番外編:宵闇を行く烏
僕は夜が好きだ。明るい太陽の下よりも、その太陽に照らされて初めて輝きを得る月明かりの下にいる方が性に合う。それに夜の薄暗さのおかげで浴びた返り血も目立たなくなる。
僕の仕事は簡単に口外できるものでは無い。簡単に言うと《実験体》の処理だ。
《実験体》というのはこの人口島、朧雲で秘密裏に製造されている能力者の事だ。製造、という言い方は人間に対して使う言葉ではない事は承知の上だが、それでもこの目であの凄惨な実験施設を目にしてしまえば、不適切な表現だとしてもその比喩表現が適していると感じるだろう。
この世界における特殊能力の取得条件は極めて残酷なものだ。危機的状況において本能的にその状況から脱するのに一番適した最適解、または本人がその能力が必要と判断した能力を発現する。
なので通常、人が瀕死に陥っている場合に限り能力の取得が可能となる。これは裏を返せば能力を持つ人間はみな、一度死に瀕しているということだ。
本人に記憶がなくとも、それが幼少期、幼児期となれば話は自然と変わってくる。その時期に経験した事など大抵の人間は忘れてしまうだろう。
僕自身、幼い頃の思い出などほぼ思い出すことが出来ない。唯一覚えているのは虐待を受けて育ったということだけだ。その頃のストレスの影響か、僕は今現在無痛症を患っている。
そのため人一番痛みに疎く、死への恐怖というものも理解できない。むしろあるのはその逆の、死への興味そのものだった。
そんな僕に興味を示した一人の青年、《望月朔夜》は僕にある提案をした。彼はこの人口島で治安を維持するための組織を発足したいのだという。そのために、僕にはまず実験施設の処理役を今すぐ辞任して欲しいと彼は僕に頼んだ。
僕はそれを承諾し、施設内にいた人間全員を皆殺しにして朔夜の配下についた。それは今から数年前、まだ僕が本城奏斗や西園寺秋夜と出会う前の話である。
*****
僕の名前は桜庭千里。朔夜に拾われてからはや数日、空腹に耐え兼ねてごみ箱を漁り中だ。まだ昼間なので事件という事件も起きず、現在の人口島は平和の空気を漂わせている。
「つまんないの」
ごみ箱の中を一通りみた後でそう声を漏らす。僕はため息をついて他のごみ箱にも目を通そうと体の向きを直した時だった。
「おいそこの黒い服着たてめぇ」
おそらく自分の事を指して言っているのだろうが、僕は気にせずに目に付いたごみ箱へ歩み寄ろうとする。しかし──。
「聞いてんだろオイ」
右肩を思い切り掴まれてしまい仕方なく振り向いた。そこには癖のある赤髪を後ろで結んだ自分と同じくらいの背の子供がいる。なんだこいつと思いながらも嫌々口を開く。
「何……僕になんか用?」
すると赤毛は左手で掴んでいた僕の肩から手を離し、にやりと笑ってこう続けた。
「ここが誰のナワバリか知っててんな事してんだろうな」
それを聞いてまさに三流だ、と思う。そこで僕は赤毛にも聞こえるように大きなため息をつく。
「ハー……知らなかったらどうするの?」
「ぶっ飛ばすに決まってんだろ」
そう言うと赤毛は目に力を入れてこちらを睨んだ。僕の目が間違いでなければ彼が目に力を入れたその瞬間、彼の腕や首筋の筋肉と血管が浮き出たように見えたのだが。
それに気付いたその時、赤毛の繰り出した右ストレートが僕の腹に食いこんだ。痛みは無論感じない。しかしその威力は計算外だった。
彼のパンチを食らった瞬間後ろの電柱まで吹き飛ばされた。全身を電柱に強打し思わずその衝撃に驚く。そして地面に両膝を着いて倒れ込んだ時、僕と同じく後ろの電柱も真っ二つに折れた。
地面にポたり、と赤い液体が滴り落ちる。それは無論自分の血液だが、痛みは無いため平然と立ち上がる。
「な……お、お、お前……」
赤毛はそれを見て大きく目を見開いて驚きの顔を見せる。それを見ていると吹き出してしまいそうになるが、ここで爆笑などしてしまうとまたあのとんでもパンチが飛んでくる可能性があるのでそれは我慢する。
