クライオニクスの塔

Nikone

クライオニクスの塔

「現在地は?」

『ホーロー地区 12番街でス。次回の 開発工事予定区 でしたが 異常気象の 影響により 中止 されましタ』

 AIの案内と地図と照らし合わせて、ようやくそこが目的地だと認識できた。

 頭全体を覆うヘルメットのシールド越しにタブレットを見る。ホログラム形式で映される立体映像の中では、よく磨かれたガラスの天井と活気溢れる人々、建ち並ぶ商店群が活き活きと輝いていた。

 だが今では、黒い空を遮る透明な板はなく、店に下ろされたシャッターはろくな準備もなく放棄された店の様子を隠しきれていない。さらにレンガが敷き詰められた道はところどころ穴が開き、ロボットや自動精算機など機械の残骸が散らばっている。

 バイクに乗ったままの移動は危険だろう。機体から降りて、廃材だらけの町に立つ。乾いた土埃が足元で揺れた。

「RANA、変形解除。自動走行モードに切り替えろ」

『命令 承認』

 機械音とともにパーツを丁寧かつ迅速に畳まれていく。それはやがてスーツケースほどの大きさの正方形に収まった。ハッチから現れた2つの小径タイヤを用いて、障害物を避けながら、舗装されていない地面を走り始める。

「座標地点まで案内を開始」

『目的地 までの ナビゲートを 開始 いたしまス』

 車輪の付いた正方形の箱は、モーター音を響かせながら俺の前を走る。白い表面は基本的に滑らかだが、丸く加工された角から、錆や欠けが侵食している。

 やはり綺麗な状態のままとはいかないようだ。

 ヘルメット越しに周囲を見回す。粉々になったガラスの破片だけでなく、運搬用ロボットの頭部パーツから腐った果実まで、生活感のある品々が無造作に転がっている。

 管理者の居ない建物は、ろくに塗装も修理もされず、骨組みを露わにしたまま佇んでいた。

 急速な発展の余波に呑まれなかった古い町らしい。寸分の狂いもなく設計された故郷とは、何もかもが異なっていた。

「っ……」

『どうかなさいましたカ』

 パリンッと何かを踏みしめた嫌な感触から、靴の裏を覗き込んだ。一際大きなガラスの破片が厚底の黒いブーツに刺さって、鈍い光を反射していた。

 つま先を地面に軽く叩きつければ、細かな破片や土埃とともに外れる。

「何でもない」

『承知 いたしましタ』

 剥がれた破片を、足先で道の端に退ける。ガラスは壁際に積まれた機械の腕にぶつかり、滑りを止めた。

 RANAはわずかにひび割れた液晶画面をこちらに向け、動きを止めていた。だが先を指すだけでタイヤを前へ発進させた。


 元商店街の1本道を歩き続けてしばらく。目印となるネオンの看板が火花を散らしているのが視界の端に映る。

 光を放つ看板には、青いボトルとグラスのマークがあったが、グラスの方は既に暗がりの一部となっている。それらのマークを丸く囲む線は途切れ、中の配線がオイルを垂らしている。滴る油は壊れた機械の断面に吸い込まれていた。

「……鼻が麻痺しそうだ」

『健康状態に 変化は ございますカ』

「いや。ただ、お前みたいに自力でセンサーをオフにできれば楽だろうな」

『人間に そのような機能は 搭載されて おりませン。また 当機ワタシに 嗅覚センサーは 搭載されて おりませン』

「……そのくらい分かってる」

 頭の固いAIに、ヘルメットの中でため息を零した。

 ネオンの下の店は、他の建物と比べると、破損が進行していないようだ。剥がれた紫の塗装と歪んだ壁が特徴的だった。

 店にはシャッターが下ろされておらず、片割れが外れたスイングドアが唯一の出入り口となっていた。

 ギィと軋むドアを押し、中の様子を伺う。内装は人工木のバーカウンターと丸い椅子、酒瓶の代わりに埃が積まれた棚だけの、シンプルな作りだ。カウンターの後ろにはテーブル席がいくつか設けられていたらしく、四角いテーブルと椅子が壁際に並べられている。

 客席を脇にどけて作られた空間には、プラスチックの袋と箱がまとめて置かれていた。中には携帯食と水筒などの食料だけでなく、予備の防護スーツやバッテリーなど日用品も入っていた。確実に1週間は過ごせる量だろう。

