明示する恋のフラッグ

すいか

Prologue

 窓から見える景色は、日没の夕焼け模様だった。

 なんて光景を頬杖をつきながらやさしく見守る男子生徒の姿が、誰もいない教室にはあった。

 少し殺風景でおもむきもない空間。

 そこにあるのは綺麗に整列された机と椅子、そして教卓に教壇に加えて何も書かれていない黒板がある。

 その左には『お知らせ一覧』と書かれたコルクボードがあって、無数の穴跡と刺さったまんまの四個の画鋲があり、右側には『時間割』と書かれた黒板にチョークの粉が擦れたように残っているだけ……。

 かつては生徒がいて、会話や喜怒哀楽が飛び交い、授業が行われていたはずなのは言うまでもないだろうが、どこか物寂しさを覚えるものがある。


 そんな教室でも夕日の灯は差し込んでいた。

 後方の窓際に座り、頬杖をついた姿勢を変えずに外を眺め続ける少年の顔にも、その光が照らす。

 地平線よりも少し高い位置にいる太陽のおかげか、灯は周りの雲さえも光を反射させ、ちょっとだけ幻想的な光景を生んでいた。

 少年はそんな景色をしばらく傍観した後、目線を落とす。

 すると、通路を挟んだ向こうの運動場で後輩の姿が視界に入った。

 野球部だろうか……何回も何回もバッドを振り、素振りをする背中姿。

 振っては戻し、また振っては戻し、再度また振るう……。

 たまにバックから水筒を持ち出して口にしては、タオルで汗を拭い、すぐさま定位置の戻ってまたバッドを振り始めた。

 一体どれぐらい振っていたのだろうか――辺りは砂まみれなのに彼の足元だけは土が顔を覗かせている。

 それほど真剣のようだった。

 と、同時に気づいたら、そんな彼の背中姿に見入るように眺めていた。

 当時の自分にもあったから――といっても部は違うけども。

 現役の当時も部活に対しては真剣に打ち込み、居残り練習や夜間、休日の度に一人で練習していたことを脳裏に思い出す。

 ――すべては一秒でも早くタイムを縮め、大会で結果を残すために。

 そんな後輩の背中姿を見て――


「……懐かしいな」


 と、ポロっと言葉を漏らして少し微笑む。


 ――ふと、時間が気になって教室のデジタル時計を見た。


『17:57』


 見るや否や溜息をつきながら――


「……帰るか」


 と、つぶやき、床に置いていたバックを持とうとした時、教室に音が訪れた。


 ガラガラガラガラッ‼


 教室の引き戸が勢いよく開く音。

 多少なりとも驚きながら引き戸の方を見ると、ハァハァ、と息を切らして肩大きく揺らしながら扉を抑える女子生徒がいた。

 頬には汗が伝っている。

 そんな少女の足元は靴下のようなのだが、埃が付き纏っている感じと息の切らし具合からして、かなり急いでここまで来たのだろう。

 その証拠に髪は乱雑に乱れていて、シャツにもしわが寄っていた。

 だからといってそんな様子を指摘する等の野暮なことはしない。


「おせーよ」

「……ごめん」


 お互いの顔を見合わせながら教室の空間に響く二人の男女の会話。

 ある種、こんな教室に「趣」が生まれる瞬間なのかもしれない。


「んで、ってなに?」

「その事なんだけど、ちょ、ちょっと待って……」


 そう言い残して、少女は膝から崩れ落ちるかのように床に座り込んで吐息を吐き続ける。

 相当キてたらしい。

 少しでも涼もうと両手で扇ぎながら汗ばんだ顔に風をぶつけようとする少女。

 そんな少女を見て少年はバックを机の上に置いてはチャックを開けてまさぐりだした。

 そして中からプリントの挟んであるクリアファイルを取り出し、中に挟んでいたプリント数枚をバックの中にしまい込み、少女の元まで近づいてそのクリアファイルで扇ぎ始める。

