夢守 ~夢に向かって頑張る人のサポーター

C@CO

前編その1

「私たち、もう別れましょう」


 その言葉を告げられて、


 ――来るときがついにやってきたか。


 浮かべていた笑みが顔からすり落ちていくのを透真は感じていた。


 今日は透真の誕生日。とは言え、ダイニングテーブルの反対側に座る圭子との間では、ここ3年、特別なことを行っていない。圭子も今日が何の日かは全く頭の中にない。彼女の涼やかなガーリー系のコーデは男の目を惹きつけるが、透真のために着ているわけでは決してない。


 圭子の誕生日や恋人同士になった記念日などでは、今でも透真は花やケーキを買ってきてプレゼントしている。彼なりに祝っているつもりだったが、義務感だけだったかもしれない。


 かつてはアクセサリーとかそれなりに値が張るものを贈ったりしていた。付き合い始めたころは、


「わー! ありがとう! 大事にするね!」


 素直に喜んで、デートの時なんかにはプレゼントしたアクセサリーを身に着けていたが、それもなくなった。それどころか、贈った時に、


「ふーん。ま、ありがと」


と生返事を一つするだけで、中身をろくに見ることなく、直ぐに片付けられた。


 そして、数日後、彼女がリユースショップに入っていくのを見て、透真はそのたぐいを贈ることを止めた。リユースショップに入っていった彼女の手には、贈ったアクセサリーが入っていた紙袋が下がっていた。


 二人の関係はすでに冷え切っていた。それでも、


 ――いつか、もう1回やりなおせるチャンスが来る時があるのではないか。


 そんな淡い一抹いちまつの希望を抱いていた。自分の誕生日に部屋にいたこともその希望が実現する可能性に期待していたから。逆に、別れの言葉を告げられる可能性の方が高いのは分かっていた。


 二人は小学校から高校まで同級生で家も近所。いわゆる幼馴染と言える関係だったが、恋人になったのは高校生になってから。


 高校卒業後、透真は東京の大学に進学するために、地元から一人上京した。大学を出たら、地元の企業に就職して戻るつもりだった。それ以外の道はなかった。何かなりたい職業も無く、やりたいことも無かった。実現したい夢も無かった。


 そこに、地元の専門学校に進学したはずの圭子が、


「やっぱり、声優になりたい!」

「声優の養成所に入る!」


と宣言して、一人暮らししていた古アパートの部屋に転がり込んできた。


 中学生の時から彼女の声優志望は知っていたが、専門学校への進学を告げられた時に「その夢はあきらめた」と透真は思っていた。確かに圭子は諦めていた。変えたのは、高校の同級生でオタ活仲間だった女の子がアニメ関連の会社に就職したことを知ったから。


 ――彼女には負けられない!


 そう思ったから。もっとも、透真はこのことを知らない。ただ、このように考えただけ。


 ――諦めきれなかったのか。

 ――まあ、仕方ない。応援するか。


 恋人だから、という義務的なところもあったが、もっと大きかったのは何よりその時の夢を見ている彼女がひどく格好良く、そしてまぶしく見えたから。


 とは言え、透真にとって最初の2年間は地獄だった。


 圭子は盛大な親子喧嘩をしたうえで半ば家出する形で東京に来たから、彼女の家族からの援助は期待できず。もちろん、透真の家族にも経済的余裕は無かった。


 始めのうちは、彼女も声優養成所の受講料を稼ぐためにバイトをしていたが、


「無理無理! 追いつけない! 全然スキルが足りない!」


 そう言って、バイトの時間を減らして、自分で特訓する時間に割り当てていった。思っていた以上に周りのレベルが高く、圭子は現実とのギャップに打ちのめされていた。


「養成所を卒業すれば、自動的に声優になれるわけじゃない。養成所の中でもごくわずかなトップの数人、下手をすると一人いるかいないか、にしか事務所から声がかからないの。事務所に所属できなければ、仕事のオーディションの話も回ってこない」


と、透真は聞かされていたから、


 ――仕方ない。


 彼女の行動を諦めも含めて見守った。


 圭子の周りも多くが働いていた。養成所通いとバイトの二足の草鞋わらじ。実家暮らしをしていたらまだましで、上京して一人暮らしをしていたら、生きていくためカツカツの生活を送っていた。そういう生活だと、家族から援助を受けている人と比べると、十分にスキルを磨くことが出来ずに、大きなハンデを負うことになる。


「だから逆に、その分を声優のスキル向上につぎ込められれば、アドバンテージを得られるんだよ!」


 そんな事情も聞いていたから、二人分の生活費を稼いだ。圭子の夢を応援するために。いくつものバイトをかけ持ちをした。声優養成所の受講料も払った。睡眠も削っていたから、大学の講義は休息の一時、つまりシエスタタイム睡眠時間となっていた。身体をボロボロにしながら働いた。


 ――なんで、こんなに一生懸命働かないといけないんだ?


 と思ったことは一度や二度どころではない。


 ――結局、あの時、その答えを見つけていたら、今のこの結果は変わっていただろうか?

 ――あるいは、あの時、身体を本当に壊していたら?


