Ⅶ.【冥王と白ポプラ】

*****


「え、コレー様にプレゼント、ですか?」


冥界にコレーが来てからさらに数日が経過していた。


この間食事を共にしてからというもの、ハデスとコレーの仲はなかなかに良好で、特に進展したというわけではないが、少なくとも冥界に来た当初のわだかまりはなくなり、共に食事をしたりお喋りに興じたりと互いに楽しく過ごしている様子だった。


そんな折、ヒュプノス以下冥界神たちは例によって冥王神殿の広間に集められた。コレーは現在湯浴みをしており、彼女がいない隙に、という感じでハデスから「コレーに贈り物をしたい」というむねの提案とその内容についての相談があったのである。


「そうだ。皆も知っての通り、私はそのあたりの事にはうとい。そこでお前たちの知恵を借りたいのだ。なにかいい案はないか?」


すると、カロンが真っ先に自信満々といった顔で発言した。


「そんなモン、宝石や金の類いに決まってますよ!いいですか、ハデス様。女なんてのは誰でも、煌びやかな装飾品や宝石に目がないモンです。ハデス様はせっかく神々イチの

富める者プルトン”であらせられるンですから、宝石や金を山のように贈れば大成功間違いなし!コレー様の心も股もあっさり開くってなモンです」


「…お前に意見を求めた私が間違いだった」


「最低っすね…。」


ハデスとヒュプノスが冷ややかな視線を送るが、当のカロンは何が間違いなのかわからない様子だった。


次に口を開いたのはタナトス。


「ン~…俺なら…、安らかな死…かなー?眠るように逝けるのが幸せだっていうシー…」


「誰がお前の仕事に関連づけろと言った」


呆れるハデスと首を傾げるタナトスを見ながら、珍しく呼び出されたアスカラポスがおずおずと手を挙げていった。


「あの~…やっぱり柘榴じゃダメかなぁ?冥界の柘榴は生産者のボクがいうのもなんだけど、地上のやつを超える最高品質ですっごい自信作なんだけど…」


「…お前の作った柘榴が美味いのは理解しているが…食べ物以外で頼む。亡者でもない望まぬ者を冥界に縛りつけるわけにはいかん」


そう言われてアスカラポスは、ん~…と言いながら黙り込んでしまい、一応参加しているオネイロスもまたむにゃむにゃと寝言を言うばかりで話は一向に進まない。ハデスは諦め、結局この中で一番信頼に足るものにすがった。


「…ヒュプノス、何かないか」


「…それ本気で言ってます?わざわざオレに聞かなくても、ハデス様はコレー様の喜ぶものをご存じでしょーに」


「…?」


いまいち分かっていない様子の主に向かって、仕方なくヒュプノスは溜め息まじりにヒントを与える。


「…コレー様が何の女神かをよくお考えください。そうすればお好きなものがわかるはずですよ」


「コレーが何の女神か…………あ」


*****


「お散歩に誘ってくれて有り難う。神殿の周り以外にも行ってみたかったから嬉しいわ」


声を弾ませ楽しげに笑うコレーを伴い、ハデスは冥界の一画にあるエリュシオンの地までやってきた。


エリュシオンとは現代でいう天国に近い場所である。ここには神に認められた英雄や生前とてもよい行いをした勤勉な者たちだけが住まうことを許され、地上と同じように常世の春の明るい光の中でのびのびと暮らしている。無限の闇が広がる冥界の中で極々狭い範囲にしかない特別な場所だ。


そして、ここは冥界の中で唯一、柘榴以外の花が咲いている。


「まあ!なんて素敵なの…!冥界にもこんな場所があったのね…!」


コレーは喜びに満ちた表情ですぐさま駆け出し、足元に咲く小さな草花を愛でた。そんなコレーの真横に立って草花と触れ合う彼女を見下ろしながら、ハデスはもっと早くに連れてこればよかったと思った。


