉藻は先に行ってしまった。その理由は嘘ではないだろうが、いろはと千早を二人きりにさせてあげようという彼なりの気遣いだろう。
玉藻の背中を見送りながら、千早は口を開いた。
「……伊吹山へ向かうのは、玉藻さんがお酒を手に入れてくれてからですね」
「そうなるな」
櫛名村で手に入る酒など限られているだろうが、ふさわしい酒が見つかることを祈るばかりだ。
ふと、左手がいろはに握られる。どうしたのかと横を振り向くと、唇に軽く触れる程度のキスが降ってきた。瞬時に千早は頬を赤く染めるが、鼻先がこつんと当たる距離でいろははふて腐れた表情をしている。
「……千早は、玉藻と仲が良いな」
「え?」
「さっきも、互いの両手を合わせて喜んでいた」
確かに、いろはから了承を得ることができて玉藻とハイタッチをした。喜びを分かち合っただけで、それ以上の意味はない。
もしかして、玉藻に嫉妬しているのだろうか。そうであれば、顔を横に向けたのも納得がいく。
「私の千早なのに」
眉尻を下げ、目を伏せるいろはにぎゅっと心を鷲掴みにされる。頭を撫で回したい衝動に駆られるが、そこは堪えた。その代わり、いろはの背中にそっと両手を回す。
「……キスとか、こういうことするのは、いろはさんだけですよ」
「玉藻にしては駄目だぞ。もちろん、玉藻以外にもだ。私にだけ、してほしい」
「もちろんです」
ならいい、と安心した表情でいろはも千早を抱きしめる。
はるか遠い昔から存在している神剣が、こんなにも嫉妬深いとは。可愛らしいところもあるものだ。
──神剣って、みんなこんな感じなのかな。
身体を離し、手を繋いで麓まで下りていく。いろはの機嫌はすっかり元通りになったようで、口元が綻んでいた。
決戦の日が近いとは思えないほど、幸せな日常。
ずっとこんな日が続けばいいのにと千早は思った。
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