千早の学校生活

 天羽々斬とのキスにより全快した千早は、一週間ぶりに学校へ行くことになった。

 準備を進めるものの、気が重い。溜息ばかりが出る。

 櫛名くしな村では動画を撮りに来ていた彼らが消えたことは既に広まっている。当然だが、八岐大蛇のことも。

 行きたくないと思いつつも立ち上がろうとしたとき、千早の顔を覗き込むようにして天羽々斬が顔を近づけてきた。


「ひゃあ!?」


 外では天羽々斬と呼べない。名前が決まるまでの間はなるべく柄でいてほしいと、先日言ったところなのだが。


「千早、接吻が必要か?」

「ひ、必要じゃないです! 行ってきます!」


 千早はドタドタと走って玄関へ向かい、外へと出た。

 その背中を見守っていた天羽々斬が、どんな表情をしていたかも知らずに。



 * * *



「何で朝日奈さんは無事だったんだろうね。特別は違うなぁ」

「動画を撮りに来てた人達はいなくなったって話じゃん」

「可哀想だよな。俺、あの人達の動画好きだったのに」


 一週間ぶりに登校した千早を待っていたのは、クラスメイト達の冷たい視線と陰口だった。

 櫛名村で朝日奈家と一七夜月かのう家を知らない者はまずいない。両家が担っている役割についてもそうだ。

 だからこそ、クラスメイト達によってこの距離と壁が作られた。今はあの一件をきっかけに壁が分厚くなり、距離が更に開いてしまったが。

 気にしたところで、千早にはどうしようもない。息を吐き出し、自席へと向かう。その間もクラスメイト達の視線は千早を追い続け、小さな声で話し続けていた。


 ──聞かせたいのか聞かせたくないのか、どっちなんだろ。


 自席に着くと机の横に鞄をかけ、椅子に座った。窓側の席のため、左隣には誰もいない。千早はクラスメイト達から顔を背けるように、窓の外を見た。

 噂話というのは、広まるのが早い。櫛名村のような小さな村では尚更だ。

 厄介なのが、その噂が事実かどうかもわからずに広められているということ。今もこうして聞こえてくる話の中で、事実とそうでないものが混ざっている。


 本当は、否定したい。事実を話し、嘘を広めるなと言いたい。

 あのとき、祖父達がどれだけ大変な目に遭ったか。動画を撮りに来ていた彼らも、できることなら救いたかった。

 当事者である千早が、何も感じていないとでも思っているのだろうか。

 気が付けば、膝の上で両手を握り締めていた。窓の外に向けていた視線を手に向け、ぎこちなく拳を開く。手のひらには爪が食い込んだ痕があった。


 居心地が悪いのは元からだが、今日はもっと酷い。これならば、まだ家でいたほうがよかった。家には祖父母がいて、今なら天羽々斬もいる。伊吹や一七夜月家の者達と顔さえ合わせなければ、穏やかに過ごせるのだ。

 授業開始のチャイムが鳴り響く。クラスメイト達は千早に視線をやりながらも、各々席へと着いた。

 慌ただしく教師が入ってくる。千早の姿を見ると驚いた表情を見せていたが、特に声をかけてくることもなく挨拶をし、授業を開始した。

 一時限目は数学だ。千早は教科書等を机の上に置くと、指定されたページとノートを開いた。筆箱からはシャープペンを取り出し、カチカチと音を鳴らして芯を出す。


 ──この授業が終わったら帰りたいな。


 そんなことを思いながら、千早は教師の言葉に耳を傾けた。



 * * *



「ごちそうさまでした」


 昼休みになり、ようやく視線と噂話から解放された。誰もいない屋上で祖母が持たせてくれた弁当を食べ終え、千早は壁にもたれ掛かる。

 帰りたいと思いつつも、根が真面目な千早は早退せずにしっかり授業を受けていた。

 しかし、一週間休んでしまった代償は大きく、授業についていくことができなかった。休んでいた千早にノートを見せてくれる者は一人もいないため、独学で何とかするしかないだろう。

