夏、とある帰り道。

雛星のえ

第1話

「あぁ゛ーッ!!」


 焦がすほどに焼きつける太陽。際限なく現れては服や肌にへばりつき、一層不快にさせる汗。あたかも水たまりが存在するかのように見せるのは、アスファルトに揺らめく陽炎。

 炎天下とある路上、学校からの帰り道にて。そのど真ん中、私は力の限り叫んだ。


「もー! あっついよぉー!!」

「相変わらず馬鹿でかい声。何処からそんなん出るの?」


 隣を歩く幼なじみの湊斗がせせら笑う。同じ条件下にいるはずなのに、こちらは私と違って涼しい顔。

 長年の付き合いのおかげか、最早私の隣にいるのが当たり前になってきた。そんな彼はいつだってそうだ。毎年毎年、暑い日も寒い日も顔色一つ変えずにけろっとしている。

 むっとしながら湊斗の背中を叩き、抗議の意を示す。


「うるさーい。暑いものは暑いの。叫ばずにやってられっかっての、これが」

「にしても、今のは流石に近所迷惑だろ?」

「だとしても、この叫びは全人類の気持ちを代弁したと言っても過言でもないと思う」

「それは言い過ぎだろ。明らか過言だろ。ライン超えちゃってるだろ最早」

「知らない知らない。ていうかこの辺、近所迷惑ってほど家もないし」


 事実、私たちを取り囲むのはたくさんの家にご近所さんの目――ではなく、うっそうと生い茂る緑の木々。数えだしたらきりがないほどに生える大木は、悲しいことに日陰を用意してはくれなかった。冬はこれでもかというほど陰になるんだけれども。この辺り、あまりにも日当たりが悪すぎる。

 

「にしてもあつい。本当に七月なんかね、これ」


 ぼやいた湊斗がワイシャツの襟を仰ぐ。

 確か、今日の気温は三十度を越えていただろうか。昨日も、そのまた一昨日も連日猛暑続きである。

 七月というのは、いわば夏の導入編と言ってもよい。今からこんな調子では、本番である八月や九月に向けて生き残れる気がしない。四天王の中でも最弱な六月ですら、後半から徐々に勢力を増してきたばかりだというのに。

 涼むにはうってつけの娯楽施設や商業施設なんて存在しない、田舎の通学路。その道中に唯一あるのは小さなコンビニのみ。ようやく目の前に見えてきたので、指さして寄り道を促した。


「無理あっつい死ぬ。あそこ行こう」

「おお、……って早いな」


 了承を得ることもなく、我先にと入店する。

 ドアを手前に引けば、ふわりと涼しい冷気が体中を包み込んだ。先ほどまでの、うだるような暑さが嘘のようだ。ここだけ別世界、まるで天国。

 不意に喉の渇きを覚え、飲み物でも買おうと業務用冷蔵庫の前に立った。ミネラルウォーター、緑茶、ウーロン茶、ジャスミン茶。中身が一目でわかるような色合いを兼ねたパッケージが、所狭しと並んでいる。

 炭酸系でさっぱりしたい気分なので、それらが固まる箇所へ目線を移す。

 しばらく悩んでいると、肩をつつかれると共に声をかけられた。


「なんか買うの?」


 隣に並んだ彼はこの一瞬で何かを購入したらしく、小さなビニール袋を提げていた。


「悩み中。湊斗のそれは?」

「まぁお楽しみに。雑誌のところにいるから、終わったら声かけて」

「……まさかえっちな本を見る気ではないな、お主」

「俺のことなんだと思ってるわけ?」


 鋭い切れ長の目を半分に細め、挙げ句ため息まで漏らす湊斗。彼が呆れるときによくやる表情だ。

 なんだよぉ、少しからかっただけじゃん。何もあんな顔しなくたって。

 撃沈しながら冷蔵庫に向き直り、しばし黙考する。

 やがて『爽やかレモンスカッシュ』と青文字で書かれたものを手に取った。ラベルに描かれた沢山の氷とレモンたちは、眺めているだけでこちらの気分を涼やかなものにさせてくれるようだ。

 会計を済ませ湊斗と合流。外へ出て、軒先のバリカーに腰掛けた。車は一台も止まっていないので私たちは邪魔にならない上、丁度屋根で日陰になるいい場所だ。

 蓋を開け、乾いた体内に水分を流し込む。名前の通り、レモンの爽やかで涼しい味が口いっぱいに広がった。砂糖水内に溶けたしゅわしゅわの炭酸が、通り抜けていく喉を刺激する。


「ん、これやる」


 彼が手渡してきたのは、焦げ茶色に満たされたチューブ型のアイスだった。真ん中で二分した片割れを私に向けている。

 ペットボトルから口を離しそれを見つめた。もしかしてお楽しみって、これのこと?


