第二話 始まりの汽笛
船の上げた開幕の汽笛。その事に気付かない三人は遠くに浮かぶ島国を目に映していた。明らかにまだ到着しそうも無い距離で上げられた汽笛に違和感を覚えた俺は二人と顔を合わせて船のデッキから離れた。
船上の廊下を歩きながら船長室を目指す。その中で俺たちは推測を交えた会話をする。
「じゃあもしあれが間違いだったとしますけど……けどそんなことありますかね」
「時間を示すために鳴らした、とも思ったけど半端な時間だったんだよね。あの時僕携帯で時間確認したけど、鳴らされたのは十一時二十一分だったよ」
「あるいはその時間に何かあるとか……?」
喉をうならせて歩を進める。そして二人が立ち止まったタイミングで俺も一緒に立ち止まる。そこにあるのは当然。
「船長室に着いたね。さあ、開けるよ」
その声に対し黙って頷く。それを合図に望月は船長室の扉を開けた。
「……鍵、閉まってませんでしたね」
「となると、やはり何かあったと考えるのが妥当だけ、ど…………っ!?」
言葉を思わず詰まらせる望月。船長室はそれほど広くない空間(約四畳ほど)で真ん中に大きなテーブルが置かれている。そのまわりにソファーも置かれているのだが、そのソファーに人が倒れているのだ。ソファーの座面上に左半身がもたれ掛かるような形でうつ伏せに倒れている。見ればその人は出血していた。主に腹部全体からだ。
服装からしてもおそらくこの人が船長なのだろうが……。
「……遅かったか」
そう言って下唇を噛む望月。
「呼吸だけ確認させてください!」
そう叫んで前へ飛び出し確認し始める篠山。だがそれもやはり無意味だったようだ。
「俺たちがもう少し早く来てたら……望月さん、これ、どういうことだと思います?」
「どうも何も……篠山くん、確かこの奥には操舵室があったね。そっちも見てくれないか」
「はい」
そう言って部屋の真ん中の奥にある扉を開ける篠山。すぐに驚きの声が上がる。
「この船……確か、無人じゃないはずですよね」
「操舵室に誰もいない……?」
この場にいる俺達三人の頭に浮かんでいるだろう疑問と不安。それを掻き立てるかのように船内アナウンスが流れた。
『ザ────』
それは声、と言うより雑音に近いものだ。例えるならテレビの砂嵐のような、あの音。
「とにかく、ここに誰もいないってことは分かった。僕らのいるこの船は実質上密室と変わらない。デッキに戻るよ」
ずっと黙り続けていた俺はそれに対して口を挟んだ。
「いや、待って望月さん。デッキの方に戻ったとしても……」
「君の言いたいことはわかる。でも僕としてはリスクを犯してでもこの状況を把握すべきだと思う。それに忘れてないかい?」
にまりと笑みを浮かべ、ビシリと俺に指を指し。
「まだ君の能力を僕達は全て知らない!」
「つまり……?」
「多分この人、君の能力に全部頼ってるんじゃないかな……」
とても申し訳なさそうに両手を合わせて謝罪のジェスチャーをし、頭を下げる篠山。引きつった笑みを浮かべて乾いた笑いを浮かべる俺。未だ自信満々な表情で俺を見続ける望月。
正直、もう人工島へ帰りたい気分だった。が、そんな訳にも行かず、渋々デッキへ戻ることにした。
「あの、アビスの人達に連絡は?」
ふとした疑問を問いかける。
「うん、もうしたよ。こういう時は秋夜さんの方がいいと思ってそっちにしておいた」
ほら、と言いながら携帯の連絡履歴を見せてくる篠山。
「ただ、このまま俺たちも助け待ちなんてできないよね。ですよね? 望月さん」
「その通りだとも。だからこれから殺人の方は解決するよ」
そんな事言って自分は俺頼りのくせに、と胸中でツッコミを入れる。
ちなみにこの船は汽笛が鳴らされてから今までの約十分間。少しも進まず止まっている状態だ。さすがにこれだとほかの乗客から苦情のひとつもありそうなのだが、これが不思議なものでほかの乗客達とすれ違ってもこのことについて話している会話を少しも耳にしなかった。
こんな異常な状況で少し落ち着きすぎでは無いかと思う。
「なんか臭うんだよね……」
「自分の匂いが?」
「篠山くん本気?」
