弱々しい少女

アールラントの郊外。山脈へ続く街道の端で、ハルは一人のんびりとヒストリアを待っていた。天気は晴れのち曇り。山風が少々吹いているが、それほど肌寒くはない。街道から眺めるアールラントの風景は、なかなかのものだ。郷愁漂う辺境の国。かつてはこの国でも大きな争いがあったが、比較的平和になった今は、人々は幸福に暮らしているのだろう。若者が住みたい国で上位に入りそうな国だ。最も、その栄華も間もなく終わるが・・・。


先に郊外へ出て数時間経つが、そろそろ来てもいい頃合いだ。あの様子だと、別れを惜しんでお互いに引っ張りあうこともしないだろう。娘は事情をしらず、父親は、父親であることを放棄しようとしている。そんな二人が、感動的な別れを演じるとは思えない。どうせここへ来るのも、お勤めだからという楽観的な態度で来るのだろう。


「来たか。」


アールラントの外壁から、赤い人が出てくるのが見えた。初めて会った時も思ったが、同じ色のローブを着ていることには驚いたものだ。まぁ、白に赤が合うという謎の価値観はどこでもいっしょなのだろう。鏡を見ているような気になるが、顔が見えればそんなことも無くなる。むしろ、自分を客観的に見れるいい機会かもしれない。背丈はヒストリアの方が小さいから何もかも同じというわけではないだろうが。


(それにしても、細い・・・。)


この世界ならありきたりな身長かもしれないが、おそらく百五十あるかないか程度だ。貪るように勉強しても、食を怠る人間はあらゆる成長が遅れる。家畜が食べる餌で肉の品質が変わるのと同じで、人間も食べるもので体のでき方が変わってくるものだ。まずは、そのあたりのことを教えてやった方がいいかもしれない。


「ずいぶん顔色が悪いわね。」


ハルはおちょくるようにヒストリアの表情を覗き込んだ。


「あの、・・・えっと。」


ヒストリアは何か言おうとしているようだったが、口ごもっていた。突然見知らぬ女と他方へお使いへ行ってこいだなんて言われれば、そうなるのも仕方がないだろう。彼女はまだ子供だ。一応王族という立場なのだろうが、世渡りの力や処世術など持ち合わせてはいないだろう。


「・・・お父さんからは、どれくらい聞いたの?」


「ほとんど何も。」


「そう。」


やっぱりか。あの男は何も話さなかったようだ。彼にとっての子育ては、きっとその程度の者だったのかもしれない。


「いいわ。私がちゃんと説明してあげる。そういう約束だからね。」


今彼女は、複雑な思いでいっぱいいっぱいだろう。年頃の娘だ。考えがまとまらず、いろんなものに振り回されて、あらゆるものが滅茶苦茶になっていく感覚が、彼女を覆っているはずだ。そういう経験を積む少女は、世の中そうはいない。だが、時に世界は気まぐれに彼女の様な子供に使命を課し、歴史の一片に刻み込もうとするのだ。


ハルが歩き出すと、ヒストリアは素直についてきた。身なりがよく見える礼服は、子供の彼女にはやや不釣り合いだったが、生地もよさそうだし、気温からも適度に守ってくれるだろう。旅人の身なりには合わないけど。


「あの、なんて呼べば?」


「好きに呼んでもらって構わないよ。」


「・・・じゃあ、ハルさん。」


「うん。よろしくねヒストリア。」


彼女はまだ何も知らない。自分が辛い思いをする道のりを進むのには、勇気が必要だ。大抵はその道を前に立ち止まるか、違う道を選び引き返してしまう。それが問題を先送りしていることに過ぎないと気づかずに。険しい道を歩もうとする者は、いつだって下を向き、自分の足元だけを気にしているものだ。一歩一歩、自分の足が地についていることを確認して、一寸先も見えない闇を歩くのだ。




海風舞う海岸線沿いの平原。緑豊かな草原の街道に靡く赤色が二つ。一人は赤いテルテル坊主の様な風貌、もう一つも同じような格好だが、こちら肥えていないニンジンのように細かった。前をいく赤いテルテル坊主は、手に剣を持ち杖代わりに鞘で地面を掻いている。ニンジンの方は、吹きすさぶ海風に飛ばされる髪を手で押さえながら、一生懸命前を行くテルテル坊主についてきていた。


風が強く、どちらの髪もが縦横無尽に靡いていて、今にも根っこから吹き飛びそうだ。テルテル坊主の方も細身の体で、頼りない感じはするものの、こちらの歩みはまっすぐで、ニンジン程の弱弱しさはなかった。


「あの、もう少しゆっくり行きませんか?」


息も絶え絶えにヒストリアは懇願した。今まで勉強漬けだった彼女には、平坦な街道であっても、長く歩き続けるのは容易ではない。


「これくらい普通よ。あなたにはいい運動でしょう。」


ハルは振り返らずに、声が風にかき消されないように大声で答えた。


「どうせこれから嫌っていうほど歩くことになるんだから、足腰鍛えておかないと辛くなるわよ。」


ハルからして、ヒストリアは控えめに言っても細すぎると思っている。アールラントを経って半日。彼女はさっそく音を上げたのだ。海岸沿いの街道はそれほど歩きづらい道ではない。かつては幾人も人々が行きかってきたくらいだから、踏みしめられた地面は硬さこそあれど、凸凹しているわけではない。よほどでなければ肉体的につらくなることなんてないだろう。ヒストリアはそのよほどの軟弱さを持っていた。この棒の様な手足を見れば、それも頷ける。食が細く、運動らしい運動もしたことないのだろう。これからそのあたりもきっちり仕込まなければならないだろう。