「不思議かい? いや不思議だろうね。多分肋骨何本か行ってるだろうし……けど僕には痛みという感覚が無いからね。こうしてたっていられるのさ」
「じ、冗談じゃねえ……!」
そう言って赤毛の少年は地面を蹴り、こちらに突進してきた。先の件を思い浮かべるに彼の能力は自身の身体強化だろう。ならば──。
「単純なバカは相手しやすくて助かるよ」
「負け犬の遠吠えってか……あ?」
赤毛のパンチを僕は右手で受け止める。そうしてそのまま彼の腕ごと突き話すと彼は情けなく後ろに尻もちをついた。
「どういうことだこりゃ!?」
「触れた者の力を一時的に最低限まで弱体化させたのさ。今の君じゃ怪力パンチもキックも使えないよ」
そう言い放ち僕は乱れた服装を整えた。秋の始まりとはいえ若干の暑さが残るこの天気に、どこのものかも分からない制服姿というのはやはり場違いすぎる気がする。
それよりこの青年、一体どう処理すべきなのだろうか。
「くそっ、また襲い損だ」
「つまり君は何度もこんなことをしてたわけだ」
「答える義理はねえな」
フン、と鼻を鳴らし僕の顔から目線を外す少年。それに対し僕は身につけていた腕時計を確認する。しかし電柱に激突した際完全に壊れてしまったようだった。
「……君のせいだぞ」
「君とか気持ち悪ぃ言い方すんじゃねぇ。俺には名前があんだよ」
「じゃ名乗りなよ、僕だっていつまでも君君言いたくなんて……な……」
そこで自分の声が遠のき、視界がぼやけていく。また地面に倒れ込んだ時にいつもの貧血だと言うことを思い出した。
「な、なんだよオイ、こら、てめっ……ああくそお前のせいで力が入んねえだろうがー!」
名前を聞きそびれた少年が、僕の体を支えようと手を伸ばしている光景を最後に僕は目を閉じた。
──数時間後。
「だーかーらー、俺はコイツのせいで力も何も出せねえの!」
例の赤毛の少年の声がする。重い瞼を持ち上げると、まず木製の天井が見えた。そこから視線をずらせば赤毛が僕の横たわるベッドに腰かけて、朔夜と話し込んでいる様子が見えた。
「は、またやっちゃった……」
その声に気付いたのか赤毛は僕の顔を覗き込んだ。
「目、覚めたのか」
「君の声がうるさすぎるからね」
また突っかかる、と予想したが彼は以外にもなんの反応も示さなかった。代わりに朔夜と言葉を交わし続けている。
「何とかなんねえのかよこれ」
「千里、直してあげたら? 俺はまだ仕事があるから。じゃ、あとは頼んだ」
そう言い残して颯爽と立ち去る朔夜を横目にまたこれか、とほとほと呆れ返る。赤毛の彼もどうしたらいいのか分からない、と既に顔で物語っている。
「君、そういえば名前……聞いてなかったけど」
「チッ……そういやそうだったな。力人だ。筒井力人。んでてめえは……千里だっけか?」
「教えてもないのに覚えられてるとか……まあ、いいや。手、出して」
それに対しまたしても舌打ちをする力人。元に戻さないままにしてやろうかとも思ったが、それもそれでまたうるさく騒がれそうなので、差し出された左手に触れる。
触れた左手の中心に緑色の淡い光が浮かび上がり、数秒もしないうちに消える。それを見てから力人の左手から右手を離した。
「これでいいはずだよ。ほら、君の好きなところに行けばいい」
しかし何秒たとうとも力人は動こうとしない。まさか疑っているのか?と思った僕は何とか起き上がって力人の耳元で大声でわざとこう口にした。
「もう大丈夫だからどこかに行ってくれないかなあ!!」
すると力人は顔を真っ赤に染めて対抗してきた。こちらも僕に負けず劣らずの大声でこう叫ぶ。
「うるせえなあ!! 俺はアイツに言われててめえと一緒に動くことになっちまったんだよこの野郎!!」
その声を聞いて数人の看護師が駆けつけてきたのは言うまでもない。そして僕は自由に歩けることが確認されて以降、何故か力人と行動を共にすることを朔夜からの言伝で知ることになる。
*****
「なんでこんなことになるかなあ……」
「そいつは俺も同感だぜ」
