第十二章 毒と炎と雪煙

九十七話 夜笛

 四つある奥宿と呼ばれる大包屋(だいほうおく)、そのうちの一つである「石の宿」と紹介された中に入る。

 内部はとても暖かく、お茶の香りが漂う湿度の高い空気が充満していた。


「椿珠(ちんじゅ)さん、あんまり美人に化けたら、覇聖鳳(はせお)に寝室に引きずり込まれちゃいますよ。覇聖鳳は綺麗なお姉さんが大好きな面食いですからね」


 その絵面にも確かな需要はあるだろうけれど、あまり予定外の事態は起こって欲しくないな。


「そのときは覇聖鳳にトドメを刺すのは俺になるかな? いや、刺されるのは俺か?」

「下ネタやめて」


 自分が妄想するのはいいのに、他人の口から生々しい話を聞かされるのは嫌いな微妙なお年頃の、麗央那(れおな)ちゃんであります。

 私のコメントに椿珠さんはクククと笑って、袖の内側に潜ませた尖った物体をちらりと見せた。

 串、いや、針だろうか。

 おそらく毒が仕込んであるのだろう。

 ハッタリ合戦で負けた夜の悔しさから、自分も毒の武器を身に付けるようになったのだろうか。

 私も懐に隠している二本の串を、服の上から確認する。

 後宮にいるときから今まで、ずっと私と一緒に戦ってくれた、細い毒の串。


「もうすぐお別れだね。今までありがとう」


 魂の兄弟とも言えるその串に感謝を告げる。

 私たちは覇聖鳳の母親が控える間に揃って通された。

 分厚い布で仕切られたその内側に入る。


「みなさま、遠いところをよくいらしていただきました。私、頭領を務めている覇聖鳳の母、鼬梨都(ゆりと)と申します」


 奥の真ん中に座ってそう自己紹介した、老年の女性。

 覇聖鳳の母にしてはずいぶんとお歳を召していらっしゃるな。

 十分に気温の高い屋内であるのに、更にお雛様みたいに衣服を重ね着して、ちょこんと座布団の上に収まっている。


「本日はお誘いいただき、まことにありがとうございます」

「頭領とご母堂のご慈悲には、感謝の言葉もございませぬ」


 礼として腰を折り頭を下げ、感謝の言葉を述べる私たち。

 ふふ、と軽く笑い、鼬梨都母ちゃんは追加情報を口にした。


「新しく来た玉楊(ぎょくよう)という嫁の実家から、たくさんの炭が届いたようです。もしお見掛けすることがありましたら、みなさまからも軽く礼を言っておいてくださいませ。今はここの隣の『川の宿』にいるはずです」


 環(かん)貴人のことだ。

 おっかさんの口ぶりから察するに、元気でいるんだろうし、客が会うことも難なくできるようだ。

 待っててね、椿珠さんと一緒に、すぐに会いに行くから! 


「あの、朱蜂宮(しゅほうきゅう)からいらした貴妃さま……」

「送ってくれた商人が途中、馬車を停めて別の荷物を乗せていたわ。きっとあれのことね」

「気を失うほどの美人さんだという話よ。あたし、立っていられるかしら」


 ガヤの未亡人さんたちが口々に噂する。

 ホント、油断してると魂を持って行かれるほどの美人なので、みなさん気を付けてくださいね。

 後ろの方で目立たずに話を聞きながら、さてどのようにこのテント集落を調べたり引っ掻き回したりしようか、と思案していたら。


「あら、そちらのお綺麗なあなた。笛を吹くの? 少しだけでもいいから、なにか聞かせていただけないかしら」


 椿珠さん扮する横笛を持った絶世の美女が、鼬梨都さんの関心を買ってしまった。


「人さまのお耳に入れられるような腕前ではございません。急に温かい所に入ったので、指もかじかんで、むくんでしまいましたし」


 上手いこと言って、椿珠さんは演奏を辞退した。

 まだ笛の暗号で外に伝えるべきことを整理しきれていないので、下手なものを吹いて巌力さんを混乱させるわけにはいかない、という判断だろう。

 笛の音が届くほどの近い場所に巌力さんたちがいるのかどうかも、正直わからないのだけれどね。

 せっかく頼んだのに断られて、鼬梨都さんは目に見えてしょぼんとした。


「そう。寒かったから、仕方ないですね。体が温まったらぜひお願いしたいわ。私はもう、昔のように上手く吹けなくなってしまったから」


 そう話している鼬梨都さんの左手が、若干震えているのを私は見逃さなかった。

 おそらくはパーキンソン病の症状だ。

 加齢による手足の衰えと病気による震えで、若い頃は達者だった楽器も、今はおぼつかなくなったのだろう。


「は、覇聖鳳さまは、今はこちらにいらっしゃらないのですか?」


 私と椿珠さんが、いつ聞こうかとタイミングを見計らっていた質問を、他の未亡人の一人がぶしつけに、唐突に投げた。

 ワクワクしている表情を隠しきれていないので、おそらくは覇聖鳳のグルーピーの一人か。

 あんなやつでも熱狂的な追っかけがいるのだなあと思うと複雑。

 いや、私も別の意味で、超熱烈に、命がけで追っかけしてるか、テヘッ。

 なんにしても、この場で聞いてくれた名も知らぬ未亡人に、感謝。


「覇聖鳳は怪我をした別の嫁を湯治に連れて行っています。明日か明後日には戻って来るはずですけれど、どうでしょう。気まぐれな子ですので、久しぶりの温泉ではしゃいでいるかもしれないわね」