 吐息交じりの「ありがと……」と少女からの謝礼を受け取りながら、ただただ無言で両手よりも強い風を送り続けてやった。


 しばらくして――


「あ、もう大丈夫。ありがと」

「おん」


 充分に涼んで息も落ち着いたのか、少女は立ち上がり、後ろに振り向いて少年に背中を見せると、乱れていた髪や服装を直し始める――のはいいのだが、中に下着を着ていなかったこともあってか、汗を吸って透けるようになった制服から黒色のラインが目に入り、すぐさまそっぽを向きながら誤魔化すように頭をかきはじめる。

 そんなことに気付いてすらいない少女はそれらを直し終わって正面を向いて顔を合わせると、本題を口にした。


「ごめんね。突然、呼び出すようなことしちゃって」

「別にいいけど、話って何?」

「あのさ、私ら四月から別々の高校に行くじゃん?」

「うん」

「高校入ったらバイト、するでしょ?」

「うん。お金、稼ぎたいからね」

「ってなると、今後ここ二人が会える機会って減ってくじゃん?」

「まぁ、そうだね」

「でね、考えたことがあるんだけど――」


 前置きして、なぜか、深く深呼吸をする少女。

 二回繰り返して、意を決した。


「もし、高校の三年間でお互いに好きな子が居なかったら、付き合お?」


 そんな彼女の表情は『本気』そのものを体現するかのように、至って真面目な顔つきになっていた。


「……はぁ⁉え?は⁉な、なに言ってんの……?」

「——あ!……もし!もしもの事だから……」


 自分の口にした言葉の重大さに気づいたのか、さっきまでの勢いはどこかに置いてきてしまったようで、どうやら顔をうつむかせて表情を見せないようにする少女。

 もちろん少年も言わずもがな、突然言われたことの驚きを隠せない様子。

 やはりこの教室には「趣」が生まれたようだった。

 とはいえ、ともなれば時間経過でそれがなんの意味を示すのかわからないわけでもなく——


「それ……さ、マジで言ってんの……?」

「——え?あ、まぁ、うん。そうだけど……」


 心の奥底から少しずつ湧き出てくる『よろこび』。

 それと同時に表に出ようとする『てれ』。

 それらを悟られないようにと、そっぽを向いて頭をかきながら応えた。


「まぁ、その時になってみないと分からないけど、考えてやらんこともない……」


 最大限の返事……ということにしておこう。

 きちんと返事は少女の耳に届いてたようで、さっきまでうつむいていたはずの少女の顔がとっさに上がった。

 表情から滲み出ている『喜』

 思いがけない返答がきた『おどろき

 ちらっと少女へ目線を配った時の、目の前にあったそんな表情をしかと見た。

 そして、そんな『喜』は身体全体を使って体現をする——。


「ねぇ、こっち向いてよ」


「んー?」と返事をする前にそれは封じられた。

 振り向くや否や、その細い両腕が少年の上半身を拘束をし、彼の口を塞ぐようにして、合わさる。

 ――接吻せっぷん


「お、おい!」

「うるさい」


 一度、唇が離れた隙にひき離そうとするも空しく、彼女の主導権は彼を黒板へと押しやる程にパワーアップし、尚更、激しさを増した……。

 ほのかに香る汗のにおい。

 今、異性と接吻をしている、という事実の追撃。

 それらは同時には『雄』をかき乱し、『雌』にも同じことが言える。

 そのおかげか、少年には抵抗する力は無く、むしろそんな彼女を強く抱擁ほうようするようになっていた。

 もちろん彼女も応える。

 十四・五の男と女。

 ともなればそれなりの知識と願望はあるだろう。

 別に恥ずかしいことじゃない。

 ただ、何者かに目撃される・邪魔されるような空間ではないのなら、それは必然と二人だけの時間・二人だけの空間になるのは致し方のないこと。

 こうして気付いた時には、『二人だけの世界』が完成してしまう。


 ————


 満足したのか、不意に二人の唇が少しずつ離れ始めた。


「内緒にしといてね」

「なにしてんだよ」

「ごめん。でも嬉しかったから」

「ったく……」

「そのわりには興奮してたでしょ?」

「うるっせ」


 互いの抱擁を解く。

 二人は誘われるように窓から外を確認しだすと、夕日の灯りではなく、むしろ濃紺色の空模様になっていた。

 それが中学最後の——の“若気の至り”のような出来事であった。

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