二人揃って同時にため息を付く。いくら朔夜の命令とはいえ先程まで、隣を歩く赤毛にとんでもないパンチを食らわせられているのだが、それを水に流せと言うのだろうか。
おそらくその不満は力人も抱いているだろうが、僕が貧血で倒れた後、運んだのはおそらく彼であろうし、その後も割と面倒を見ていそうな所を踏まえると、僕は彼に対し文句を言える立場では無い。
しかしそれにしても、なのだ。元はと言えばこいつが勝手に突っ込んで来て、僕はそれに対処しただけだ。オマケにかなりの大怪我をした上で。痛みが無いとはいえ出血はするし気も失う。そのことを加味するとやはり許せないところもあるのだが……。
「お前……文句があるならさっさと言ったらどうなんだ」
「あ、そう。じゃあ遠慮なく言わせて貰うけど、君さっきから近いんだよ」
すると力人は予想通りの反応を見せる。眉をピクりと動かし、口を痙攣させながら冷静を保とうとした声でこう発した。
「なんだって……?」
「だから、距離が近──」
そこで言葉を詰まらせる。理由は今、通り過ぎた人物に僅かながら見覚えがあったからだ。それはかつて僕の所属していた施設の、皆殺しにした職員の一人、灰島洋二の物とあまりに酷似していた。
その背を追いかけようと来た道を辿るが、どこを見ても見つかる気配は一切なかった。
「……っ」
頬を伝う汗の雫がコンクリートの地面を濡らす。早まる動悸を抑えようと思わず自分の胸に手を当てる。そんなことをしても落ち着けるはずはなく、ただ自分の呼吸音だけが耳に届いていた。
「おい、おい……千里!」
いつの間にか自分のすぐ傍まで来ていたらしい力人は僕の顔を不安そうに見つめている。それを目にしてようやく僕は落ち着きを取り戻した。そしていつもの様に冗談で過ごそうと何かを口に出そうとするが、出てきた声は冗談とは程遠い、自分を装う嘘だった。
「大丈夫だよ……」
逃げるように力人から目を背ける。その勢いで後ろを振り向いてその場から立ち去ろうとしたものの、力人にまたしても肩を掴まれて静止させられた。
「何が大丈夫だって? ったく、お前を一人にさせんなってあの人が言ってた理由、少し分かった気がする。だってお前……」
「うるさいっ!! 力人に何がわかるんだよ!!」
その大声に、力人は少し怯んだ様子で数歩後ろへ下がった。しかしすぐに僕の方へまた近寄り、優しい声色で話しかける。
「……今すれ違ったやつと何があったかは聞かねえ。けどお前が……なんつうの? あいつに対してなんか……怯えてるように見えて……」
そこまで続けると力人は周囲を見回した。どうやら力人も灰島の姿を探してくれている様だった。
「正直、俺はあんまりお前の事全然得意じゃねえよ。でもやっぱ倒れたお前の事運んじまったし何度かもう話しちまったら嫌でも気になんだろ」
力人は恥じらう様子も見せずにまっすぐ僕の顔を見る。おそらく彼は本心で話しているのだろう。それに対し自分はまだ彼に大量の隠し事をしている。
出会って一日も経っていないのに、力人は見ず知らずの自分を何故か気にかけている。しかもその理由が何度か会話を交わした程度の事で。元からそういう性格だったかどうかは知らない。それでもそんな彼に朔夜と似た何かを感じて先程の非礼を詫びた。
「さっき……急に怒鳴ったりしてごめん……後で、後でちゃんと理由は話すから」
「良いよいつだって。俺の方こそあん時は悪かった」
お互いに謝罪し合った後、僕は右手を差し出した。それを見て力人は──これで仲直りってか?と文句は言いつつも左手を差し出して握手を交わしてくれた。
その後、二人で灰島の姿を追うことにした僕と力人は、道すがら様々な話題を通して互いの知識を深めていった。
「力人って十四だったんだ」
「悪いかよ。ま、学校とかは行ってねえけど。でも孤児院暮らしは飽き飽きしてきたんであのゴミ溜め近くでたむろってたんだ」
ふむ、と僕は指を顎に当てて頷いた。力人があの場所にいた理由はわかったが、ナワバリとか言っていたあの発言の真偽はどうなのだろうか。