匂う、という言葉がよほど気に食わなかったのか、自分の服の匂いをしきりに嗅ぎ始める望月。洗剤じゃないのか、などブツブツ言い始めたので、俺も一声かけてそれほどでもないけどな、などと否定しようと考えたがややこしくなりそうなのでやめた。
ずっと高身長の男が自分の服に鼻を擦り付ける様を見せられ続けるのもそろそろ嫌になった頃合で篠山が口を開く。
「あの、冗談をそこまで真に受けないでください。見てるこっちが恥ずかしいです」
それを聞いた望月は匂いを嗅ぐのをやめた。そして篠山を睨みながらこう口にする。
「言っていい冗談と悪い冗談ってあると思うんだよね。君のは悪い方だよ」
と、望月が言い終わるか否かのタイミングで篠山が大きめのため息をつく。彼の顔を除き見れば、だいぶ疲れきった表情をしていた。
この人はいつもこんな苦労をしているんだろうな、と口には出さずに同情する。思えばこの二人、一体いつ頃からの付き合いなのだろうか。
「そういえば、なんだけど……望月さんと篠山さんて会ってどのくらい長いの?」
俺の質問に反応し、顔を見合わせる二人。そして二人とも顎に手を当てて考え込む。
「うーん、確か僕が入って数日くらいだった気がするんだけど……。どうだっけ」
そんな曖昧な返答をした望月に対し、篠山は再び溜息をつきながら答えた。
「はあー、やっぱり覚えてないし。俺がアビスに入れてもらったのは望月さんがアビスに入ってから二日後ですよ。それからはずっとコンビを組まされてるんだけど……もう正直嫌なんだよね……」
「あはは、そうだろうなあ……」
思わずそう口にする。すると望月は唇を尖らせてそっぽを向いてしまった。
「子供じゃあるまいし……」
数秒ほど拗ねた望月を眺めていた篠山だったが、頭を左右に振り意識を切り替えた。そのまま望月の手を引いて振り向きざまに俺を見る。
「一度部屋に戻ろう。そこでちょっと作戦会議しよっか」
にこりとこちらに微笑みかける篠山。その顔に含まれる優しさと、若干幼さのある笑顔に俺は何故か安堵していた。
*****
数分程度で作戦会議……とは名ばかりの息抜きを済ませた俺たちは今の状況について再確認を行った。現状、自分たちが解決しなければならないことは三つ。一つは船長室の船長と思しき死体の詳細。二つ、謎の船内アナウンス。そして三つ目は──。
「やはりおかしい」
「俺もそう思います」
ずっと残り続けた違和感の正体に二人は気付いていたのだろう。
「この船の客、全員どこか変ですよ」
そう。三つ目は既に数時間ほどは停止しているこの船に対して何も反応を起こさない乗客達について、だ。
「普通何かしらのアクションはあってもいい。なのに全員普通にしている。むしろそれがちょっと怪しいよね」
「はい。それこそ【匂い】ますよね」
と、また掘り返しそうになった所で俺が止めに入る。
「それはもういいって……。でも、やっぱ変だよ、これ」
そう言って俺は周辺を見渡した。約数名ほど一般の客がいるが、そのどれもが慌てている様子など微塵も見せていない。
「ちょっと聞きこんでみようか」
スタスタと一般客の元へ歩み寄っていく望月。俺と篠山は黙ってそれを見届ける。いや、詳しくは見ていたのは望月の方ではなく客の方だった。
「すみません、ちょっとお伺いしたいことが」
その声に反応した一般客は望月の方を向き、首を傾げる。
「はい、なんでしょうか」
一般客と目が合う望月。それに合わせて自分の左手を後頭部に当ててかなり大袈裟な演技をする。
「実はさっきからこの船、動いてない気がするんですよねー、貴方も思いませんでした?」
それに対し一般客の反応は……。
「ええ、止まってるみたいですね。でも……多分もうすぐ動くんじゃないでしょうか」
「どうしてそう思います?」
「何となく、ですけど……?」
「あは、すみませんね、変な事聞いちゃって。それじゃ!」
と、かなり強引かつ適当に切り上げて戻ってきた望月。一部始終をずっと観察していた俺と篠山は二人揃って唸り声を上げていた。
「あんまり動揺してない……?」
「うーん……」
俺は一般客から目線を外して呑気に歩いてくる望月を見た。両腕をブンブンと振り回しながら歩いているのを見てしまい思わず吹き出すところだったが喉の奥で押し殺す。