 そうならなかったのは、意外な自分の才能に気付いたから。


 ちょっとバイトのシフトを入れすぎて、バイト代が予想より多くまとまって入ってきた時があった。


 それを自分へのご褒美なり、圭子へのプレゼントなりに使うことも出来た。あるいは、何かあった時に備えて貯金することも出来た。


 だけど、透真が選んだのは、株への投資。たまたま、証券会社の広告に目が止まったから。後から考えれば、裏目に出て、目減りする可能性もあった。むしろ、大抵はそうなる。


 けれど、実際には、幸運の女神が微笑ほほえみかけてきた。


 ある会社の株を買った2週間後、1つのプレスリリースが会社から出された。新規事業を始める、と。それだけなら一時的に株価が上昇するだけだったのが、経済系メディアがその新規事業で世界的巨大企業とタッグを組む可能性を示唆する報道をしたことで、株価がさらに吹きあがった。


 透真が10万円で買った株が220万円までになった。その時点で売却した。


 そんな大金が転がり込んできたら、浮かれ騒いでもおかしくないが、透真は感情を表に出すことなく、圭子に伝えることもなく、淡々と別の株にまた投資した。


 ――未来のために。


 それが、そのままコロコロと雪ダルマ式に転がった。株式相場が上り調子だった時も落ちた時も。もしかすると、彼のそばには投資の女神が居続けているのかもしれない。


 圭子が転がり込んできた2年目の最後の頃には、二人の生活費は透真が身体に鞭打って稼いだバイト代ではなく、株で稼いだ分から出るようになっていた。住むところも、築20年越えのワンルームの古アパートから、築4年の新しくて綺麗なマンションの3LDKの部屋に引っ越した。生活費だけではない。圭子の衣服も化粧品はもちろん、ヘアサロン、ネイルと、もろもろも出した。配信番組などで出演する際の衣装もメイクもほとんどが自前だったから、そんな時に彼女が恥をかかないように、笑われないように。それは今も変わらない。マンションの部屋の1つは圭子の衣装クローゼットと化している。


 ――財布に余裕があったからしたのだが、そこまでしたのはもしかすると間違っていたのかもしれない。


 株で稼いでいることは伝えていたが、最初に伝えた時、彼女の顔は晴れたものにはなっていなかった。


 それでも、養成所の卒業を間近に控えていた圭子が、ある声優事務所から声を掛けられて、所属が決まった時は、透真も圭子も手を取り合って喜んだ。


 台詞が2つ3つしかない端役だけど、初めてアニメのキャストとして名前が出る役を射止めた時は、買っていたクラッカーをまとめて打ち鳴らして、祝った。


 ――ここから、圭子の快進撃は始まる。


 透真はその時そう思っていたが、現実は甘くなかった。


 職業「声優」としてそれだけで食っていける人が、日本に何人いると思う?


 デビューして老いるまで継続して活動できるのは、その世代で何人いるだろうか?


 声優の主舞台となるアニメは、1クール3か月に約50本。1年で200本。そこから割り当てられる役の数はいくつ?


 さらに、ゲームのボイス、海外作品の吹き替え、ナレーションの仕事などが加わる。それだけあれば、十分?


 ある専門雑誌が作った声優の名簿には2000人弱の名前が載っているが、これは20年前の同じ名簿に掲載された数の5倍近い。しかも、実際にはもっと人数は多く、一説には1万人という数字もある。そこに、毎年新人が飛び込んでくる。もちろん、業界を離れる人もいるだろうが、明らかに増える人数の方が多い。加えて、もちろん1人1役ではない。実力と人気を兼ね備えた人が4つ5つそれ以上ゴッソリと持っていくから、それ以外に割り振られるのはもっと減る。


 残されたパイを、新人、若手、中堅、ベテラン、時には大御所までがなりふり構わず争奪戦を繰り返す、熾烈なサバイバル世界。


 声優としてのスキルはあって当たり前。収録の際に、演じるキャラクターをどのように表現するか考える想像力。制作スタッフからの様々な注文に応えることが出来る臨機応変さ。宣伝のためのラジオやネット配信で、視聴者を飽きさせない話術と、共演者と掛け合いが出来て、場を盛り上げることが出来るコミュニケーション能力。時には大勢のファンの前で披露できる歌唱力、ダンススキルに度胸。などなど。


 そして、最も大切なのは強い心。


 1度当たり役を得て有名になっても、そのコンテンツが終われば、また次の役を探さなければならない。繰り返されるオーディションは落ちて当たり前。何度も落ちてもめげない強い精神力。常にスキルを磨き続ける強い向上心。これらを続けられるくなき情熱。


 それが圭子の心の中からいつのまにか無くなっていた。


 以前は、透真の前でも、次のオーディションのための台本を手放さなかった。むしろ手放している時間の方が少なかった。地道な基礎トレーニングも欠かしたことがなかった。それが圭子が事務所に所属してからの6年間の間に、段々と無くなっていった。