「じゃああれってやっぱりハッタリ?」
「どれだよ」
「ナワバリがどうって」
「うっ……」
返答に困るその様を見て、僕はさらに追い打ちをかけるべくさらなる質問を重ねた。
「ついこの間出てきた割に、ずっとあそこに居たみたいな感じで話しかけてきたけど……それだけ自分を強く見せたかったって事?」
「そっ……そうだよお前が俺と同じくらいの背だったから……孤児院じゃあれで大抵済んでたんだ」
鼻から下を手で覆い隠して目線を泳がせる力人。なるほど、こいつは狭い世界で育ってしまったからこそあの程度の脅しで通用すると思い込んでしまったのか。
「なるほど……うーんこれはまた骨が折れそうだ」
「なんだって?」
「ふ、なんでもないよ。それより……こうなってしまった以上こちらも君に話しておかないとね」
そう告げてから僕は自分の出自について語り始める。自分が今まで何をしていたか、そして先程すれ違った灰島について。一通り話し終えたところで力人はふん、と鼻を鳴らした。
「それであの慌てようって訳か。でも当然の報いってやつなんじゃねえのか、それ」
これには返す言葉も見つからない。確かに自分の行いは許されないし、それこそ報復されてもおかしくない立場だ。それは十分に理解している。
だが、自分はその行いに対して後悔はしていなかった。〝失敗作を殺す道具〟としか自分を見ていなかった相手に牙を剥いて逆らい、その上で全員を殺し尽くし、それまで不要とされていた被検体をこの手で救ったのだ。不当なやり方だとしても、あの時の自分にはそれが正しい行為だと思えていた。
それが例え過ちだとしても、進んでしまった以上自分で片をつけなければならない。今まで処理してきた人間も、対峙してしまった職員も、これから救うかもしれない人間も、自分が進む先に彼らが残る限り僕は責任をもって受け止める必要がある。それが今の僕にできる最大の贖罪であるのならば。
「うん。これは当然の報いだよ。否定する気はない。だからこそケリをつけないとね」
「何をする気だ?」
深く深呼吸をして、まっすぐ前を見据えながら答える。
「彼をもう一度殺すよ」
「出来んのか、それ」
僕はその問いに苦笑しながらも答える。
「一度殺してる相手だからきっと大丈夫。それに……あの人が本物ならまだあの実験は続いてると思う。こうしている間にもまた失敗作が生まれて死んで、なんて事が繰り返されているかもしれないのに……僕が黙って見過ごす訳にも行かないよ」
「お前……」
不安の色を含ませた目で見つめる力人に、軽く笑顔を作って見せると、彼は小さなため息をついた。
「わかった。んじゃこれが最後の殺しだ」
「えっ?」
「もうお前は奪う側になるんじゃねえ。助ける側になるんだよ。色々と背負いすぎだ」
その言葉に思わず吹き出しそうになってしまったが、彼なりの気遣いだろうし、そこには敢えて触れず、聞き入れておくことにする。口調は常に乱暴な力人だが根は優しい人物だ。こんなことを口にするとまた殴られかねないので勿論胸中に留めてはおくが、何となく彼とはやっていけそうな気が芽生えてきた。
最初は心のどこかで〝誰がこんな奴と〟と避難していたが今はその真逆の感情を抱いていることにほんの少し驚いている。そんな自分の心境を隠しながら僕は力人の肩を叩き、先に進むように促した。
「はいはいありがと。んじゃとりあえずあの人追いかけるから、行くよ」
「おっ前……何軽く流そうとしてんだ! そこは親身に受け止めるとこだろ!?」
今度は隠さず笑いながらも僕は歩き始めた。その間に力人の怒鳴り声が響いていた様な気もするが、内容は特に覚えていなかった。と言うより、全く耳には入って来なかった。
*****
翌朝。僕と力人は朔夜に呼び出され、近くの公園に来ていた。早朝ということもあり人通りは少なく公園にいるのも僕と力人、朔夜の三人のみだった。
「や、急に呼んじゃってごめん」
そう話を切り出す朔夜。それに対し僕は首を横に振る。
