珈琲の花束

春色の雪解け。

第1話 始まりの香り

 なんてことはない一日だった。

 目を覚まして、出勤して、一日働いたら退社するだけ。

 それだけだったのに、どうしてこうなったんだろう。

 思えば、最近はろくに連絡すらできていなかった彼氏から突然連絡があったあの瞬間、私の均衡は崩れ始めてしまったのだ。

 「はあ…。」

 まただ、また溜息。

 溜息を吐くと幸せが逃げると、母から散々言い聞かされてきたのに。

 「もう、疲れちゃったな。」

 だって、会っていきなり別れを告げられるなんて、そんなの思うわけがない。

 彼とはそれなりに長く付き合ってきたと思うし、関係も悪くなかったはずだ。

 それが、どうしてこうなったんだろう。

 いや、違う。

 わかっていたんだ、全部。

 最初から全部わかっていたのに、見て見ぬふりをしていただけ。

 彼が私に辟易していることくらい、もうずっと前から気づいていた。

 あの時確かに彼から漂ったあの香水は、間違いなく他の女のものだった。

 会社のことでも、私の方が先に昇進したことを知ってからは文句ばかりだった彼。

 要は、嫌気がさしたんだろう。

 女っ気もなくて、仕事一筋で、そんな私をきっと、彼は嫌いになったのだ。

 「…ふざけてる。」

 あの男はどれだけ私をコケにしたら気が済むんだろう。

 私が悪かった、なんて、そんなしおらしいこと考えるわけがない。

 「冗談じゃない。あんな男、捨てて当然だわ。」

 私の言葉が、虚しく路地にこだまする。

 やっぱり、少しくらいショックを受けてはいるのかも、なんて。

 「あー、やめやめ!」

 ぱんぱん、と軽く平手で頬を叩くと、すれ違う通行人がぎょっとした顔で私を見つめる。

 なんとも言えぬその気まずさに頬をかいて、足早にその場を立ち去ることにした。

 こんな日は、美味しい珈琲でも飲もう。

 私は何も考えず、ただ思うまま、温かな香りを求めて足を動かしたのだった。

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珈琲の花束 春色の雪解け。 @Haruiro143

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