コレーはしばらく草花と戯れ、それらの植物の放つ香りを存分に吸い込んだ。深呼吸をし、草花が揺れる音に耳を傾けながらじっくりと周りを見回す。


ふと、小高い丘の上に一本の木があるのに気がついた。


「…あら?ねぇハデスおじさま。あの木をもっと近くで見てもいいかしら?」


「あ、ああ…」


ハデスが言うが早いか、コレーはすぐにその木に向かって走り出す。そしてその青々と繁った葉をまじまじと見つめた。


「やっぱり…近くでみるとより一層素敵だわ。なんだかこの木、ここにある植物の中でも特別みたい…。すごく大事に手入れされてるもの…。」


その言葉にハデスはどきりとした。


「この木はひょっとして…おじさまにとって大切なもの?」


「…………」


ハデスは黙り込み、しばし考え込んだ。果たして、どう答えたものか…。そうこうしているうちにハデスの複雑な胸の内を察したらしいコレーが慌てて付け加える。


「…あ、いえ…。無理に答えなくてもいいのよ?ちょっと気になっただけだから…ハデスおじさまが話したくなければ別に…」


「いや…」


ハデスは意を決し、コレーの瞳を真っ直ぐに見て言った。


「コレー…、これから語ることは…もしかすると其方そなたを不快な気持ちにするかもしれん…。だが私は…、其方に知っておいてほしいと思う。私の過ち…いや、最大の罪を、だ。」


「つ…み…?」


その単語にコレーは気が引き締まる思いがした。きちんと聞かなければ…そう思うと自然と背筋が伸びる。


「…その昔、レウケーというニュンペーがいた。オーケアニデスの一人で、白い、というその名の通り、朝靄あさもやのような白い髪と透けるような肌をもつ、そんな乙女だった。」


コレーはごくんと息を呑み、ハデスの瞳をじっと見つめた。その黒い瞳に深い悲哀が漂っているのを見て、女の本能で悟る。


その女性はきっとハデスにとって大切な女性ひとだったのだろうと…。


それでも、コレーは逃げなかった。少しでもその話題を嫌がる素振りを見せれば、ハデスは途端に話をやめ、二度とコレーに彼女の話をしないだろう。でも、コレーには聞く義務があると感じていた。ハデスの事を知りたいならば、彼の隣に並び立ちたいと願うならば、この話を聞くことがその第一歩になると、そう直感していた。


ハデスはコレーの決意を知ってか知らずか、コレーの反応を見ながらゆっくりと話を続ける。


「…彼女とは、『大地の裂け目』から程近いところにある森の中で出会った。まだ私が、この冥界の主となって間もない頃だ。美しい泉から幾つもの小川が流れていて、その一つの化身がレウケーだった。彼女は少し…、いやニュンペーの中ではかなりの変わり者で…私を冥界の主と知ってもおびえることもなく、媚びずへつらわず、対等な友人のような口を聞いた。それが私にはとても新鮮だった。冥界の神を忌み嫌い、おそれる者はとても多いからな。また当時の私には気のおける部下も、友人と呼べる者もおらず、彼女との交遊は貴重な、冥界の主としての自分から解放される唯一の時間だった…。」


コレーは黙って話に聞き入り、ハデスは過去に思いを馳せるように少し目を細めながら語り続けた。


「だがある日をさかいに、彼女は暗い顔を見せるようになった。理由わけを尋ねれば、山を二つ越えた先にある、河の神と結婚が決まったという。レウケーはその神と会ったこともなく、また彼女自身が自由奔放な性質たちだったため、婚姻によって一つの場所に縛りつけられることを憂いていた。そして、若く未熟だった私は深く考えることもなく…彼女の力になりたいと願ってしまった」


ハデスは深く息を吐き、哀しげに顔を歪ませながら言った。


「当時の私は本当に愚かで、冥界のことをよく知りもせず、そして知ろうともせず、ただ一時の正義感に任せて彼女を冥界にかくまった。オーケアニデスは数が多い、彼女が行方をくらませば他の誰かが代わりに結婚し、彼女は婚姻を逃れることができると…安易に考えていた。ほとぼりが冷めたら、彼女を地上に返すつもりだった。…だが、彼女は不死の者ではなかった…」


「あっ…」


「彼女は…冥界の空気に触れるうちにどんどん衰弱していった。だが愚かにも私はそれに気付かず、気付いたときには既に手遅れだった」


ハデスは苦しそうに、絞り出すように、声を震わせながら言った。


「…レウケーは枯れ枝のように痩せ細り、かつての面影はみる影もないほど惨めな姿で死んでいった。私は己の犯した罪の重さに耐えきれず、彼女を白ポプラに変えた。…それが、この木だ」


ハデスは肩を震わせて、片手で顔を覆いながら俯いた。そこには冥界の王としての堂々たる姿ではない、己の罪に押し潰されそうな一人の男の姿があった。


「私と彼女の間に、恋だの愛だのなどという感情があったかどうかはわからない…。だが、私の無知により彼女を追い詰め、弱らせ、死なせた…これは紛れもない事実だ。彼女は私が殺したも同然だ…」


その姿にコレーの胸がぎゅっと締め付けられる。

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