「いや大丈夫。それよりなにか進展でも?」
「朝なのによく頭が回るね。まあ、進展とかではない……のかな? とりあえずこれを千里に渡しておきたくてさ」
そう言って差し出された一つの茶封筒を受け取り、中を覗く。するとそこには三つ折りにされた一枚の白紙が入っていた。取り出してみると朔夜がニヤついた表情をしてこう続ける。
「それね、俺も確認したんだけど面白いことが書いてあったよ」
それを聞いて心底呆れてしまう。この人の言う面白いことというのは大抵ろくでもない事なのだ。嫌な顔をしつつ白紙を開いてみると案の定、目を疑いたくなる内容の文章がそこに書かれていた。
『裏切り者には罰を。とよく人は言うが私はそう思わない。君の行いは正しい。しかしこれで終わったと思わないことだ。まだ続いている。君が否定した我々は生きている。まだくだらない正義を謳うのならもう一度来い。我々の目的を、悲願を君に見せよう。唯一の殺戮者である君へ。』
朝から気分の悪くなる夢だ、と思いたくなるほどの不快感に僕は顔をしかめる。何が悲願だと言うのか。殺人を強制させたこいつらが、何を知った上で僕に向かって〝君の行いは正しい〟などとほざいているのだろう。
「これ、いつ届いてたの?」
「昨日の夜、君が運ばれたあの医務室宛に」
それを聞いて無言で頭を抱える。ではやはりあの時すれ違った灰島の影は本物で、実験施設での能力者の製造も未だ健在ということだろう。驚きのあまり声が出せなくなってしまった僕に代わり、力人が疑問を口に出す。
「でもこれを送り届けた奴の顔はまだ分かんねえんだろ?」
「それがはっきり見えちゃってるんだよね。これ、監視カメラに写ってた奴なんだけど」
そう言って朔夜が差し出した一枚の写真に目を通す力人。それを見るなり短い舌打ちをする。その反応で察するに、やはりこの脅迫文にも取れる文書は灰島の物なのだろう。
「……一応見とくか、お前も」
「いや良い、大体わかったから……」
復讐のつもりだろうか、明らかにこちらを誘き出そうとしているように思えるこの文字列に嫌悪感を抱く。しかしこの紙にある〝悲願〟というものも妙に引っかかる。罠だとしてもまだ行われている実験も止める必要があるし、この目で確かめたいという思いもある。
どうすべきか決め兼ねていると力人が僕の背中をドスンと叩いた。
「しっかりしろよ。ケリつけるんだろ? これが最後の殺しにするってあん時言ったばっかじゃねえか。それをここに来て取り消すなんて言わねえよな?」
「……そうだったね。ああ、わかってる。これで終わりにするんだ。バカみたいな実験も、アイツらの計画も、全部僕が、ここで辞めさせる」
そう言って力無く笑顔を作る。いや、僕の中の何かが無理やり笑顔を作らせている。その正体が何かは分からないが、今はそれに従って不気味な笑みを浮かべる。
「わかってんじゃねえか。でも一つ忘れてんぞ」
「何を?」
「お前は今一人じゃねえってことだ」
それはつまり共犯になる、ということだろうか。それとも違う意味での発言だろうか。その一瞬の思考を遮って朔夜は声を発した。
「そうだね。千里、君は一人じゃないよ。俺も彼もいる。君がその気なら俺も行くけど?」
その提案に冗談でしょ、などとふざけた回答をしようとも思ったが、あまりに真面目な声色で続けるのでそう返すことが出来なかった。
「……僕の後に続くなら、もう、後戻りはできないけど……それでいいの? 二人とも」
「構わねえよ。俺にはもう……居場所はここしかねえだろうし」
力人の発言に続いて朔夜も口を開く。
「そもそも誘ったの俺だし。仲間のやりたい事くらい手伝わないとさ。リーダーとしては失格じゃない?」
それを聞いて思わず苦笑する。この二人はたかが一人の子供のわがままのために人を殺す事を許容しているように思えたからだ。何故二人が僕のためにここまでするのかは分からない。分からないが、それでも今の僕にはそれで十分だった。