当の本人はと言えば俺のそんな様子に気づく様子もなく喋りだした。
「やっぱり気にしてないみたいだ。あ、あと、寄っておきたいところができたんだけど……」
と、言葉が途中で途切れたかと思えば。
「あ、秋夜さんから電話です。すみませんちょっと出ますね」
そう言って篠山は携帯を繋ぐ。
「はい、篠山です。秋夜さん、実はさっきのことで……」
聞き耳を立てようかとも思ったが、さすがに悪趣味が過ぎると我ながら反省する。
「ねえねえ奏斗くん」
小声で望月は話しかけてきた。
「え、何、どうかした…?」
「ちょっとコレ見て」
そう言って差し出してきたのは船内図だった。この船は二階構造で今いる俺たちの階は一階。船長室、操舵室はこの二階にある。そして一階にあるのは当然エンジンルームなどになるのだが、望月はその一階にある放送室を指さしていた。
嫌な予感を察知しながら望月の顔を見れば……。
「行こうよーここー。謎の砂嵐放送の原因特定できるよきっとー」
嫌な予感が的中したところで俺は引きつった笑みを浮かべる。
「でも篠山さんの許可もなしに……」
「僕が許可するからさぁ……」
何故かもう口答えできない気がして俺は仕方なく頷いてしまう。
「よし、じゃあ行こう!」
そう言うと俺の手を引き一階へ向かう。篠山はまだ秋夜と電話中で、いつの間にか俺たちに背を向けて会話していたので、声をかけようにもそれは躊躇われた。というよりそんな暇は無かったのだが。
ほんの少し申し訳なさを覚えつつ、望月に引かれるまま歩を進める。それほど広い船では無いのですぐに一階へ通ずる階段の扉前へ着く。
さすがにゆっくり開けるだろうなと思ったのも束の間、望月は容赦なく開け放つ。それを見た俺はたまらず声を漏らす。
「ちょっと!?」
「良いから良いから」
ウキウキで階段を降りる望月。確か放送室は階段を降りてすぐ左の部屋にあったはずだ。もちろんその部屋の扉もノックもなく勢いよく開ける。
「どうもー!」
俺はいよいよ着いて行けなくなり放送室へ入るのにしり込みしていた。そんな俺には構わず放送室の奥へどんどん進んでいく望月だったがやがて足を止めてしまった。その理由は直ぐに明かされることになる。
「……やはり来たな。望月朔夜」
放送室の一番奥にその声の主は居た。全身真っ黒な衣装に身を包んでいるその人物は、最初、しゃがみこんでいたが数秒すると立ち上がり、望月を睨みつけていた。
本名で呼ぶあたり知り合いなのだろうが、様子がどこかおかしい。と言うより、右手にはナイフを所持している。左手は黒いズボンのポケットにしまい混んでいる様子だが……。
「やっぱり【君達】の仕業だったんだね……ていうか君、女の子なのにそんな男子みたいな髪型にしちゃって大丈夫? 性別を隠さないといよいよ仕事にならない、なんて脅されたのかい?」
不敵な笑みを浮かべて相手を挑発する望月に対し、殺意を露わにした女性。
「黙れ! その口今すぐ黙らせてやる!」
言うなり望月の懐へ飛び込む女性。彼女は手にしていたナイフを振り回した。対して望月はそれを軽々と交わしていく。
何ヶ所か避け切れなかったのか顔や体に血の線を引かせている。相手の動きが早すぎてまだ脳が考えをまとめきれないうちに女性の左手がポケットから出ていることに気付く。
その左手にはダーツらしき細い棒が握られているのが辛うじて見えたという具合の時だった。早い動きでこちらにそれを飛ばして来たのだ。
「伏せるんだ、早く!」
その声が聞こえた時には遅く、俺は投げられた棒に刺されていた。
「ぁ──」
投げてきたからには何かある、とは思っていたが、これほど即効性のある麻痺毒だとは知りもしなかった。刺さったのは右腕の上腕だったのだが、既に右半身が麻痺で感覚を失っている。
右足から膝を折るようにして倒れ込んだ俺にすかさず駆け寄る望月。
「……能力者との戦闘、そういえば君は未経験だったね」
既に右半身全体が動かせなくなってしまっているため、左側の口で何とか答えようとしたが上手くできない。
「ちょっと待って、彼女のことを片付けるまで、我慢して欲しい」
そう言って黒ずくめの女性へと再び向き直る。
