XⅢ
そこは、都市部を囲う城壁の外。建物も少なく、人気もないヘロボロスの端っこの水辺だった。水辺と言っても、小さな池がいくつかあるだけで、人の営みの代わりに、砂漠では貴重な草木が生い茂る場所だった。
そんな池の側に、二階建ての砂岩の家がある。そこへギンディルは連れてこられていた。
家の中に入ると、かつて幾度も狩りを共にした同胞たちと、身の回りの世話をしてくれた従士たちがいた。
「おぉ、ギンディル様。よくぞご無事で!」
「お待ちしておりました。王子殿下」
皆それぞれに喜びを露わにし、握手を求める者や、礼に伏す者もいた。そんな光景を目の当たりにして、ギンディルはまるで時が遡ったかのような感覚に陥った。
「お前たち、どうして・・・?」
「どうしても何も、我らはギンディル様の従士です。主の側に仕えることこそが、我々の仕事です」
そう言って、自分の胸を叩いたのは、同胞の戦士だった。彼らはわかる。蛇人である彼らの置かれている状況は、ギンディルと同じだ。
そうではなくて、同胞たちと一緒にいる人間の従士たちの方だ。
「なぜ、お前たちまで、俺を助けてくれるんだ?」
「ギンディル様?何をおっしゃいます。我らも戦士の方々と同じ、従士ですよ?殿下のお力になるために、今まで切磋琢磨してきたのです」
「いや、そうではない。お前たちは、・・・」
言葉に言葉詰まってしまったギンディルを、不思議そうな顔で見つめる従士たち。しかし彼らは、いつも通りに、主の言葉を待っていた。
「・・・俺は、お前たちを奴隷としか見てこなかった。お前たちがどんな思いで、俺に仕えてくれていたのか、考えもしなかった。それが奴隷として当たり前だと、そう考えていた。俺は、お前たちを必要としていながら、都合のいい駒のように思っていたんだ」
当人たちを目の前にしての激白。どんな顔をされるか、どんな馬事を飛ばされるかわからない。それでも、ギンディルは包み隠すことはしなかった。
しかし、彼らの反応は、ギンディルが想像もしないことだった。
「ギンディル様は、何か勘違いをされておられるようだ」
そう言ったのは、同胞の戦士だった。
彼は一歩前に進み出て、ギンディルの前に跪いて、ギンディルの手を取った。
「王子殿下。ここにいる、人間の者たちは、奴隷ではありません」
「何をいう。現に首に鉄の輪を付けているではないか?」
「ええそうです。人間の国となった今のヘロボロスにおいても、彼らは首輪をつけたままなのです」
ギンディルは同胞の言葉に、疑念を思った。
確かにリーゲルが奴隷解放のために革命を起こした今、首輪は何の意味も持たない、ただの飾りだ。
なぜ彼らはそれを外そうとしないのだろうか。
「王子殿下。私も、彼らに命を助けられました。たまたま彼らと街中に出ておりましたゆえに、こうして匿ってもらえているのです」
「・・・・」
「殿下はご存じないかもしれませんが、この首輪、実は簡単に外すことが出来るのです」
「・・・なに?」
ギンディルを前に、周囲の人間の従士たちは、自分の首輪を外して見せた。鍵もなく、人の力でも簡単に外せるほど、簡易的な首輪だったのだ。
従士たちは、そのことを見せびらかすようにした後、再び首輪を自分の首にはめていた。
「何をしている。お前たちは、・・・もう・・・」
「奴隷ではない、とおっしゃりたいのですか?」
「そうだ。ここはもう人間の国だ。それに、我ら蛇人は、・・・」
「蛇人は、なんですか?」
「・・・?」
「負けた、とでもいうのでしょうか?」
蛇人は龍の末裔などではない。その真偽はわからなくとも、自分たちを守護する加護も祝福もない。それを信じてくれていた者たちだっているはずだ。そんな者たちを裏切ってしまったことには変わりない。
