エルダーフラワーの住人
小花ソルト(一話四千字内を標準に執筆中)
序章 馬宿の少年
硬い栗の木を木材に使い、さらに複雑な造形に編み込んで造られたその馬宿を見上げたとき、どんなにか立派な人が住まう家なのかと、少年は目を丸くした。
「馬小屋……?」
手綱を引かれた馬が次々に運ばれてゆくのを見て、ようやく少年は、目の前のコレが自分の職場なんだと理解した。
「ボーッとするな、行くぞ」
名前も教えてくれない男に手を引かれ、少年は転びそうになりながら前に進んでいった。見上げると、異様に尖った長い耳と、高い鼻筋、こちらを一瞥もしない冷たい青い瞳。身長差による歩幅の違いの気遣いもなく、少年は自宅からこの森まで引きずられるようにして手を引っ張られてきた。
「おじさん、手が痛いよ。僕逃げないから、手を放してください」
そのまま馬小屋に引きずりこまれて、何日もかけて仕事を教わった。
それから三年が経ち、八頭の馬らは少年によく懐き、彼がブラシを片手にするだけで、うきうきと首を揺らし、自らの番になると頭を突き出してブラッシングをねだった。鬣や体にブラシを当てられている間、隙あらば少年の胸に頭を押し付けて幸せそうに甘えだす。
「よーしよし、もうすぐ終わるよ。今日もいい子だね」
少年はここで過ごすうち、この森が「エルフ」という不思議な種族の住む隠れ里であることを、なんとなく把握できていた。そして、それ以上は何もわからなかった。誰に聞いても教えてくれなくて、唯一仲の良かったエルフの青年も、ある日を堺にぱったりと会えなくなったから、少年はエルフについて詳しく踏み込むのを、とうにあきらめていた。
そろそろ馬たちを走らせる頃合いだ。ブラッシングされてご機嫌になった馬たちは、指示を聞いてくれやすくなる。
「よーし、みんな! 暗くなる前に思いっきり走ろう!」
とたんに嗎きに満ちて、隣の事務室から壁ドンされた。
「げ、ディントレスさん今日も機嫌悪いな~。それじゃあ、早く行こうか」
先頭を率いる馬にだけ鞍を付けて、一頭ずつ外へ連れ出し、少年は馬の鞍に跨って、走りだした。後ろからパカパカと、大地を蹴って追従する数多の蹄の音色が聞こえる。どの馬も駆けるたびに鬣が揺れ、木漏れ日が肌に降りかかっていた。
(ん? あそこに誰かいる)
白い外套にフードを被ったエルフが、道脇に胡座を掻いていた。うたた寝でもしているのか、それともただボーッとしているのか、頭部がゆぅらりと揺れている。
(エルフは綺麗好きだから、馬たちが土を跳ね上げないように気をつけないと。面倒事は避けるに限る)
馬主すら愛馬の糞尿の処理に、嫌な顔をするのだった。
馬たちの速度を緩めて、ゆっくり進む。相手の前を通り過ぎる際、「こんにちは」と軽く会釈した。馬宿の近くにいるということは、馬を預けているお客かもしれない。
「こんにちは、アレン」
相手も挨拶を返しながら、するりと衣を鳴らして立ち上がった。うたた寝していたのか、目の辺りをこすっている。エルフにしては珍しく、背丈がやたら小柄に見えたが、それは自分が馬上から見下ろしているせいだろうかと、アレンは小首を傾げた。
(珍しいな、僕のことを名前で呼ぶエルフがいるなんて)
いつも「人間」「若い人間」「人間の子供」、さらに「おい、そこのヤツ」と呼ばれていた。
相手が歩いて付いてこようとするので、アレンは馬たちを停止させた。
「何か御用ですか?」
「アレン、今少し話せないか?」
「え? 僕、じゃなかった、俺? えっと、今は馬たちを散歩させる時間でして、夕方には時間が空きますが、急ぎならば馬小屋のディントレスに
「なら、出直すよ。お前と直接話せないなら、意味がないからな」
小柄なエルフはひらひらと片手を振り、道脇の草むらへと入って、姿を消した。
「…………なんだったんだ、今のエルフ」
白いフードのせいで顔はよく見えなかったが、
「なんか、イイ子そうだな。今度会えたら、じっくり話したいや」
アレンは手綱を繰り、再び馬の群れを率いて原っぱを目指した。
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