「狙いは僕だけだろう? ま、会話中に僕たちを狙ってこなかっただけ褒めてあげたいけどね」
「何を今更……私の目的がわかってるんでしょう、どうせ」
「半々といったろころかな。君達の考えることなんてだいたい想像つくし」
「ならどうする?」
「戦うよ。悪いけどこっちにも事情がある」
左足を後ろへ引く望月。それを見て黒ずくめの女性はまたナイフを構える。
「ッ──!」
短い気迫と共に床を蹴る望月はいつの間にか右の手で握り拳を作り振り被っている。対して黒い影はナイフを突き立てようと再び懐に飛び込むが……。望月の方が早かった。
「あぐっ……!」
望月の綺麗な右ストレートが入る。その衝撃に耐えられなかったのか、僅かにふらついた隙を逃さず今度は空いている左手で彼女の右手を抑えて右足の蹴りでナイフを飛ばす。
飛ばされたナイフは天井に突き刺さり、それと同時に黒服の女性を完全に取り押さえた望月だった。
「さあて、ちょっとお話しようか」
「うるさい、離せ!」
「自分の立場が分からないのかなあ、手負いとはいえ、こっちは二人。君は一人。どっちが不利かなんてもうわかるだろう」
その言葉を聞いて女性はもがきながらも口を開いた。
「不利なのはお前たちの方だ、それに……もう【最後】だから教えてやる。ここの乗船客は全員仲間だ。船長以外はな」
それを聞いてまっさきに篠山のことが脳裏に浮かぶ。
「だろうと思ったよ」
「それともうひとつ……」
女性はいつの間にかもがくのをやめていた。というか、何もかもを諦めているような──。
「っ!! 望月さん、離れろ!!」
今日何度目かの嫌な予感。それに気付いて痺れを無視して叫ぶ。あの時と、爆発事故の時と、どこか似ている気がして。
俺の叫び声を聞いてすぐに後ろへ下がる望月。しかし、今度は少し遅かった。
望月もそう判断したのだろう。すかさず俺の前へ立ち塞がり、爆発から守ろうとしているのが見えた。
*****
放送室から爆発が起こる。放送室全体だけの被害ではあったが、俺たち二人を吹き飛ばすには十分すぎる威力だった。すぐに壁に打ち付けられた俺は気を失い、そのまま目を閉じた。
対して望月は気は失わずにやはり俺の元へ駆け寄っていた。
「やっぱり君はこの程度の炎じゃ身を焼かれないんだね……。ちょっと待って……」
当然その声は俺の耳には届いていない。それでも望月は続けた。
「時間逆行──」
いつかのように青白い光が船の一階を包み込む。数秒ほど青白い光を発生させた後、俺の体を揺すり起こした。
「奏斗くん、起きて。もう大丈夫だろう?」
「…………ん?」
俺は半開きの目で望月を見た。そして状況の理解が追いつかないまま起き上がる。
「あれ、俺、確かに吹き飛んで……。怪我は、あれ、無い……?」
体のあちこちを見回す俺。服やズボンには炎で焼けこげた跡が少しあるだけで傷はまるでなかった。
「当然だよ。言っただろう? 僕の能力について。僕の時間逆行は時間を巻き戻す能力だからね。君の怪我も気絶も、全部なかったことにしたんだ」
キョトンとしたままそうだったのか、とその言葉の意味だけは理解する。同時に今までのことが鮮明に浮かび上がり、俺はすぐに立ち上がって放送室の中へ単身飛び込んで行った。
「あ、ちょっと、その中はまだ燃えて……!」
その言葉通り放送室の中は煤だらけで、炎がところどころ見え隠れしている。
「さっきね、君の前に立った時、爆発に触れたんだ。だからそれと同時に時間を巻き戻して威力を殺そうとしたんだけど少し間に合わなくて若干燃えてるんだよ。今全部の火を消すから」
そう言って躊躇う様子も見せずに炎に触れる。当然望月の手は火傷でただ事では済まないはずなのだが……。
「消えた……」
その感想にクスリ、と笑いかけて望月は続ける。
「だから言っただろう? 時間を巻き戻せるんだって。あ、そうだ忘れていたけど僕ね、不感症で感覚が全くないんだ。だから刺されても血は出るけど痛みは感じないんだよ」
そう言うことだったのか、と納得した。しかし、それであってもだ。
「でも血は出るって……危ないことに変わりはないじゃないか……」
「心配はご無用だよ。それより、さっきのことについてちょっと聞きたいことがあるんだ」
