森を歩く二人の亜人

精霊の森と、普通の森の境目は案外見分けがつかない。体感的に何も感じないし、生き物の気配も変わらない。だが、リエナには大気や大地に流れる魔力、もとい精力を敏感に感じ取ることが出来るようだった。


「ここからは、精霊の森の加護の範囲外。私もそう長くはいられない。」


「もしかしてだけど、あなた達って魔力を常に消費して生命活動を維持してるの?」


「さぁ?でも、森を抜けた後急激に力が弱まるし、木人たちだったら息をするのもつらくなるらしいわ。」


その言い方だと、彼女たち自身も正確なことはわかっていないのか。命にかかわることだから、そう簡単に実験したりもできないのだろう。しかし、ハルは何となくこの森の構造を理解し始めていた。もちろんリエナにそのことを伝えはしないけれど。


精霊の森を抜けた後も、リエナは道を迷うことなく進んでいた。ふと疑問に思ったのだが、彼女は目的地がわかっているのだろうか。


「ねぇ。あなたは、妹さんのことを感知できるの?」


「それが出来たらいいんだけどね。私の力でも、数十日も前の気配をたどる事なんて出来はしないわ。今は、自然の眷属たちの声を聴いているだけ。」


「眷属?」


「虫や、小動物たちのことよ。私たちは、自然の眷属と常に会話ができるのよ。彼らに道を聞いているだけ。」


よくわからないが、同じ森に住む者同士、うまく関係を築いている感じだろうか。そういう人ではない者たちと友好的でいられるのは、少しだけ羨ましかった。とはいえ、虫はちょっと苦手だが。


「多分だけど、この道はかつて交流していた人間たちの村がある道だと思う。


「なら、攫ったのはその村の連中ってわけね。」


「うん。そういうことに・・・なるのかな。」


リエナは少し寂しそうな表情をしていた。彼女も少なからず人間を信じていた時期があったのだ。しかし、人間とはそういう生き物だ。欲が深く、自分以外のものを羨み、妬み、そして時には排除しようとする。逆に自分たちが虐げられるときは、弱者を装って自らに正義があると、無理やりこじつける。そんなものたちが世界の大半を占めているのだ。世界がどこまでも無常に思えてくるのは当然である。


「でも、本当のこと言えば、全部私のせいなのよ。」


「自分を責めても、何も解決しないんじゃ?」


「ううん。そうじゃないの。・・・あの子は、リルは、結晶族の中でも一際体の脆い子だったわ。手を握ってあげるだけで少しひびが入るくらい。あの子の体が欠けるたびに、いつも治してあげてたの。私がいれば、いつでも治してあげられる。そう思ったから、地上へ出て、木人たちと遊ばせたりもしてた。・・・させてしまったのよ。」


つまり、本来は地下で過ごすのが結晶族の生き方ということだ。彼女たちの住処がどのようなものかは知らないが、リエナの言い方だと、地上よりは退屈な場所なのだろう。妹を、子供を遊ばせるために地上へ出て、それが人間たちの目に留まった。それが原因だとリエナは言っているのだ。


「なにがダメだったのか、いまじゃわからない。だって私、あの子にずっと地下で過ごしてほしくない。普通の幼い子供の用に育ってほしいって思ったから。地上へ出ることも、遊ぶことも許した。そのせいで、人間に攫われた。同胞たちは私を責めたわ。地下で安全に暮らしていればって。それが嫌だから、それじゃ何も変わらないから、私は・・・。」


変わらない・・・?。リエナは何かを変えようとしているのか。今の精霊の森の在り方に疑念を抱いているのか。掟だのなんだのと言われるのなら、それも理解できなくはない。そして、リエナは答えが見つかっていない。どうすればいいかわからなくて、今こうして妹を助けに行くことさえ、いいのか悪いのか判断できない。彼女が精神的に幼いからか、それとも、彼女たちが人として不完全だからか。


「話を変えるけど、私は何をすればいいの?」


手を貸してほしいと頼まれたものの、実際何を手伝えばいいのか。攫った人間を探すなんて芸当はハルには出来っこない。戦闘になればそれなりに力になることはできるが。


「精霊の森から離れると私たち結晶族は、体内の精力が減る一方になるから、その補充を。」


「えっ?それだけ?」


「一番重要なことだと思うけど?」


確かに、当の本人に倒れられては困るから重要ではあるが、そのためだけに連れてこられたのはなんだか癪だ。


「もちろん他にも、やってほしいことはあるわ。私も結晶族だから、物理的に道を閉ざされると困ったりするの。」


「つまり、扉がふさがれていたりすると、開けるに開けられないってわけね。魔法で全部吹き飛ばしちゃえばいいのに。」


「そういうのはよくないでしょ。扉一つ開けるために、建物全部壊すなんて。中に大切なものとかがあったらどうするの。」


まぁ、確かにそうなのだが、いざとなれば、そんなことを気にする余裕なんてないはずだ。リエナがそういう判断を下せないのならばどの道ハルが、いろいろやらなければならない。繊細というか、融通が利かないというか、生きづらそうな種族だと思わされた。


だが、彼女はわかっているのだろうか。今追いかけている妹がすでに息絶えてしまっている可能性があることに。数か月も経っているのだ。仮に、自然の眷属とやらのおかげでどこまでも足取りを終えるのだとしても、妹の精力は既に尽きているのではないか?同じ結晶族のリエナがそのことに気づいていないわけはない。精力が尽きても命を落とすわけではないのか。それとも、ただ彼女は、妹の遺体を求めて森を出たがっていたのか。


ここまでハルは、軽い気持ちで彼女に同行していた。ニシャとエルマからの願いでもあるから。それに報いれればいいと思っていた。しかし、どうやらあまり気持ちのよくないことに付き合わされてしまうのかもしれないと感じていた。きっとリエナは、何かしらの決着をつけに行くのだろう。そんな役回りを背負わされたものだ。


(まぁ、その時になったらできる限りのことはするけど・・・。)


「ねぇ、リエナ。一つお願いがあるんだけどいい?」


「何?」


「手を貸すといった以上、力にはなるわ。でも、私は人を殺すことだけはしたくないの。」


「それは、手を汚したくないってこと?」


「いいえ、そうじゃない。」


「・・・じゃあ、何?」


「自分のため。」


「うん?」


人を殺せないわけじゃない。ただ、殺せない理由があるのだが、それを説明する必要はないだろう。


「よくわからないけど、わかった。その時は私がやるわ。」


もっとも、納得してもらわなくてもハル自身、人間を殺すことをしなければいいだけだ。意志だけを伝えておけばいい。


歩き始めてしばらく経つと、空気が変わった。精霊の森を抜け、そして普通の森をも抜け、一面に広がったのは緑の草原だ。今は季節的に夏のはずだが、この辺りの気候はそれほど暑苦しくないようだ。平原を歩く結晶族はさぞ目立っていることだろう。氷のような見た目をしているが、熱で溶けだしたりはしないのが不思議だ。彼女たちの体を構成する翠結晶とはいったいどんなものなのか。それを知れなかったのは残念だが、彼女を見ていれば少しは理解できるだろうか。


「どれくらいの距離?」


「歩いて半日くらいかしら。」


それならば、夜には着くだろう。それまで、彼女との短い旅を可能な限り楽しむことにしよう。

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