「練習なんかしなくても、どうにかなるわ」

「基礎トレーニング? つまらないし面白くないもの」


 無駄に外遊びすることも多くなった。3年ほど前からは、透真が知らないメンズ化粧品の匂いをただよわせて帰ってくることも珍しくなくなった。


 夢を追っていた時の輝きが、いつの間にか彼女から消えてなくなっていた。


「最近、彼女の方からオーディションの参加を断ることが多くなっているんだ。いや、断りの連絡があるだけまだいい方だ。この間も連絡もなくキャンセルされた。そんなことをされると、事務所としても考えなければならなくなる」


「君の方からも言ってくれないか。今のままだと彼女との契約を見直さなければならなくなってしまう」


 圭子が所属する事務所のマネージャーから先日、そう言われたが、


 ――あの頃は良かったな。


 昔の光り輝いていた圭子のことを思い出しながら、なつかしむことしかできなかった。


 そんな圭子が透真に最終通告を告げに来た。


「実は赤ちゃんが出来たの」


 その父親は透真ではない。子供ではないから、ヤルことはやっていた。だけど、すでに3年、二人の間でセックスは無かった。


「……その相手は何て?」


「結婚しよう、って」


「そうか」


 相手が誰かは興味が無かった。むしろ、透真の頭によぎったのは、


 ――手切れ金代わりに堕胎費用を求められることはなかったか。


 そんな考えだった。


「透真も別に相手がいるんでしょ」


 二人の関係は、とっくの昔に、仮面夫婦ならぬ、仮面恋人になっていた。


 もう少し前だったら、圭子の言葉を必死で否定したかもしれない。でも、今はそんな気力は湧いてこなかった。


 それに、彼女の言葉はあながち間違いではない。


 もしかすると、二人にもう一度やり直すチャンスが巡って来る、そんな世界線はあるかもしれない。圭子のお腹の中に赤ちゃんがいなければ。あるいは、圭子の言葉を必死で否定する事実と気力があれば。


 が、今の彼らの間に運命の愛の女神は舞い降りて来なかった。


「分かった。これからどうするんだ」


「ここで二人で住みたいな、と思っているんだけど」


 圭子がうかがうように上目遣いで告げてきた言葉に、透真は顔をゆがめたくなるのを抑えた。


 ――勝手なことを。


 と思いながらも、言葉を紡ぐ。言葉の抑揚よくようはとっくの昔に無くなっている。


「……分かった。今晩中に出ていく」


 仕事用に別に部屋を借りているから、行く当てに困ることもない。


 彼女もそれを知ったうえでの台詞だ。行く当てもなく無理やり追い出すほど情が無いわけではない。それ以上でもないが。


「管理会社にはこっちから話を付ける。遅くても、来月分からはお前たちがこの部屋の賃貸契約を新しく結び直してくれ」


「えっ。透真が払ってくれないの」


「……なぜ、払わないといけない」


「これまで透真が払ってくれていたじゃない」


 溜息が出そうになるのを必死に抑えながら、透真は最悪の可能性も視野に入れる。


 ――圭子のお腹の子とその父親も養え、なんて言い出すんじゃないだろうな。


 それと同時に、圭子のことを、


 ――甘やかしすぎたか。


 という考えも頭を過る。


「もしかして、お腹の子供の父親はニートとかか?」


「そんなわけないじゃない。中央省庁で働く国家公務員よ」


 自分のことでもないのに偉そうに言う圭子に、透真は呆れるが、それよりも最悪の可能性が無くなったことに安堵あんどする。嘘を吐かれている可能性はまだ残っているものの、それ以上を知るつもりはなかった。


「それなら、なおさら、賃貸の契約はそっちで引き継いでくれ」


「……?」


「奥さんを通じて自分以外の他の男から金をもらっているなんて、プライドが許さないだろ。国家公務員ならなおさらプライドがあるだろうし、世間体もある」


 納得していない彼女に透真は理由を説明するが、聞き終えても、


 ――男って面倒臭い生き物ね。


 そんな納得していない気持ちを顔から隠さない。


「それに、浮気を疑われてもおかしくない」


 この透真の言葉でようやく納得する。渋々さをありあり出していたが。


 それでようやく透真はダイニングテーブルから立ち上がって、


 ――最後にこれだけは聞いておこう。


「なあ、圭子はこれから声優の仕事はどうするんだ?」


「やめるわよ」


「……」


 間髪入れずに返ってきた言葉を、透真はよく理解できなかった。


「事務所から、このままだと来年以降の契約は更新できない、って言われているの。だったら、もうこっちからおさらばしてやるわ」


 彼女の未練も欠片も感じられない、むしろ「清々した」と言った感じのサバサバした口調に、


 ――あれだけ声優になりたかっただろ。

 ――つかんだ夢を自分から手放すのか。

 ――もう1回頑張ってみようと思わないのか。


 そんな思いが頭を過ったものの、口にすることは止めた。代わりに、言葉にしたのは、


「……そうか」


の一言だけ。透真の心に徒労感がズシャリと圧し掛かってきた。圭子に別れを告げられた時よりも、重く圧し掛かってきた。


 だから、別れの言葉は、


「じゃあな」


 その一言しか思い浮かばなかった。


 もう少し余裕があれば、「幸せになれよ」と嘘でも言えたかもしれない。


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