「RANA、全部外に持っていってくれ」

『承知 いたしましタ』

 側面から伸ばした2本のアームで荷物を掴み、外へ運び出していく。掴む動作に特化したアームで器用に仕事をこなしていた。


 運び出しをぼんやりと眺めながら、崩れかけて乾いた土が覗く壁にもたれかかる。

 うなじ付近に設置されたボタンを手探りで押し、ヘルメットを外す。綺麗とは言い難い空気を吸いながら、片手で固まりかけた髪を乱した。丸く押さえつけられて癖のついた髪より、その方がずっとマシだろう。今一度、ジャケットを羽織り直し、眉間を指で押さえた。

 呼吸を整えて、取り出した通信機に、箱に印字されたコードを入力する。

 瞬きの猶予もなく、皺の入った顔をした白髪の老女が立体映像に現れた。光波が安定しないせいか、音声と映像のノイズが酷い。通信装置のサイズが小さく、立体映像も安価な通信回路で稼働することだけが唯一の利点だ。

「指定の物資、受け取りを完了した」

「そりゃ何よりだ。こっちも振り込みは確認済みだよ」

 スピーカーからしゃがれた声が、煙とともに吐き出される。数週間前の連絡で、タバコという古来の趣向品を手に入れたと言っていたことを思い出した。

「しかしアンタ、本当に先まで行くのかい?」

 通話終了ボタンにかけられた指を止めた。映像の中の女は、細い指に紙の筒を挟み、怪訝そうに眉をひそめていた。

「婆さんこそ、俺がここで止まれると思うのか」

「あそこは危険物質の濃度も高い。建物が崩れるのも時間の問題だって、避難した連中はそればっかり言ってるよ」

「それより前に会いに行けばいい話じゃないか」

「装置やコンピュータが壊れてる可能性を考えたことあるかい。志半ばで倒れる可能性はどうだ? アンタみたいな若いのが、それでも行くというのか?」

「そうだ」

 頷く首にも、言葉を発する喉にも力が入る。

 エゴを貫き通すことを迷う時期は、とうに過ぎ去っていた。

「……アンタ、コレに会うためにそこまでするのかい?」

 モニター越しに、彼女は枯れた枝のような小指を上げた。

 この人は昔のスラングをよく使う。しかしその意味はコンピュータにも登録されていない。古い文献には、親しい人と記載されていたはずだ。

「それだけが、俺の目的だ」

 自然と、装置を握る腕に熱がこもる。

 婆はタバコを咥え直した。その瞳は通信機の方に向けられている。しばし息を吸った後、煙を上へ流した。

「それなら、何を言っても無駄だろうね。くれぐれも気をつけて行くんだよ。もうじきその辺にも、最後の避難誘導がくる」

 各地で避難誘導が着々と進んでいると聞いていたが、予想以上の進捗だった。救助隊に連れ戻されては、これまでの苦労も水の泡になる。

「近い内に、ここを発つ」

「それがいいさ」

 掠れた声は気丈ながらも、表情には陰りがあった。映像が不安定なホログラム越しでも分かるほど、顕著な変化だ。

「……きっとこれが最後の補給だろう。これまで長い間、世話になったな」

 長い間動かしていなかったせいで、上手く笑えているか分からない。それでも泣いて別れるよりはいい。

 婆は僅かに目を見開いた。しかしいくらか短くなったタバコを持ち直し、薄い唇を横に引いた。

「せいぜい頑張んな。……死ぬんじゃないよ、シクン」

「アンタもな、婆さん」

 ホログラムに触れるように横へフリックする。老女の姿は消え、薄い通信機だけが残った。


『シクンさま 本日は こちらでの睡眠を 推奨 いたしまス』

 店を出ようとした直後、仕事を終えたRANAはスピーカーを鳴らした。

「急いでることをインプットしてないのか?」

『しかし 休息は 人間の活動を 効率化するために 必要不可欠でス。前回の睡眠は 2155年 10月 12日 5時間 でス。既に 3日 が経過していまス』

 液晶のカメラ機能が起動し、俺の顔が写される。先日よりも隈が色濃くなり、短く整えた毛先が軋んでいた。乾いた眼はいくらか赤くなり、肌は生気がなく青白い。

「スケジュールの変更案は?」

『現在の時刻は 22時45分。睡眠を 確保した後 明日の 5時 に出立すれば 予定通りの 到着が可能です』

 画面が切り替わる。自動的に簡単な表を作成し、睡眠の利点を短くまとめている。

「お前は優秀なAIだな」

『シクンさまと マツリさまの 成果 でス』

「……そうだな」