僕の言葉を待っているらしい二人の期待に応えようと、僕も今の心情を率直に、そのままの言葉で伝える。
「じゃあ……一緒に、地獄の底まで来てくれる?」
「当たり前じゃん」
「当然だろ」
二人が返事をした瞬間、一際強い風が僕達三人の間を通り抜けた。その疾風に背中を押され、堪らず両足に力を入れて踏みとどまる。風に吹かれた方向へ目を見やると、青々とした空の光景が目に映った。
雲ひとつないその天空に見惚れていると、力人がいつもの調子で僕に声をかける。
「いつまでぼーっとしてんだよ。目的は決まったんだ。早く行くぞ」
その声に呼応して勢いよく振り返る。そのまま足を一歩ずつ踏み出し僕はかつての〝居場所〟へと向かった。
*****
正直なところ、筒井力人には桜庭千里とともに行動する理由はなかった。それでも彼は千里と肩を並べようとする。それは、まだ力人には自覚できない競争心から来るものだった。
力人には幼い頃の記憶というものがない。正確には孤児院で育った頃の記憶しか無かった。そのことに関して力人はあまり追求しようとせず、逆にあえて触れないように生活していた。両親のことを問いただしたとして納得のいく答えが返ってくるとは思えなかったのだ。ならばいっそその事は忘れてしまえばいいと、そう割り切っていた。
しかし千里と出会って数日。他者との関わりを持ち始めてからは自分の存在に疑問を持つことが増えた。なぜ自分は今そうしたいと思うのか、なぜこの場所に留まるのか。そういった事ばかり考える。千里の言う研究施設へ向かっている今でもその事ばかりが思考を奪い続けている。
灰島などという男の後ろ姿を見送った千里の顔があまりにも思い詰め過ぎていて、あの時は咄嗟に心配した。それまでふざけた態度で接していたのに、あの時だけはただの、力人と同じ年齢の子供のように見えた。おそらくあの瞬間まで、自分とはかけ離れた場所に彼がいるのだと錯覚していたのだろう。でも実際は同じ場所に立ち、同じ空気を吸って過ごしたただの少年なのだ。
育てられた環境と境遇が違うだけの子供。それを自覚する度、千里という人間を自分に近しい距離に感じていく。それが彼と共に歩む一番の理由なのかもしれない。
日が徐々に登りつつある中で、他愛もない会話を続ける。人工島は作られて間もないため交通の便というものがまだ発展しておらず、その影響で島内の移動は車か徒歩のみになってしまう。
一度、車はダメかと聞いてみたところ、狙われているとわかった今、かえって危険ではないかと言われてしまった。そのため今もこうして己の足を使っている訳だが……。
「なぁ、ほんとに歩きじゃねえとダメなのか?」
「子供じゃないんだからこれくらい我慢してよ……僕だって自分の車があればそれを使って……」
「無免許になるだろ? さすがに許容出来ない」
「これだよ……」
力人は大きく息を吸い込むと、それをゆっくり吐き出した。酸素を大量に体に入れることで気持ちごと切り替えたのだ。着いていくと決めた以上泣き言は口にしない。そう心の中で唱えつつ周りの景色を見回した。
まだこの辺りはスラム街のような街並みで、まだ朝だと言うのに若干の暗さが残っている。建設途中の建物から鳴り響く工事音が増えて来たところで千里が両耳を抑えながら愚痴をこぼした。
「どうして今でもこういう機械の音はとてもうるさいんだろうね!」
「知らねえっての……」
正直、千里の声が力人の耳にギリギリ届くか否かの音量だったせいで力人も自分が何に対してどう答えたのかはああり理解していない。数秒ほど悩んだ末、仕方なく聞き返そうとしたがその瞬間、朔夜が口を開いてしまったので力人は黙ることにする。
「まあこればっかりは仕方ないと思う。そのうち落ち着くさ」
そんな三人の会話をよそに、人口島の日常は続いていく。日に当たらない闇を残して。
クロスマジック 桜崎砂儚 @ozakisakura
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