「え、いいの?」

「ミルクチョコレート。凪、好きだろ?」


 間違いなく私の大好物だ。アイスに限らず、ミルクチョコ系統のものは大概好き。前にそう話したことを、湊斗は覚えていてくれたんだ。

 遠慮なく受け取り詮を捻った。先端を口に含み、まだ若干凍る中身を頑張って吸い上げる。

 格闘の末運ばれてきた固体は、優しいカカオの甘みと頭が痛くなりそうなほどの冷たさを口内にもたらす。


「うまぁ……真夏のアイスほどいいものはない……」

「同感」


 彼の同意を最後に、二人黙々とアイスを吸い上げる。私たち以外にコンビニを訪れる人はいない。耳に届くのは、鼓膜が破裂せんほどの勢いで大合唱する蝉の声のみ。

 最後の一滴まで飲み干した後、私は満足と言わんばかりに笑顔になる。


「美味しかった~生き返る。ありがとね、湊斗」

「礼には及ばない。それより」


 湊斗は私の足に挟まれたペットボトルを指さした。

 彼の言わんとしていることを理解した。喉が渇いたのであろう。アイス以外特に何かを買った様子も見られないし、家から持参した水筒もこの暑さで空になっているようだ。

 熱に当てられて少しぬるくなっているかもしれない。それでもよければ、と湊斗の手に乗せる。


「さんきゅ」


 短く礼を述べ、彼は緩い蓋を開け飲み始めた。

 湊斗はいわゆる、「イケメン」の部類に入る。事実、高校生になってから数ヶ月経つこの頃、クラスの女子や友人たちがヒソヒソ噂しているのを何度か耳にしたことがある。

 確かに、幼なじみという贔屓目から見ても湊斗は顔がいい。少しつり上がった切れ長の目、長いまつげ、筋の通った鼻。癖知らずのサラサラの髪、ふっくらした唇、端正な造形。

 その彼が清涼飲料水を飲んでいる姿は、不思議と様になる。まるでこの商品を宣伝すべく、全国に放映されたCMを見ているかのような錯覚さえ覚えるほどだ。

 大きな音を伴う彼の嚥下に合わせ、喉仏が上下する。

 あれ、ペットボトルを握る手は、こんなに大きくてゴツゴツとしたものだったっけ。

 一滴の汗が流れた。光を受けて反射する雫は首筋を伝い、鎖骨へと垂れていく。

 特段、何も考えずにそれを眺めていた私は、不意に自分のしたことの重大さに気づいてしまった。

 口元を咄嗟に手で覆い隠し、直前の思考を必死に打ち消す。

 めざとく反応した彼がペットボトルから口を離し、こちらへ顔を向ける。


「何? どうした?」

「いや……なんでも、ない」


 どうしてもう少し頭が回らなかったのか。私はバカだ。どうしようもないバカだ。付き合ってもない男女で、こんなことをするなんて。

いくら幼なじみで寄り添ってきた年月が長いからって、こんなことを軽々と了承してしまうだなんて。


「そ。……ごちそーさま」


 湊斗がキャップを閉めこちらへ寄越す。大分飲んだのか、中身は半分以下にまで減っていた。普段ならば、一口が大きすぎるんだよと文句をぶつけるところだが――そのボトルを、私は直視することができない。

 それに――それに。

 以前、湊斗は口にしていた。私が好きな味の話をしたとき、「ミルクチョコは甘いから好まない」と。

 そんなことをされてしまえば、嫌でも勘違いしてしまうに決まっている。

 思考の循環に陥っていれば、湊斗が距離をぐっと近づけ、顔をのぞき込んできた。


「凪、なんか顔赤くない? 大丈夫か? ……え、もしかして熱中症とか」

「だだ、大丈夫! ほら早く帰ろう!?」


 ひったくり、鞄へと押し込み立ち上がる。そのまま早足でコンビニを後にした。

 突然置いてけぼりを食らった彼の、待てよ、と不満げな声が聞こえたが、振り返ることも止まることもしない。

 もとより歩幅が違うのだ。さっきは私に合わせてゆったりとした足取りだったが、普通に歩いた彼はすぐに追い付いてくるだろう。

 赤くなんてない。暑くなんてない。汗だくになんてなってない。心臓がうるさいなんてことは、ない。そうだとしても全部、焼けるような暑さのせいだから。

 ……湊斗は、少しでも私と同じことを思ったのだろうか。

 私のしでかした過ちに気づいてるのだろうか。

 できれば、どうか何もわからないままでいてほしい。

 少し遠くから彼の声がした。私の名前を呼んでいるような気がするが、よく聞き取れない。

 空を見上げれば、相変わらず太陽は焼き尽くさんばかりに輝きを放っている。蝉は自らの番を誘うべく、必死に羽を鳴らす。生温い風が吹いた。木々が木の葉を揺らし静かな音を奏でる。

 ああ、この胸のざわめきが、思考が、全部全部蝉時雨の中にかき消えてしまえばいいのに。

 そのまま、泡沫の儚い彼らの命のように、消えてなくなって……――。


 ただの幼なじみへ向けていた感情は、この日を境に変化する。

 それは、高校生になって、初めて迎えたとある夏の日のことだった。

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