そう言って俺の隣へ寄る望月。そして俺の目を真っ直ぐに見てこう質問した。
「離れろ、とあの時言ったね。つまり君はあの状況……いや、あの能力、と言った方が良いのかな。あれを見た事があったのかい?」
この質問に答えるつもりだったのだが、あの日、事件当日のことが頭全体を駆け巡り、俺は思わず口を抑えてしまった。
「……例の爆発事件。あれについて最も詳しいのは君なんだ。辛いのはわかるけど……どうか教えてほしい」
今までにないほど優しい目で訴えかける望月に負け、俺はあの事件の話をした。
話終えると望月は目を伏せ一言、ありがとう、と俺に礼を言った。そのあとは放送室を一通り調べてから二階へ戻ったのだが、デッキまで移動するとこれはまたとてつもない光景が目の前に広がっていた。
「篠山くん、これってどういうことなの?」
「あ、望月さん……いや、普通に襲われたので、全員対処しただけです。それにこいつら、格好を見るにヨガラスの連中ですよね」
そう淡々と述べる篠山の周りには全身黒ずくめの服装をした人間が散乱していた。一人は血を吹いて倒れていたり、一人は普通に倒れていたり様々だ。
唯一の常識人だと思っていた人がこんなことの出来る人だとは思えず、篠山の顔を見る。すると篠山は苦笑をしてこう答えた。
「敵に容赦できるほど俺は優しくないんだ」
その回答に対して望月も同意する。
「誰だってそうだよ。それより、君にも話しておかないと」
ちらりと俺を見やる望月。俺は何となく気になった単語の名前を口にする。
「ヨガラス、のことだよね……」
「察しがいいね」
そう言って望月は簡単に説明した。ヨガラス、というのはアビスを長らく悩ませている敵対組織の通称で、その構成員のほとんどがアビスと同じ能力者であること。大抵が犯罪を起こしていること。そして、そのトップについては何も情報がないこと。
この説明が終わるまでに俺はあるひとつの考えに至る。
「もしかしてそのトップって、人を爆弾にする能力とかだったりしませんか……?」
「さあ、ね。でも可能性はあると思う。実際さっきもああだったから」
「ヨガラス……ここでもまた邪魔されるのかぁ俺たちは……」
頭を抱える篠山の肩を、慰めるようにポンポンと叩く望月。俺はその二人を他所に、これからの事を考えていた。
もし、これからもこんなことが起きるなら。俺は本当はひとりでいるべきなのかもしれない。そう思うとこの二人には申し訳ないが、離れることが一番いいのだろうか。
「奏斗くん。またぼーっとしてるよ」
「ぼんやりするのが好きかもしれないでしょ、いやそれは無いのかな……えっと、ね。奏斗くん、さっき秋夜さんから電話あったの君も聞いてたと思うけど、もうすぐで迎えに来てくれるらしいんだけど、今度は秋夜さんの船で東京に向かうって。あと、秋夜さんと合流したらそれからは秋夜さんも加わるって」
確かに、どこのものか分からない船でこうなってしまった以上、それが一番安全なのだろう。
「んじゃ、僕からもついでに報告。放送室だけどね、一応調べけどやっぱりあの砂嵐を流した痕跡が残ってた。船長殺しもヨガラスの仕業だね」
「やっぱりそういう感じかあ……」
またしても頭を抱え始めた篠山。それと同時に何かが海水を掻き分けてくるエンジン音を耳にする。見れば小さな船がこちらに向かっていた。それを見るやいなや篠山はデッキの手すりに飛びついて大きく両手を振った。
「秋夜さーん!」
それに応えて船を操縦する秋夜も手を振り返した。
「行こう。こんな動かないぽんこつは飽き飽きだよ」
俺もその言葉に頷き返し、笑って冗談で返すことにした。
「ただ浮いてるだけの鉄の塊、だもんね」
「じゃあお先に!」
そう言って秋夜の船の方に飛び移ったのは意外にも篠山の方だった。俺と望月も続けて船へと飛び乗った。
それを見届けてから秋夜は船を走らせる。
「間に合ったようで何より。それとあの船のことはアビスの別部隊が操作を受け持つ事になった。だから一旦忘れていいぞ」
「一旦とかまた含みのある言い方してますね」
篠山の発言に対し、少し同情を混ぜたような顔を見せてから反応を返す。
「正直もう疲れたんじゃないのか? だからああ言ったんだが」