「ほら、頑張れ。」


「いや、ほんと、無理です。」


結局彼女は、道端に座り込んでしまった。所詮は生娘。温室で育った花のように脆い。とはいえ、今それをどうこう言うつもりはハルにはなかった。


「しょうがないなぁ。」


ハルはため息をついて、ヒストリアの隣に並ぶように座った。ヒストリアはブーツを脱ぎ捨て、足の裏を入念に揉んでいた。


「あんまり力任せに揉まないようにね。揉み返しで悪化することもあるから。」


そう指摘してやると、彼女は素直に揉むのをやめて、指先で撫でるように触れ始めた。この様子では、今日一日は休ませないと、丸まったダンゴムシのように動かないだろう。先が思いやられるというより、やらせるべきことが多すぎて、何から始めればいいかが悩ましかった。


「あの、ハル・・・さん。」


「なに?」


まだ呼び方がよそよそしい。初々しい感じもするが、生意気盛りな年頃にしては物分かりは良さそうだ。いっそハル様とでも呼ばせようか。


「お使いって、いったい何するんですか?」


本当はもう少し歩いてから、せめて、目的地が見えてから話をしようと思っていた。だがこの様子だと、ハルが思っている以上に到着は遅れそうだ。休憩の合間に話しておいても問題はないだろう。とはいえ、どこから話せばいいか・・・。


「今回のお使いの目的を話す前に、貴方のことについて、少し話をしておこうかな。」


「私?」


「お父さんから、本当の家族じゃないってことは聞いた?」


ハルが優しく問うと、ヒストリアはおずおずと頷いた。


「実を言うとね、あなたの出生はとても複雑な話が絡んでいるのよ。今回のお使いはね、あなたが生まれてきたことによって生じた問題を解決するのが目的よ。」


ヒストリアは、思考が追い付いていないようだった。何もかもが唐突過ぎるから、そうなるのも仕方がない。今回の旅は、彼女にとって辛い選択を迫ることが多々起こるはずだ。彼女にはそれを乗り越えてもらわなければいけないし、それが出来なければ、ヒストリアは破滅の運命をたどることになる。


「ヒストリア、あなたはとても特殊な体質を以て生まれた人間なの。そして、今のまま過ごせば、あなたは間違いなく凄惨な死を迎える。」


「ちょ、ちょっと待って下さい。いきなり過ぎて、何がなんだか。特殊な体質?死ぬって・・・。」


若者はすぐに答えを求めたがる。かつて自分もそうだったなと、ハルは感慨深く思い出していた。とはいえ、答えを教えてそれで彼女が納得するとも限らない。それぐらい複雑で面倒な事情がある。一から話をしてしっかりと考えさせるべきだろう。


「長い話になるから、しっかりと聞いてね。」


「もちろんです。」


「本当に長くなるわよ?」


「もったいぶらないでください。」


「はいはい。じゃあ、先に野宿できそうな場所を探しましょう。どうせ今日はもう、一歩も動きたくないでしょう?」


ハルがヒストリアの足元を見ると、彼女も自分の足をみて、そして顔を上げうんうんと首を縦に振った。





昔々、その昔。海と山に囲まれた平和な国がありました。たくさんの人々、黄金色の麦畑、海の幸が織りなす平和な国でした。そんな国に、突如、災厄が訪れたのです。


漆黒の黒い靄に、赤い点が二つ。ギザギザ模様の燃える口。山をも覆う巨体が、国に影を落としました。ゆらゆら揺らめく大きな翼が羽ばたくと、一面の小麦畑は枯れ果て、その吐息はあらゆる山の生き物たちに死をもたらしました。


人々はたった一頭の災厄を退けるため、うん万人という軍隊を討伐に向かわせました。豊かな国で育った兵士たちは、力も強く、素早く動き、他の国からも恐れられていました。しかし、それは人間同士の戦いでのこと。国の兵士たちは、災厄になど敵うはずもなかったのです。


一人、また一人と兵士は灰に帰し、最後の一人残った騎士は、国へ逃げ帰りました。逃げたところで、後ろには広大な海しかないのだから、逃げられるはずもありません。ついに災厄は国をも飲みこみ、多くの人々を貪りつくしていきました。


騎士は、怒りと憎しみに駆られて、どうにかして災厄を滅ぼせないか考えました。そこへ、不思議な魔法使いがやってきたのです。

魔法使いは言いました。


「私なら、災厄を退けることが出来ます。その代わり、あなたの一番大切なものをもらいます。」


騎士は、迷わず魔法使いに頼みました。魔法使いの要求には、命より大事な騎士の剣を差し出しました。不思議な魔法使いは、魔法使いであるにも関わらす、騎士より授かった剣を携えて、災厄に戦いを挑みました。


魔法使いはその後、騎士の元へは戻っては来ませんでしたが、その代わりに、一日の内に災厄は姿を消したのでした。

剣を失い騎士であった者は国の指導者となり、僅かな生存者を集め、再び国を立て直しました。そして、指導者は、ごく普通の民として平穏に暮らせるようになったのでした・・・____。



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