第31話 迷路
小島
杉下右京の車として有名だが、手に入れたのは靖久の方が先だ。妻の小百合からは、そろそろ運転免許を返納するよう言われているが、まだまだどっこい、運転技術はしっかりしたものである。単純に年齢で切るのではなく、技術試験でも行って返納期限を決めればいいのにと思う。
高速を降りナビに従って線路沿いの道を走りながら、靖久はそんな事を思った。
妻は正常な判断力を失くしているように思えた。聡明な彼女にしては珍しいが、当然と言えば当然である。優秀な医師であっても身内の事になると冷静さを欠くのと同じ。人である限り逃れられないことなのかもしれない。少し休ませる必要があった。
桐子もそうだ。あの子は孫を好いてくれている。気丈に振舞ってはいるが、会うたびにやつれていくのを見るのが辛かった。
『目的地周辺です。ルート案内を終了します』
「ご苦労さん」
カーナビをねぎらい、靖久は駅前のコインパーキングに車を停めた。駅から近いわりには閑静な住宅街である。
独自の判断で工藤に連絡を取った。半ば脅しのようにして聞き出したのは、団体の主要人物であった数名の個人情報である。ただし当時の依頼は途中で取り下げられた為、当然最新のものではない。リストの内一名は既に亡くなっており、他のメンバーも既に転居していて行方が掴めなかった。ただ一人だけ所在が判明した人物がいた為、連絡を入れて会う約束を取り付けたのだ。
「遠いところ、よくおいでになりました」
中年の女性は、その家の主婦のようだった。何の変哲もない、という言い方はおかしいのだろうが、怪しさの
「小島です。お時間を頂きまして、ありがとうございます」
喫茶店で話をと申し出たが、彼女は「ご遠慮なく」と家へ招き入れてくれた。
「懐かしいですね。もう、五年以上前のことです」
彼女は話してくれた。亡くなった人は岬の親族であり、団体の中心にいた人物だったという。
「Cの文字のロゴも、彼が作ったんです。この世とあの世を
女性は、そう言って笑った。
「誠実で一生懸命な人でした。他者に幸せがあれば共に喜び、困っていれば手を差し伸べようとする。そんな素直な人だったんです」
けれど、と女性は言った。ふと表情が曇る。
「真面目過ぎたんでしょうか。考えすぎてしまったのですね。それとも、寄り添いすぎてしまったのかしら」
どうしても苦しくて堪らないのなら、この世から消えたいと思うのなら、それも仕方ないのではないか。そんな発言をするようになったのだという。
「神道では死は穢れとされているのに」
どう思われますかと尋ねられて、靖久は唸った。
「私は元医師なのですが、その立場から言えば、そういう考えには賛成できません。医学は日進月歩です。今日助からない患者も、明日には治療法が見つかるかもしれない。人生もそうです。どん底から二度と
「そうですね」
彼女は笑った。
「その通りです。でもその十年が待てないという人を、あなたはどう説得しますか。麻酔も効かない痛みにのた打ち回る人に、十年後を待てと言えますか」
そう言われました、と女性は苦笑交じりに言った。
「洞窟がありましたでしょう」
お茶を入れ替え、女性は話を変えた。
「あの洞窟は、人を選ぶのですよ」
お茶菓子をどうぞと勧められたが、靖久は礼を言うだけにとどめた。洞窟が人を選ぶとは何だろう。
「どういう事でしょう」
尋ねると、女性は内緒話をするように声を顰めた。
「洞窟に入った人は、時間はかかっても迷路を抜けて入口に戻ってきます。ただ中には」
お茶で口を湿らせ、女性は続けた。
「戻って来ない人がいるんです。どれだけ探しても見つからない。もちろん遺体もです。祀られている神様が、この世に戻らなくていいと判断したのでしょうね。きっと根の国へ行ったに違いないと、私たちは考えました。家族を亡くして後を追いたいとまで思いつめた人が洞窟に入った場合、それが起きたように憶えています」
亡くなった家族に会いたい。小百合の顔が浮かんだ。娘に会いたいと、彼女は最近よく口にする。貢が行方不明になって二か月、すっかりやつれてしまった妻を思い出し、掌に嫌な汗を感じた。
「今はもう立入禁止になっているようですけどね」
女性はそう言って、羊羹を小さく切って口に入れた。
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