ニツマル氏、大いに転ずる

そうざ

Mr. Nitsumaru Evolves

 ビュッフェ形式の会場には各界から参加者が駆け付け、グラスを傾けながら今や遅しと発表の瞬間を待っていた。

 本年も都内〈ことのはホテル・ぎょう之間のま〉に於いて『輝く!日本誤謬大賞』授賞式が賑々にぎにぎしくも厳かに催されようとしている。


 今では年末の風物詩となっている同賞であるが、巷間ではを与える賞として知られており、受賞自体を辞退する者や、受賞はしても会場に姿を見せぬ者が続出する事でも有名であった。

 一方で、堂々たる威風で現れる受賞者も居る。その一人であるニツマル氏は、本年も大方の予想を裏切らず見事に受賞を果たした。惜しくも〈銀賞〉に甘んじたものの、昨年は〈金賞〉を、一昨年は〈銅賞〉を獲得している常連である。


 同賞は通年の厳正な得票に依って弾き出された〔誤謬ランキング〕を基に受賞者を決定している。そこに出来レースの余地はないが、大きな番狂わせも生じず、図らずも面白味に欠けるとの声が上がっている。確かに、代わり映えのしない受賞者の顔触れや、似たり寄ったりの受賞の挨拶には、既視感を禁じ得ない。同賞の存在意義自体を疑問視する向きもある。

 この歯痒い現状に、当の受賞者各位は何を思うのか。その回答は、〈銅賞〉シキイガタカイ氏が挨拶を終え、続いて登壇したニツマリ氏の口から不意に飛び出した。

「今年も賞を戴く運びになり、大変あり難く感じております」

 微塵の瑕疵もない満面の笑顔で朗々と謝辞を述べるニツマル氏。本年もまた通り一辺倒の挨拶で終わる事だろうを、その場に居合わせた誰もが想定の内にしていた。

 しかし、締めの一言だけは違った。

「いつまでもこのままだと思うなよ……!」

 其処そことなく漂う無頼派な覇気に、場内は静寂の虜となった。


 大戦の傷痕がようやく癒え始めた当時に於いては、ニツマル氏は文字通り《煮えて水分がなくなる》事だけを素朴に意味し、世人にもそう馴致されていた。それは精一杯、ささやかな幸福を希求しようとする世情の象徴だったのかも知れない。

 やがて、この国は奇蹟の復興とも称される物質的な豊かさを急速に手中に収めるが、右肩上がりだった成長の雲行きが怪しくなり始めると、その世相を激励するかのように、または清貧の模範を示すかのように、ニツマリ氏は《結論を出す段階に近付く》事をも意味すると表明した。この大胆なエポックは世人に驚きと感動とを以て迎えられた。世が世であれば「それな!」と称賛された筈である。コペルニクス的展開であり、コロンブスの卵でもあった。

 ニツマル氏の気勢はこれでとどまらなかった。再び好景気の波に浮かされ、その余韻を引き摺りながら迎えた新世紀、世人が諸行無常の苦渋と辛酸との煮え湯を飲まされている事に気付いた頃である。その意気消沈振りを嘲笑するかのように、または痛棒を食らわすかのように、ニツマル氏は自らが《行き詰まる》事とも同義であると広く公表したのである。

 これにはしものコペルニクスもコロンブスも再登場とはならず、世が世であれば「それな、か?」である。幾ら何でもではないのか、との戸惑いが世論の圧倒的領域を占め、言語界に喧々諤々の議論が巻き起こった。

 しかれども、ニツマル氏は毅然としてこう言い放ったものである。

「いつまでもこのままだと思うなよ……!」


 この往時の発言を思い出し、今回の発言に重ね合わせた参加者は少なくない。惰性ながら取材に入っていたマスメディアが、降壇するニツマル氏にたちまち取り付いた。

「先程の発言のご真意は?」

「金賞への返り咲きを意気込んでいらっしゃる?」

「まさか三度目のパラダイムシフトをお考えで?」

 壇上では〈金賞〉の発表と表彰が続いているが、会場の関心はすっかりニツマル氏に向いている。

 同じく常連受賞者で、本年は見事〈銀賞〉から〈金賞〉へと返り咲いたウガツ氏は全く以って面白くない。例え不名誉な賞でも、戴ける物ならば病気でもと割り切っているにも拘らず、いざ注目されないとなると心中は面白くない。

「記者の諸君、失礼千万であるぞ」

 壇上からの呼び掛けに誰も応えない。

 かつてウガツ氏は《穿うがった見方》なる流行語を放ち、やがて慣用句に準じるまでに定着させた。その功績は大きい。しかし、以降はエポックを画する程の惹句を表出していない。過去の栄光に安住するは怠慢の極みとの世評が完全に定着しているのである。

「ニツマルさんっ、サインを下さいっ」

 ずけずけと人の輪を掻き分ける者が居た。間髪を入れず周囲から声が上がる。

「ここはお前みたいな若造が来る場所じゃないっ」

「そうそう、お前なんか『輝く?日本死語大賞』がお似合いだっ」

「そうだそうだ、死語候補新人賞くらいはノミネートされるだろうよっ」

 すごすごと後退あとずさる若造の名は、ゲキオコプンプンマルと言った。

 やがて、ニツマル氏は降り懸かる火の粉を払うが如く人集りを泰然として制し、再び金屏風の前へと登壇した。

 参加者の固唾を飲む音が聞こえそうな静けさに、ニツマル氏の無表情が応える。

「はっきり申し上げて、わたくしことニツマルは長きに亘って煮詰まっておる!」

 会場はきょとん祭である。

(きょとん祭:本年度『きっと輝くぞ!新語大賞』汎用部門ノミネート。大勢が同じタイミングで目を見開いたままぼんやりしている様)

「煮詰まってばかりで結論を出せない。結論が直ぐ其処にまで迫っているというのに、煮詰まったまま煮詰まり続けておる!」

 会場のウエイターだけが淡々とグラカチャをこなす。

(グラガチャ:本年度『早く輝けよ!新語大賞』ニッチ部門ノミネート。沢山のグラスをカチャカチャと鳴らしながら片付ける事)

「私は生ける屍にあらず! 久しく停まりたる存在にもあらず! 不肖ニツマル、ここに煮詰まらぬ事を宣言する!」

 会場はきょとん祭の後夜祭。


●に‐つま・る【煮詰(ま)る】《自五》

①煮えて水分がなくなる。

②転じて、結論を出す段階に近付く。

③転じて、行き詰まる。

④転じて、煮詰まらない。




※付記

誤)満面の笑顔 → 正)満面の笑み

誤)通り一辺倒 → 正)通り一遍

誤)喧々諤々 → 正)喧々囂々、侃々諤々

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