負けた?確かにリーゲルにはしてやられた。同胞たちの多くも捕まり、この国の蛇人族で、自由に動いていられるのは、今ここにいるギンディルと同胞の戦士たちだけだろう。
それを考えれば、自分たちは醜い争いに負けたと表現しても、間違ってはいないだろう。
だが、彼の言葉に、胸がむしゃくしゃするのは、どうしてだろうか。ギンディルは、やはり腑に落ちなかったのだ。
「確かに私と、殿下は蛇人でございます。ですか、この争いは、人間と蛇人族の争いですか?」
「・・・お前・・・」
「少なくとも、ここにいる者どもは、簒奪者に意を唱える者どもでございます」
戦士がそういうと、従士たちは声をそろえて返答をした。そして、その視線は常に主であったはずのギンディルへ向けられている。彼らは未だ、共にあることを望んでいるのだ。
「どう?気が済んだ?」
後ろから、生意気そうな声音で白髪の少女が聞いてきた。
「あなたが確かめたいこと、これでわかったでしょう?」
「ハル・・・。うっ、お、俺は、お前たちを奴隷として見ていたんだ。それなのに、こんな・・・」
「こんな風に、敬られるものじゃないって?そんなのどうだっていいじゃない。あなたにとって、彼らは大切な同士なんでしょう?」
「あぁそうだ!!俺は、俺にとってお前たちは、かけがえのない仲間なんだ。そう思っていたんだ!」
ギンディルの目から大粒の涙が零れていく。大の男が、こんな風に極めくのはさぞ滑稽に見えるだろうに。その場にいる誰もが、決して笑うことは無かった。ただ静かに見守り、次の一声を待っている。
「俺は悔しかったんだ。俺と、お前たちとの繋がりが、そんな軽薄なものじゃないと、そう思っていたのに!!」
あの簒奪者は、それを侮辱したのだ。
「そうとも!我らの主は、このレシア大砂漠に置いて、最高の狩猟者だ!」
「我らの心は、ギンディル王子と共にある!」
「殿下。お供致します。我らが欲するのは、奴隷の無い国などではありません。あなた様と共に歩む国です!!」
ギンディルの手を取っていた戦士が立ち上がり、その視線をギンディルへと突き付けた。鋭く、得物を狙うかのような、力のこもった視線だった。
周囲にいる従士たちは、皆それぞれに、得物を手に取った。
彼らはずっと待っていたのだ。主とのつながりを絶たれた怒り。自分たちの誇り侮辱された鬱憤を。それを晴らす反逆の時を。
「また、俺と共に歩んでくれるのか?」
その言葉に、従士たちは剣を打ち鳴らす音で答えた。ならばもう、迷う必要はない。
「・・・よし、すぐに戦の準備をする!隠密行動を厳とせよ。必ずや、簒奪者共をこの国から排除する!」
「応!」
ヘロボロスの国の端っこで、力強い雄たけびが響いていたことを、多くの者は知らない。
夜の砂漠は、日中の熱さが嘘のように気温が下がる。風も強く、夜にこそ砂嵐などが発生したりする。
一歩外へ出れば、見渡す限り砂の海。砂丘へ登れば、遥か地平線まで続く砂海が一望できるものだ。
ハルは、そんな砂丘の頂上で、じっと夜空を見上げていた。
「ハル」
彼が近づいてきているのは気づいていた。ギンディルだ。地下蚕鍾の下層でうじうじしていた彼は、どうやらどこかへ消えてしまったようだ。初めて会ったときの豪胆さこそ見受けられないが、落ち着いた精悍な顔つきになっている。
「お前に、感謝せねばなるまいな」
「私に?」
「お前が、俺の仲間たちを導いてくれたんだろう?」
ああ、そう言うことか。どうやらまだ、彼は何も知らされていないらしい。
「私は何もしていないよ。あの人たちが、自ら行動しただけ。私がしたことは、あなたを迎えに行ったくらいだよ」
「そうか・・・」
そう言ってやると、彼はどこか嬉しそうだった。
「一つ、聞いてもいいか?」
「何?」
「なぜおまえも、協力してくれたんだ?」