 はぁ、と息を吐き出し、鞄を手に立ち上がる。次の授業が始まる直前まではここでいたいところだが、遅れを取り戻さなければならない。


 屋上を出て、階段を下りていく。その足取りは非常に重たく、このまま一階まで下りて帰りたいところだ。

 千早の教室があるのは二階だが、三階まで来たあたりで何だか騒がしい声が聞こえ始めた。主に女子生徒達の声だが、まるで芸能人でも来たかのようにはしゃいでいるようだ。

 それも、千早がそこに姿を現せば空気が変わってしまうだろうが。そして相手に千早のことを話し始めるはずだ。自己紹介なら、相手から聞かれれば自分でするというのに。

 二階に着くと、声がより一層大きく聞こえた。まずは誰が来ているのか確認しようと柱に身を隠し、ちらりと窺う。

 その姿に、思わず声が出た。


「な、なんで?」


 何故、彼がここにいるのか。

 女子生徒達から群がられ、話しかけられている。笑みを浮かべながら対応しているその姿は、さながら超人気俳優のようだ。

 何をしに来たのか、そう思っていると、彼の視線がこちらに向けられる。

 目が合った瞬間、彼の顔は綻んだ。


「千早!」


 彼──天羽々斬は嬉しそうな笑みを浮かべて手を振っている。対して、千早は呆然としたまま固まっていた。


 ──どうして学校に天羽々斬様が!?


 この現実が理解できていない千早に、天羽々斬が女子生徒達をその場に残して歩いてきた。近付いてくると、千早の顔を自身の両手で包む。女子生徒達から悲鳴があがったが、気にしている様子はない。

 天羽々斬はまじまじと千早を見ると両手を離し「ふむ」と目を細めた。


「元気がないな」

「そ、そうですか?」

「回復が必要なら」

「ねぇねぇ、。この人と知り合い?」


 千早の顔から、血の気が引いた。

 まともに話したことがない、それどころか

 天羽々斬を囲んでいた女子生徒達が近付いてくる。千早と目が合うと、誰もが目を細め、口角を上げた。あまりの気持ち悪さに、千早は思わず視線を逸らす。

 何を思えば、何を考えれば、あんな風に笑みを浮かべられるのか。


「千早ちゃん、紹介してよ!」

「一緒に遊びませんか? あ、もちろん千早ちゃんも!」


 つい今し方まで良く思っていなかったのだろう。陰口を叩いていたのだろう。

 よくも平気な顔をして、仲がいい振る舞いができるものだ。最高に気持ちが悪い。

 もっと言えば、その口で名を呼ぶのをやめてほしいところだ。父と母からもらった、最初で最後の贈り物。汚されている気分になる。

 それでも、千早の意に反して名は呼ばれ続けた。余計なことは言うなと、圧力をかけているつもりなのだろう。

 本当に、気持ちが悪い。仲がいい振る舞いなど、嘘でもしたくない。

 頷くことすらせずに視線を下に向け続ける千早に苛立ったのか、女子生徒の一人に左肩を強引に掴まれた。


「ねぇ、千は」

「千早」


 女子生徒の声を遮るかのように、天羽々斬が千早の名を呼んだ。

 落ち着いてはいるもののどこか威厳を感じる声に、しん、と場が静まりかえり、千早の左肩を掴んでいた手が離れる。


「この者達は千早の何だ?」

「友達ですよ。ね? 千早ちゃん」

「私は千早に訊いているのだが」


 天羽々斬の見た目からは想像できない冷たい声に、女子生徒達は言葉を失ったかのように黙り込む。

 小さく息を吐き出すと天羽々斬は女子生徒達に向き直り、気怠そうに首を傾げて左手を腰に当てた。


「では、貴様が言ったとおり友達だとして。友達とは、千早にこのような表情をさせるためにあるのか?」

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