「その通りだよ疲れた。だから一刻も早く地上に降ろしてくれ」
食い入るようにそう言った望月に対しては辛辣な言葉を投げ返す。
「海に降ろしてもいいんだが」
「うっわ……」
そんなやり取りをしている間に、どんどんと近付いてくるあの繁華街。俺は胸のざわめきを隠すように船を波打つ海水を見た。一瞬俺の顔が反射されて写ったようにも見えたが、脳の錯覚だろうと思い込んだ。
事件を解決したいという思いとは裏腹に、あのデパートには近付きたくないというこの気持ち。いつかは整理しなければならない。
「奏斗くん。色々とすまない。けど、俺がいる限りこのバカにはもう迷惑かけさせたりしないさ。絶対に君の無罪を証明する」
秋夜のその声に反応して俺は顔を上げる。そういえば、俺は本来の目的まで見失いかけていたかもしれない。
「はい……! 俺も、もう迷いません」
ずっと先を見据えれば、そこにはもう東京の街が目に見えていた。
*****
船を近場の港(ちゃんとした場所ではなく適当にそれっぽい場所)に停めた秋夜。全員が先に船を降りるのを見計らって最後に船を後にする。久しぶりのちゃんとした陸地に安心を覚えながら足を進めた。
ちょっと進んだだけで街中に入る。俺はこの街の光景には実は全く慣れていないのだが、どこか懐かしさを覚えていたことにまず驚いた。
「まず……やはりホテルからかな」
「え……事故現場は!?」
そう聞き返していたのは望月だった。
「おい……お前ら忘れてないか? もうだいぶ時間が来てるんだよ。正直夕方だし出歩きたく無い」
夕方だし、という言葉に違和感を覚えて俺もつい口を挟んでしまった。
「夕方だとなにかまずいんですか?」
「ああ、言っていなかったね……。実はヨガラスの主な活動拠点はここ、東京なんだよ。そして彼らの活動時間は……夜が多いんだ」
「つまり日が沈みかけてる時に、騒ぎを起こしたばかりで動きたくないってことだね。正直俺もそれには賛成です」
望月に続き篠山が意見を述べる。
「そういうこと。もうすぐホテルに着くから今日は休め。もちろんうちの管轄だ」
秋夜がそう口にした瞬間に望月は秋夜に後ろから飛びついた。その衝撃で少しよろめく秋夜。そんなこともお構い無しに秋夜に抱きついたまま、秋夜の頭をもしゃくしゃしながら望月は続ける。
「さすが秋夜さん! 素敵! 大好き!」
頭をもみくちゃにされた秋夜はそのままスっと望月を降ろして冷静な声でこう告げた。
「佐久間さんの真似なら二度とやるなよ」
「ちぇ、つまんないの」
望月はまた唇を尖らせてしまった。それを見て篠山は俺に声をかける。
「人が増えちゃってまた大変になっちゃうけど大丈夫?」
「大丈夫。ごめん、心配かけて」
篠山の気遣いに俺も笑顔で答える。きっとこの人のこの優しさがみんなを支えているような、そんな気がした。
「着いたぞ。先にはいるなら……」
「一番は譲らなぁぁい!」
真っ先に飛び込んだのはやはり望月だった。続いて篠山。
「ちょっと……俺も入ります!」
その様子を見てからこちらに先を促す秋夜に、俺は断って先を譲った。
「うん、じゃあお先に」
ホテルは以外にも簡素な作りでどこにでもあるホテル、と言ったような外観だった。内装もありふれた物だろう。先に入口を通り、ロビーでソワソワしていた二人。俺もあとから入りそれを見つける。
秋夜はチェックインのために受付と話し合っているので俺も結局向こうの二人と混ざることになりそうだ。
「お部屋はどこになるのかなー!」
「望月さん……もうちょっと落ち着きましょうよぉ……」
案の定はしゃぐ望月を宥める篠山に俺も加担し望月を抑えることにする。
「子供じゃない、んだよね、この人」
今更すぎる質問に少し困った顔をして答える篠山。
「どうだろう、精神的には子供だと思うけど」
「酷いぞー?」
じーっとこちらを睨みつける望月。その頭の上に秋夜が手を乗せた。
「チェックインは済んだ。俺たちの部屋は二階だ。行くぞ」
不満そうな顔のままついて行く望月に、苦笑を浮かべるしかない俺たちなのであった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます