第5話 ロアの村

 翌朝、ジークフレアが目を覚ますと、そこには記憶に新しい天井があった。


 昨晩、自分が目覚めたあの寝室である。昨日と違うことと言えば、身体のだるさと腹の奥の鈍い痛みだった。


 腹に布が巻かれている。布をめくると、不思議なことに傷はほぼなくなっていた。


「目覚めましたか」

「お前は、昨晩のおばば」

「ヘレンです」


 メイドのヘレンはそう言った。


「傷が消えているのはどういう訳だ?」

「ポーションでどうにかなりました。十個も使う羽目になりましたけどね」

「ポーション?」

「回復薬ですよ」


 話を聞いても、ジークフレアは半分ほどしか理解できなかった。


 だがどうやら、腹の傷が消えているのは彼女たちの治療のお陰らしいことは理解できた。


「ふん! なまくら刀め!」


 ちょっと考えてから、ジークフレアが吐き捨てる。


「何を言ってるんすか。俺の剣、折っておきながら」


 壁に寄りかかって話を聞いていたクラインが口を挟む。


「それに折れてたから、傷が浅くて助かったんですよ」

「余計な真似をしてくれたな」

「「はぁ!?」」


 その一言に、二人はベッドサイドに詰め寄った。


「あんたに死なれちゃ困るのよ!」

「そうっすよ! 別にあんたが自害したからってね、俺たちの罪が軽くなる訳じゃないんだ! それどころか王族殺しの犯人にされかねないんすからね!?」

「そ、そうか……」


 二人の剣幕に、ジークフレアはやや驚いていた。


「それよりも、記憶は戻ったのかい?」


 気を取り直すと、ヘレンは溜息交じりに聞いた。


「記憶……、いや」


 ジークフレアが首を横に振る。


「記憶がなくてよくあんなことやったな」

「あんなこととは?」


 クラインに聞き返す。


「王都の使者と護衛の騎士を斬って、更には自分の腹まで……。正気の沙汰じゃねぇだろ」


 クラインはそう答えた。


「昨日も言ったろう。斬ったのは気に食わなかったからだ。腹を切ったのは、その責任を負うため。よく分からんが、貴様らに迷惑がかかりそうだったからな」

「にしても、奇行が過ぎんだろ……」


 クラインが腰に手を置いてかぶりを振る。


「ところで昨日聞きそびれたが、ここはいったいどこなのだ?」

「あなたが住んでるお屋敷ですよ。王国の最北端、ロアの村にあるね」

「俺の屋敷なのか……」


 ヘレンの言葉に、ジークフレアはぐるりと部屋を見渡した。


「良かったら、案内しますけど」


 その様子を見て、クラインが言う。


「頼む」


 ジークフレアは立ち上がった。


「あんまり無茶はダメだよ」


 ジークフレアの背中に向かって、ヘレンは言った。


「お腹、まだ少し痛むだろ?」

「少しな」

「ま、散歩くらいなら問題ないだろうけどね」

「気遣い傷み入るぞ、おばば」

「ヘレンです」


 ヘレンは一瞬ムッとするが、呆れたように溜息を吐くと、ベッド周りを片付け始めた。


 ジークフレアはクラインに連れられて部屋を出ていった。


 その後、屋敷を見て回りつつ、クラインからこの国がエルデランドという名の王国であること、今はカールハインツ・ブライトロック国王の御代であることを聞かされた。


「王国の北部をゼスト地方って言うんですけど、そのゼスト地方の最北端にあるのが、ここロアの村ですね」


 ジークフレアはそのロアの村を治める辺境伯という立場なのだと、クラインは説明した。


 だがそんな話よりも、ジークフレアは屋敷の造りや調度品に目を奪われていた。どれも彼には物珍しいものばかりだったからだ。


 パチン、パチン。


 廊下に取りつけられた窓ガラスを、指で弾く。


「……なにやってんすか?」

「薄い氷のように透明な、何だこれは」

「窓っすよ。窓ガラス」

「ガラス……」


 その窓の外には、遠くに村が見えた。


 小さな家々、小川、緑が光にきらめいている。素朴だが美しい村だった。


「次は外でも見て回りますか」


 クラインが先を歩く。後に続くジークフレアだったが、ふと左に視線を感じ、立ち止まった。


「むっ!?」


 そこには大きな鏡があって、彼の全身が映っていた。


「どうしました?」

「これは……俺か!?」

「そうですよ」


 鏡の前に立つと、ジークフレアはまじまじと自分の顔を覗き込んだ。丸々と太った男が、そこには立っていた。

 鏡に手を振ったり、自分の顔をぺたぺたと触る。


「もしかして、ご自分の姿さえ忘れたのですか?」

「それにしても、なんだこの腑抜けた身体は……」


 クラインの言葉も耳に届かなかったらしい。唖然とした様子で、自分の腹の贅肉を掴んでいた。


「どうりで足も重く、ただ歩いただけで息が上がる訳だ……」


 確かに、平然としているクラインと違って、彼の額には汗が滲んでいた。単に屋敷の中を歩き回っただけだと言うのに。


「行きますよ。次は……」

「クラインッ!!」

「はいぃ!?」


 びっくりして、クラインが飛び上がる。


立木たちきを用意せいっっ!!!!」

「は、はい?? ぅぷ!」


 顔面にジークフレアの唾を盛大に浴びながら、彼は聞き返していた。

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