第2話 ゴールドバーグ家の破滅



 それから半年後、メアリーのもとに一通の手紙が届いた。差出人はヴェルド・ゴールドバーグ。開いてみると「助けてくれ。イザベラはヤバい」「あれは魔性だ。とても手に負えない」とある。




 それみたことか。


 メアリーはひとしきり笑うと、続きを読み始めた。




「執事、紅茶を用意して。最高のお茶菓子(読み物)が届いたわ!」


「え、何すかそれ。俺にも見せてくださいよ」


「後で! 後で!」




 どうやらイザベラはゴールドバーグ家の男たちに手を出しているらしい。やり方はイザベラの十八番、あいつに傷つけられたから慰めて。だ。




 でも、常に傷つけられている人間なんてそうはいない。だからイザベラは人を挑発し、焚きつけて自分を傷つけさせる。




 警戒して誰も傷つけてこない時はきまって傷つけられたと嘘をつく。そして、大声で泣きわめくのだ。




 イザベラは社交界でこの十八番を使いすぎて、いくつかの社交場で出禁にされている。メアリーからすればいつものイザベラだが、ゴールドバーグ家はイザベラ初体験だ。完全にはめられている。




 まず、やられたのはゴールドバーグ家の次男だった。ヴェルドは三男なのでイザベラとしては権力的な意味で物足りなかったのだろう。濡れた瞳で誘い、自分がいかに弱く惨めでかわいそうか。ヴェルドが夜になるとどれだけ恐ろしくなるかを説き続けた。




 この件についてヴェルドは「本当に何もしていない、何もしていないんだ」と何度も書いている。ただ、あまりにも繰り返し書いているので、メアリーはなんだかおかしくて笑ってしまう。本当にこのひとはダメだ。ダメなひとだ。と。




 もちろん、ヴェルド本人はたまったものではないだろう。でも、イザベラとはそういうものだ。




 執事が紅茶を淹れ、クッキーを用意してきた。


 メアリーは手紙を読んで笑い続ける。




「メアリー様。それほんとに面白いんですね」


「黙ってて。今、読んでるんだから」




「あの、概要だけでいいんで。どんな感じかだけでも教えてもらえないっすか?」


「ヒュドラ(毒竜)がゴールドバーグ家で暴れ回っているの!」


「何すかそれ」




 次男が色仕掛けに陥落し、ヴェルドがゴールドバーグ家で最低のクズ野郎という確固たる地位を築くようになると。イザベラは次の獲物に狙いを定めた。つまり、長男だ。




 将来、ゴールドバーグ家の実権を握るのは長男だから長男を狙う。あまりにも単純、清々しい程に欲望に忠実な動きだ。人の心を踏みにじることに一切のためらいがない。




 ここまで読んだメアリーの心中は「やれ! イザベラ! ゴールドバーグ家をぶっつぶせ!」という思いでいっぱいになった。




 イザベラのことは憎たらしいけど、あれは人というより天災に近い。制御できない嵐ならば、いっそ好きなだけ吹き荒れ、あの馬鹿を思い切り蹂躙してしまえ!!




 どうせイザベラはロクな死に方をしないのだから!!




 長男が次男の時と同じ手で色仕掛けに陥落した時、次男とヴェルドはようやく事態の深刻さに気づく。このままではゴールドバーグ伯爵家がイザベラに乗っ取られてしまうのだ。




 ただ、既に次男とヴェルドは最低のクズ野郎というレッテルを貼られてしまっているため、発言権が地に落ちている。もはやゴールドバーグ家において次男とヴェルドの言葉に耳を傾けるものは誰もいなくなっていた。




 ここまでくるとイザベラも慢心するのか、時折ヴェルドと次男の耳元で「カスカスカスカスカスカス」と早口で呟くようになったらしい。どこまでも人の心がない。




 ヴェルドはイザベラから婚約を破棄され、遂にイザベラは長男と婚約。まだ式を挙げてはいないものの、雰囲気は新婚のそれと変わらない。それどころか、まるで長く連れ添った伴侶のように、無造作にゴールドバーグ家の財産を湯水のごとく消費していく。




 具体的には高価な宝石が嵌め込まれた装飾品を買わせたり、貴族であっても一年に数度食べられるかどうかという高級料理を毎日用意させたり、美容によいからと温めたミルクを大量に使って入浴したりしている。




 ゴールドバーグ伯爵家がどれだけ蓄財していようと、これでは来年まで保たないだろう。




 手紙には書かかれていないものの、ここまでの散財を可能とするには間違いなくゴールドバーグ当主である父親も陥落されているだろうと、メアリーは睨んだ。とんでもない女だ。本当に同じ人間なのだろうか。魔物の一種だと言われた方がまだ納得できる。