 四角い箱を軽く叩く。胃の奥が締めつけられるような心地がした。


 バー全体にバリアを展開するよう、RANAに簡単な指示を送る。それは旅の中で繰り返してきた行動パターンを、狂わず正確になぞっていた。

 画面からスキャナーを伸ばす人工知能を横目に、カウンター席に腰掛ける。歯ぎしりのような音が大きく鳴った。

 渡された携帯食糧のゼリーを流し込み、タブレットを操作する。回線からホログラムを起動すると、映像が大写しになる。

〈新製品:ホバー&ウォーターバイク これからバイクは水陸空の時代だ!〉

 世俗的なキャッチコピーとともに、バイクの立体映像が現れる。海も川もなく、異常気象の多い地球には、無用の長物だろう。

 指を横にフリックするだけで、それまで映っていた立体映像は幻のように跡形もなく消える。

〈これであなたも夢の電脳世界へ! 何もかも忘れて幻想的な空間へダイブできる動画をダウンロードしませんか?〉

 次。

〈「探しています」 ……この人を見かけた方は、こちらのアドレスまでご連絡ください〉

 次。

〈入植可能な惑星群を発見。タタラ マツリ氏の惑星進化論〉

 ……次。

〈タタラ マツリ氏、初の宇宙飛行で未知の物質の確保に成功〉

 …………次。

〈タタラ マツリ氏、謎の失踪。度重なる宇宙飛行が原因か?〉

 ………………次。

〈クライオニクス・センター(CSC)データベースへようこそ〉

 今度は指を縦に弾いた。立体的な文字情報と画像が上から下へ流れていく。選択画面から登録情報検索の欄に触れ、目当ての名前を探す。あの名前を見つけるのは、息をするより簡単になっていた。

【登録番号113071:タタラ マツリ 状態:分子結合崩壊 解凍日:未定】

 地球が滅びかけている今でさえ、情報の自動更新はメインコンピュータによって絶えず行われている。人がいなくなっても動き続けるマシンがなければ、俺は呼吸を諦めていたかもしれない。

 深い息をついて、タブレットの電源を切る。黒い画面には、濡れた瞳を揺らしている、見飽きた顔が映っていた。


「そろそろ寝る」

『承知 いたしましタ。起床時間は いかが いたしましょウ』

「4時に設定」

『登録を 完了いたしましタ。スリープモードへ 移行しまス』

「ああ、おやすみ」

 ラナの暗くなった画面を確認して、ベッドのように並べた椅子と薄いブランケットの間に身を滑り込ませる。

 目を閉じてしまえば、誰も居ない空間には音一つない。この静けさに気が狂いそうになる時もあったが、結局すぐに慣れた。

 それを聞けば、多弁な彼女が口を閉ざし、目を伏せるだろう。その姿は、容易に想像できてしまう。


 ※


「私からの依頼品だ。これを君に託したい」

 マツリのいる研究所に荷物を届けた帰りだった。配送用の原付に跨ろうとした時、彼女は表面が磨かれた鉄の箱を差し出した。

「これは?」

「開発中のロボットだよ。コモイス鉄を用いた最新作でね、プログラム次第では箱から機械への変形も可能だ」

 彼女は得意げに胸を張っていた。幼い子どものような、あどけない笑みを浮かべている。

「コモイス鉄の相場価格は?」

「1gで300ビルノート」

「今すぐ返していいか?」

「ダメ」

 希少価値の高さに、俺は迷わず突き返したくなった。

 この機械を作るだけで、配達員の給料何年分だろうか。腕に乗りかかる重みは、決してグラム単位で収まる次元ではない。

「第一なんで研究所に預けないんだ?」

「この子に自律型プログラムを仕込む予定でね、一番腕のいいエンジニアと言ったら、君しか思い付かない」

 電球のように快活な笑顔が向けられた。自分の言うことが絶対に正しいと信じて疑わない。そんな自信を感じさせる笑みだった。

「優秀な研究者様が、しがない配達員に無理をおっしゃる」

「肩書きは1つの判断要素でしかない。私が君を信じるのは、技術力が高く、何より公平な人間だと知っているからだ」

 マツリの華奢な手が、俺の手に添えられる。分厚い手袋越しにも、暖かさは伝わってきた。

「私が惑星探索から帰って来たら渡してくれ。君の手にそれがある限り、私は君の元へ帰ってくると誓おう」

 明るい黄褐色の瞳が近付く。添えられていた手は箱に移り、傷一つない表面をいたわるように撫でた。肩肘から力を抜き、目を細めて微笑む姿は、先ほどの自信に満ちた表情とは大きく異なっている。

