第15話
「SE入れるの半拍だけ早めよう。隼人、今のとこ最初から」
テントが立てられ、照明や背景等の舞台装置が設置された中でも、演出は更に修正が加えられていった。
スポットライトが当たり、隼人が顔を上げる。舞台の中央に立つ隼人は少し痩せたようにも、また何故か大きくも見えた。郷愁を誘う物悲しい音色をBGMに、長いモノローグが始まる。秒単位で調整が行われたサウンドと照明が言葉を視覚化し、脳の混乱を誘う。テント内にいる皆が息を呑み、舞台に見入った。
暗闇でありながら目も眩むほどの光に満ちた場所に
──やっと会えた。
若者が、虚空に手を伸ばす。
恍惚として震える声。けれど、その表情は悲しみに満ちて。
──にょろ。
「良いわ。OK」
葵が笑顔を見せる。舞台の上で隼人がへなへなと座り込むのが見えた。
「稽古は明日一日休み。明後日からランスルーでやるから、準備よろしく」
照明が落とされ、幕が開いた入り口から街灯の光が差し込んだ。
「さとみちゃん」
後ろから声を掛けられて、さとみは持っていたポットを置いて振り向いた。
「僕にもコーヒー貰えるかな」
稽古が終わるタイミングで入って来たのだろう。平岡仙太郎は舞台上の葵に向かって手を上げ、側のパイプ椅子に腰かけた。
「はい先生」
仙太郎の好みは砂糖ありミルクありだ。紙コップを渡し、さとみはクッキーの載ったトレイを手前に寄せた。
「どうかな。新しい作品の構想は出来ているかい」
仙太郎が訊ねる。『にょろ』の感想を訊かれるものとばかり思っていたさとみは、返事に詰まった。
「はい。えっと、少しずつは」
仙太郎は「そうかい」と言って、紙コップに口をつけた。眼鏡のレンズが曇る。
「次も洸を主役に?」
さとみは首を振った。
「そうか、残念だ。期待されているのに」
そう言って笑う仙太郎の手には、少々くたびれた演劇雑誌があった。前季号の、『魔王』の論評が載ったものだ。簡単に噛み砕かれてしまった、さとみの脚本。
「先生」
さとみは聞いてみたかった。どうすれば書けるのだろう。難解でシュールで、誰にも読み解けないにも関わらず、強大な磁石みたいに見る者を惹き付けて離さない。そんな作品を。
「どうやったら」
言葉にした途端に凡庸な質問になってしまう気がして、さとみは口ごもった。
「僕の真似をする必要はないよ」
ボストン眼鏡の奥の眼が、優しく細められるのが見えた。
「でも、そうだね。これは僕の勝手な考えなんだけれど」
仙太郎は控えめにそう続けた。この人の声は、どこか少年の色を残している。さとみは何となくそう思った。
「僕らが与えることが出来るのは、目に見えるものと音だけだ。受け取る側の感性がそれを補填する。経験や心理状態、知識や主観や、そんなものと融合させ、脳内で合成するんだ。光と音だけだったものが温度を持ち、五感を刺激する。熱さや冷たさ、快楽や痛み、そして匂い」
「……匂い」
「脳の古い部分が刺激されると、人は匂いを感じるそうだよ。視覚や聴覚を超越した、制御することが難しい原始的でダイレクトな感覚だ」
仙太郎は紙コップをくず入れに捨て、さとみに視線を合わせた。
「すべてを語りきる必要はない。自分の想いをベールに包むことによって、見る人の数だけ物語が生まれる」
たくさん学びなさい。そう言って仙太郎は立ち上がり、舞台の袖へと去って行った。
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