「理由が知りたいの?」
「ああ。お前にとっては、今回の一件、何の関係もない赤の他人だろう。俺を助けたりすれば、リーゲルに目を付けられることになる。それに・・・」
「それに?」
「・・・お前は何とも思わないのか?俺たちは蛇人が偽りの龍の末裔だということに」
やはり彼は、そのことが一番気がかりで、一番ショックな事実だったのだろう。
ハルは、龍族の子供が蛇人で無い事を知っている。彼らのその話を聞いた時から、何かしら誤解だとは思っていた。
だが、リーゲルと話をした時のように、2000年前の事実を知ることはできない。時を遡る魔法なんて存在しない。現代の者にとっては、言い伝えられていることが、真実だ。
だから、ハルが本当のことを話しても、意味がないと思っていた。だがギンディルは、ハルが意味がないと思っていたことを、リーゲルに言われ、本気にしてしまったのだ。現に多くの国民は、リーゲルの話を聞き入れていて、今も国内は不安定であるものの、暴動は起きていない。中にはギンディルらを擁護してもいいと考えている者らもいるだろう。しかし、国民にとっては、蛇人族のルーツなど、自分たちの生活に大きな支障をきたさないと考えているのだ。
「俺は大きな衝撃を受けたよ。自分たちと似た種族が、レシア大砂漠以外のところで暮らしているだなんて聞いた時は」
「そんなんで信じたの?」
「蛇人は龍の種族と考えられていたのだぞ?ほかに龍がいるのであれば、話は分かるが・・・」
なるほど。彼はこの世の龍が、この砂漠に眠っている巨龍だけと考えていたわけか。彼は龍について知らなすぎる。いや、龍について知っている者などごく少数だ。仕方の無い事なのだ。
「別に私は、あなたが何者だろうと、気にしなかったよ」
「ただの亜人だったとしてもか?」
「亜人なんて、この世界のいたるところにいるもの。私は人の言葉を話す植物や、水の中で声を発せる種族にだって会ったことがあるわ」
「なんだと?」
彼は世界を知らなすぎる。彼だけではない。この国は些か閉鎖的過ぎる。リーゲルはともかく、国民性は非常に温かく、極端な偏見を持っているわけではないのだから、もっと外界と交流を持つべきだろう。そうすればきっと、この国はさらなる発展を遂げるはずだ。
「・・・俺は、本当に何も見えていなかったのだな」
「そうね。自分の部下のことも信じられなかったなんて」
先ほどの会話で、弱気になっていたギンディルは、きっと従士たちですら、疑っていたのだろう。
「失って初めて、それがいかに大切なものだったかを知るだなんて。哀れなものだ」
「・・・たしかに、人は、何が大事かなんて気づくのは、それを失くしてからだってよく言われるわ。でもねギンディル」
「ん?」
「あなたが本当に大切にしてきたものなら、そう簡単に、あなたから離れていくよう事はしないはずだわ」
ハルがそう言うと、ギンディルは大きく目を見開いた。彼の仲間たちを見ていれば、ギンディルがこれまでどのように彼らと接してきたかがわかる。それは、誰の目から見ても、主人と奴隷と言うものではないと、はっきりとわかるだろう。
「そうか・・・。そうだな!」
彼の瞳に、再び活気が戻ってきた。やはり彼には暗いかをは似合わない。初めて会ったときのように、狩る軽々とハルを肩に乗せてくれた人だ。もっと馬鹿みたいにまっすぐ進めばいいものを。
「ハル!ここまで来たからには、最後まで付き合ってもらうぞ」
「ええ。あなたの行く先を、私も見届けてあげる」
今度はギンディルが、ハルに対して手を差し伸べた。ハルもそれを見て、小さな笑みを零し、その大きな手をしっかりと握り返した。
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