第10話 友達の立ち位置

 あの日。私は、見てはいけないものを見てしまったのだろうか。


『大丈夫?』

 壁際にうずくまっていた貢は、しばらくしてようやく顔を上げた。

『秋山さん?』

 桐子の顔を見て、不思議そうにつぶやく。

『……助けに来てくれた?』

 うなずくと、泣き出しそうな顔で笑った。

『ありがとう』

 立ち上がることもせず、貢は辺りを見回した。不安そうな表情を浮かべ、すがるように桐子を見る。

『何があったの?』

 恐る恐る、そういてみた。貢は桐子を見詰めたまま、何も答えない。

『言いたくなければ、訊かないけど』

 胸の奥が、微かに痛んだ。


 あれから、二週間が経つ。

 履修りしゅう登録期間に入った。来年のカリキュラムは、ほぼ予定通りなので、提出に時間はかからない。確認画面を見直していた桐子は「法学概論」という文字に目を留めた。

 もしかしたら、貢と同じクラスになるかもしれない。彼が本当に単位を落としていればだけれど。

「まあ、いいか」

 そう呟き、申請のボタンを押す。画面を閉じ、カフェオレでも買おうと立ち上がった時、背中から声を掛けられた。

「秋山さん」

 声を聞いてすぐに分かったけれど、桐子はすぐには振り向けなかった。正直、今は顔を合わせたくない。

 気付かないふりをするには遅すぎたので、桐子は恐る恐る振り返った。肩の上で、癖のない髪が揺れているのが見えた。

「こんにちは」

 口調がかたくなるのは許して欲しい。

「先日は、ありがとう」

 優し気な微笑に、無意識に唇を噛む。

「あの、祖母がお礼に家にまねきたいと言って。……迷惑でなければ」

 あの日、貢は何かに怯えたように震えていた。暫く様子を見たが回復しそうにない為、タクシーで家まで送り届けたのである。

 初めて対面した学長は、年齢よりずっと若々しくて素敵な人だった。お茶でもと言われたが遠慮すると、乗って来たタクシーでそのまま帰るようにと代金を渡してくれた。

「改めて孫から連絡させます」

 そう言って、手を振ってくれた。だけど……。

「ごめん。遠慮しとく」

 もうこれ以上、踏み込まないで欲しいのだ。貢にかれているのは自覚している。だからこそ、中途半端な関りは辛いと思った。

 大切なものは誰にも見せてはいけない。心の底に隠しておかなければいけないのだ。そうすれば傷付かない。汚されることもない。

「……そうか」

 とても残念そうに、貢は言った。

「あのね、秋山さん……」

 何か言いかけて言葉を切る。

「ごめん。何でもない。じゃあ、また」

 名残惜なごりおしそうな素振そぶりはずるいと思った。

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