 手紙の最後には「何もかも俺が悪かった。メアリー。戻ってきてくれ」とあった。




 その一文を読んだ瞬間、メアリーの心はズキンと痛んだが、何度考えても自分を振ったヴェルドを許せる気はしなかった。何よりこいつはイザベラと寝ている。それが一時の過ちだったとしても、到底許せない。




 それでも、一度は愛した男。


 少し手助けしてあげましょうか。




「執事、読んでいいわよ」


「マジすか」




「でも、絶対に秘密よ」


「わっかりましたァ!!」




 嬉しそうに手紙を読む執事を見ながら、メアリーは考える。




 人は秘密にしろと言われたことほど、話したくなるもの。


 特にこのおしゃべり好きな執事に我慢なんて土台無理。この噂はどこまでも広まるだろう。




 事実、すべてはメアリーの思惑通りに進んでいった。




 ゴールドバーグ家の噂は執事から執事へ伝わり、執事からこっそり付き合っているメイドへ伝わる。恋に飢えたメイドたちにとってこの手の噂話は起爆剤だ。瞬く間に屋敷中のメイドに共有され、食料品の取り次ぎをしている男や、毛皮売り、行商人などに伝わる。




 すると、この商人たちが酒場でいっぱい引っかけながら噂話をする。さらにそれを聞いた人間が噂話をし、さらに噂話をする。




「ゴールドバーグ家やばいらしいぜ」「なんでも、長男にとんでもねえ悪女がくっついたらしくて」「え、父親を寝取ったんじゃなかったっけ?」




「俺が聞いた話だと、金粉を風呂に混ぜて入るらしい」「俺は若い女の血だって聞いたぞ。肌にいいらしい」「そんなわけあるかい」




「ああ、でも。少しはマジかもしんねえ。最近ゴールドバーグ家すげえ注文とってくれるんだよ。高い貴金属とか売れるのなんの」




「え、マジか。じゃあ、どんどん売りにいかねえとな。ルーゼンブルグ商会で情報共有しとくわ。こういうのは早い者勝ちだ」




「おい、抜け駆けは許さねえぜ。うちのダリオン商会でも早く情報を共有しねえと。ゴールドバーグ家を食い潰すのは俺たちだ!!」




 こうして、あらゆる商人に詐欺師。それと噂好きの野次馬たちがゴールドバーグ家に押し寄せた。




「珍しい胡椒が入ったんだ! 買っておくれ!」


「これは東方大陸に伝わる不老不死の薬でございまして」


「親子四人で同じ女と寝たって本当ですか!? 最低!! 死ね!!」


「イザベラちゃ~~ん! 俺だー!! お金返してくれー!!」




 勝手に屋敷に侵入しようとしてくる不審者たちをゴールドバーグ家の執事たちはどうにか押しとどめたが、噂はどこまでも広がり、膨れ上がっていく。




 これでは民はまともに税を納めてはくれないだろう。それどころか、日に日に増えていく不審者たちにいつ屋敷を蹂躙されてもおかしくなかった。




「ど、どどどどうしようお兄ちゃん」


「俺達は伯爵家、俺達は伯爵家、俺達は伯爵家……」




 ヴェルドの精神が限界に近づく頃、イザベラは用意周到に集めていた金品を麻袋に詰め、ゴールドバーグ家から人知れずに脱出。夜の町に消えた。




 最後に残ったのは書き置き一つだけだ。




『バイバイ、ヴェルド。あなたのヘタレ顔、中々面白かったわよ。またそのうち遊びましょ♡』




 イザベラの消息は不明であるものの、大金をギャンブルですった後、身分を偽ってまた別の貴族に接近したとか、冒険者となって似たようなことを始めたとか、犯罪者に身をやつしたとか言われている。




 一方、ゴールドバーグ伯爵家が被った被害は途轍もないものとなった。




 財産の大半が失われただけでなく、父親は妻に愛想を尽かされ、離婚してしまったし。王に今回の責任を追及され、伯爵から男爵に貴族の位を下げられてしまった。当然税収も激減することとなる。




 それでもゴールドバーグ家が崩壊しなかったのは、早期に噂が広まり、イザベラが財産を食い潰すよりも早く破滅が訪れたからだ。




ただ、それが幸運によるものなのか、ただの偶然か、それとも人為的なものなのか。




ヴェルドには最後までわからないままだった。

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婚約破棄された悪役令嬢、元婚約者が破滅していく手紙をお茶菓子代わりにティータイムを楽しむ。 間野 ハルヒコ @manoharuhiko

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