第04話   口にしろとは言ってない

 目の奥の青い虹彩の、細かいヒダまで、くっきりとわかる……誰かの目の奥を、こんなに間近で長く見つめたのは、生まれて初めてだった。


(ルディレットの目、すっごく綺麗だ……。どうして、そんなに真剣な目で……お父さんと口論してまで、僕の味方を、しようとするの……?)


 誰かに庇ってもらった記憶が、アレンにはなかった。どうしてこのような事態になっているのか、理解できなくて困惑する。


(うぅ、ルディレットを待たせてる……。僕がここで完璧に演技しないと、お父さんに逆らってまで庇ってくれてるルディレットに、悪いかも……)


 真面目なアレン、腹を括った。耳を塞いでいる彼の細い指と手を重ねて、うなずいて見せる。


 ルディレットは、ほっぺたにされるものだと思っていた。アレンの手は大型動物の世話が大変なのか荒れていて、ごつごつしていて、意外にも男らしい。その手が、真似をするようにルディレットの両耳をそっと塞いだ。


 アレンがギュッと目を閉じて、顔を近づけてくる。ルディレットはギョッとしたが、今ここでアレンの両手を振り払ってしまうと、父に嘘をついたことがバレてしまう。


 お互い、キスのやり方なんて知らない。ただ唇のふっくらした形がひしゃげるくらい、アレンは闇雲に押し付けた。初めて感じる、誰かの柔らかな感触。これで良いのか、間違っているのか、何もわからないままに息を止めていた。


(……今、どんな顔をしてるんだろう)


 目をつむっているアレン、何も見えない。そっと耳の中に指を入れられ、アレンは息が漏れてしまい、慌ててまた息を止めた。


 ……なんの合図もない。苦しくなってきたアレンは、いつまでこうしていれば良いのかと、薄っすらとまぶたを開く。


 するとルディレットと目が合って、アレンは我に帰り、唇を離した。


(なんか間違えた気がする! ルディレット、すごくびっくりしてる……)


 嫌な予感がした。恐る恐る横目で男性を見ると、不機嫌そうに腕を組んでいた。


「……ほう、自ら進んで接吻を落とすとは。何をさせるにもグズグズする、あの少年が」


 父の発言に、ルディレットは勝算を見出した。やはりアレンは自宅に帰りたくて、そのためだったら多少の無理にも頑張って応じてくれる。馬上でずーっとアレンの体を弄っていたのも、それを確かめるためだった。


「大方、自分の言いなりになれば菓子でもくれてやると言ったんだろう」


「え?」


「人間の子供一人手懐けるならば、いくらでも方法がある。菓子に、魅了の魔法チャームに、意識を一時的に酔わせる薬もある」


「俺はどれも使っていません」


「ともかく、駄目なものは駄目だ」


 ルディレットが小さく「そんな……」と呟いたのが聞こえた。アレンが見上げると、すごく悔しそうに頬を赤らめていた。本気で自分を里から連れ出して、家に帰すつもりでいたのかと、アレンは信じられない気持ちになった。


 次は自分ががんばらねばと、アレンは己を鼓舞した。


 けれど、体の震えが、止まってくれない……。生まれて初めて誰かとキスし、それを彼の父親に見せつけた……今更になって恥ずかしくて、そして罪悪感でいっぱいになった。


「あ、あの、あの……ぼ、俺、彼の言うこと、ちゃんと聞けます」


 両手の指に、緊張でギュッと力が入る。


「彼になら……何をされても、嫌じゃない、です」


 うつむきながら、どの言葉を出せば正解なのかわからないまま、一所懸命に抗議する。


 しばらくの、沈黙の時間が続いた。


 やがて男性がため息とともに、椅子から立ち上がった。ゆったりとした足取りでアレンの前に立つと、その顎をぐいと上向かせる。


 涙でいっぱいになった両目で、アレンは男性を見上げた。上向かされた弾みで、目の端から涙がこぼれる。羞恥心で耳の先まで真っ赤になっていた。


 その目を、男性がのぞきこむ。睫毛同士が触れ合うような距離で。アレンは恐怖で、目が離せない。


「……本当に魅了チャームにはかかっていないようだな」


「……」


 答えられないアレンの手首を、横から掴んで引き寄せようとするルディレット。男性はその手を強引に外させた。


「ルディ、しばらくこの少年を借りる。部屋の外で待っていなさい」


「え?」


「少年に、直接聞きたいことがある」


 ……嫌な予感を感じ取ったルディレット。アレンに思いきり手を伸ばしたが、父親に片腕だけで制されて、ぐいぐいと押されてゆく。


 もう片方の手で部屋の扉を開き、男性はルディレットを部屋の外へと押し出した。


「ディントレットに無断で借りてきたんです! すぐに帰さないと!」


「私から言っておく。お前は儀式の心配だけしていなさい」


 バタンと閉められた扉。男性が片手を扉に着けたまま、目を閉じた。


「膨張せよ、数多を束ねた木々の隙間に、我が息子をしばし足止めする義務を与える」


 アレンは、扉に魔法がかかったのだと理解した。ディントレットが暴れ馬を鎮めるために、小屋でおとなしくなるまで閉じ込めたことがあった、その時に聞いた呪文と似ている。


 扉に白く輝く一枚の葉っぱが、まばゆく浮かび上がった。部屋の外からルディレットがガチャガチャとドアノブを回したり、ドンドンと叩いたり。しかし扉はびくとも揺れない。少し繊維が膨張した扉は、一枚の壁になって少年エルフの行く手を遮っていた。


「ぁ……」


 明らかに不機嫌そうな男性と二人きりになって、アレンはおろおろしていた。部屋の外で騒いでいたルディレットが、おとなしくなる。蹴破ってこないかとアレンは心配した。


「少年、姓奴隷の意味はわかっているのか」


「えっと、えと……はい」


 わかっていなかった。今日初めて聞いた言葉だった。それでいて、なんとなく良くない言葉なんだと察していた。


「嘘ついても、わかるぞ」


「……ウソじゃないです」


 ルディレットと、自分の保護者のディントレットが叱られてしまうんじゃないかと思ったら、嘘をついてしまっていた。


「では、衣を脱いで証拠を見せてみろ」


「え……? しょ、証拠?」


「ちょうど素材も底を尽きる頃だ、ついでに搾取する」


「ええ~!?」


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る