「そんな恥ずかしいこと、よく言えるな」

「私がこんなことを言うのは、君だけだよ」

 潤んだ眼がまっすぐに俺を捉える。恋い慕うような眼差しは、何も知らない人が見れば、好意を抱かざるを得ないほど熱と愛嬌を帯びている。ただし、そのように見えるだけだ。

「しなを作るな」

「……なんだ、バレたか」

 わざとらしく肩をすくめるも、悪びれる様子はない。それどころか、残念とでも言いたげに、細く息を吐いた。

「そんな真似しなくても、帰って来るまでコイツと待ってる」

 機体を軽く小突いてみる。箱はそれに応えるように、側面から管のように伸びるアームを出した。単純な動きしかできないアームで、掴み仕草を二、三回繰り返す。

「挨拶のつもりか?」

「あらかじめ簡単な動作は登録しておいた。あとは君の好きに学習させてくれ」

 マツリは箱から手を離して俯くと、顔を上げた時には元の余裕ぶった微笑みに戻っていた。だが眉は力なく下がり、手持無沙汰な指は白衣の端をもてあそんでいる。隠そうとしても、癖は中々変わらないものらしい。

 アームが収納された箱を原付バイクの荷台に載せ、磨き上げられた側面に腕を預けた。

「……絶対帰って来いよ。じゃないとコイツを適当なジャンク屋に売り飛ばしてやる」

「ははは、それは困るよ」

 簡単に分かる冗談に、彼女は薄ら笑いをわずかに引き攣らせた。崩れた余裕と感傷に、思わずほおが緩んだ。きっと彼女と同じくらい、意気揚々と笑っているかもしれない。

「けどま、もし帰って来なかった時は、俺がマツリのとこまで届けてやる」

「相変わらず、頼もしいな。……君のためにも、必ず成果とともに地球へ戻ろう」

 嘘つき。その言葉すら投げつけてやれなかった。

 気が付けば、周囲の景色がなくなっていた。がらんどうの駐車場でも、ビルに囲まれた故郷でもなく、前後も上下も分からない暗闇の中にいた。

 闇に沈んでいく感覚とは対照的に、意識はくっきりと浮上していく。

 宇宙船に乗って帰って来た彼女は、存在することすらままならなくなっていた。分子を適切な位置に保つことが難しくなったからだ。分子構造を不安定にさせるビアガラ粒子の影響だと知ったのは、涙を枯らした後だった。

 言えなかった言葉も、果たせなかった約束も、途絶えることなく頭の中で反響している。


 ※


 ブランケットをまくり、上体を起こしていた。

 浅い呼吸を繰り返し、酸欠で零れる涙を拭う。あまりにも止まらない涙と嗚咽に、顔をべたつく手で覆う。心臓の鼓動がやけにうるさい。片手で胸を押さえてみても、何も変わらない。

 過去の再演を見るのは、これが初めてではないのに。

「げほ、おぇ、ぅ……」

 吸った息が苦しくて、吐きそうだ。咳のせいで喉が圧迫される。

 一時の幻覚に溺れる願望は、ぴったりと背中にくっついているのだろうか。でなければ寝る度にあの夢を見ることはないはずだ。

 だが、幻覚でも夢でも、マツリに会う夢を見た後は、浅ましくも頬がだらしなく緩んでしまう。

「……もうお前の隣には立てないか」

 籠った声に応える人は、ここにはいない。


 布で顔を拭って、ようやく見られる顔になった。目の腫れが残っているが、どのみち顔は隠すから問題ない。

 大丈夫と言い聞かせながら、身支度を整えている間にも、スリープモードを解除したRANAはバイクへと変形していた。物資を詰んだ袋は座席の後ろの荷台に放り込まれている。

 息をついて、ヘルメットを被る。バイクに跨りエンジンをかければ、バイクのタブレットにデータが反映される。

「RANA、座標までの距離は?」

『目標地点の CSC までは 残り20.8km。異常気象などを 考慮すると 最短でも 2日 になりまス』

「最短ルートを通れ。なるべく早く着きたい」

『承知 いたしましタ。ナビゲーションを 開始 いたしまス』

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