「そ、そうですか……」


 男の子はいくつになってもやんちゃ坊主。

 そう言いたげな温かいまなざしで、ビッグマム鼬梨都さんは答え、未亡人は少しだけ落胆した。

 覇聖鳳はここ、重雪峡に、いる。

 グググ、と無意識に拳に力が入り、奥歯を噛みしめる私。

 さわ、と優しく椿珠さんが私の肩に手を置いた。


「力むな」


 言葉にはしなかったその忠告が私の体に沁み渡り、すうーと落ち着いて私は息を吐いた。

 落ち着け、クールになれ、麗央那。

 怪我をした嫁というのは十中八九、邸瑠魅(てるみ)のことだろう。

 私の刺した毒串が覇聖鳳にどれだけダメージを与えたかは不明だけれど、とりあえず自分勝手に行動できる元気はあるらしいな。

 鼬梨都さんの側仕えらしき女性が、私たちの前に進み出て、これからの段取りを案内してくれた。


「翌朝に温泉に向かう人手と、馬を用意いたします。ですが向こうで寝泊まりする場に限りがございますので、三人ずつの交代ということになります」


 未亡人ズを、ここ奥宿から温泉地までピストン輸送するということか。

 距離としては、馬の脚なら往復でも半日かからない程度。

 騎馬民族的に言えば「すぐそこ」であるそうだ。

 温泉に入っていない期間は、奥宿の中で適当に食っちゃ寝しながら過ごして良いらしく、誰と会ってお喋りするのも自由。


「もちろん、気になる殿方がいればお近付きになるのも自由でございます」


 含みのある笑顔で女性は出会い、蜜月の発生を促した。

 大きな包屋(テント)に行けば、誰かしらがいて歓待してくれるとのことなので、緩いと言うか、牧歌的と言うか。

 いやまあ、彼ら青牙部は正真正銘の牧人なんだけれどね。

 四角四面の二進数が大好きな、どこぞの後宮とは大違いである。

 説明の途中、女性は私たちの人数を数えて、首をひねった。


「二人ほど、増えてらっしゃるようですね。連絡漏れでしょうか」


 やば、知らん女が紛れ込んでいることがバレたぞ。

 椿えも~ん、なんとかしてくれよぉ~ぅ!

 怪訝な表情を浮かべる女性に、今にも泣き出しそうな演技で、椿珠さんが言い訳をする。


「私と隣のこの子、どうしても青牙部のみなさまのご厚意に甘えたく、いやしくも商人の方にご無理を言って、混ぜてもらったのでございます。手土産と言っては失礼でございますが、わずかばかりの持ち合わせなら……」


 そう言って袖の中からいくつかの宝石を取り出す。

 なんでも持ってるなあ、この兄ちゃん。

 しかし鼬梨都(ゆりと)さんは軽く首を振って。


「いいのよ、人が増えた方が楽しいですから。なにも気にせずゆっくりして行って」


 特に欲しくもないであろう袖の下をやんわりと優しく拒否し、私たちを居室に案内させた。

 温泉に行く順番は、最後にしてもらった。

 そもそも行かないからね、上手く行っても、ダメだったとしても。

 椿珠さんと二人きりではなく別のお姉さんたちもいるので、内緒話をするわけにはいかないけれど。


「雪が、降っていますかしら」


 椿珠さんが物憂げな貌、潤んだ瞳で、部屋のお世話をしてくれている女の子に聞いた。


「え、ええ、ちらちらとですが、湿った雪が」


 明らかにドキッとしたそぶりを見せ、女の子は上ずった声で答えた。

 美しい男性の女装が妖しいほどに強烈な魅力を放つことはままあり、今の椿珠さんはその虹色のオーラで人を殺せるほどだ。

 もちろん彼女は目の前のアンニュイマダムが実は男だと知らないけれど。


「少しだけでも、見に出てよろしいでしょうか。私どもがいた南都では、大きな牡丹雪(ぼたんゆき)は珍しいので……」

「も、もちろん。ご案内いたしましょうか?」


 とろーんとした目つきで、すっかり魅了された女の子が言った。


「いえ、この子と二人で、大丈夫です。少し、見られたくない顔をするかもしれませんから……」


 はあ、と温かく艶めかしい息を吐いて、椿珠さんはしゃなりしゃなりと外へ向かう。

 手に横笛を持って。

 私はいつものちんけな猫背で、その後ろにトテテと付き従う。

 ポーっと上気した顔で、女の子は私たちを見送った。


「椿珠さん、昂国(こうこく)にいたときから、女装して男を騙して笑ってたでしょ」

「男だけじゃないがな。倒錯した遊びってのは、みんな好きなもんだ」


 小さな頃から、自由気ままにいろいろやって来た、と豪語するだけあるな。

 最初に会ったときから「こいつは警戒しなきゃならん」と告げた私のセンサーに狂いはなかったよ。

 外に出て、包屋が並ぶ中間地点辺りに来る。

 下弦の月の下、雪の花が風に乗ってふわりふわりと舞っている。


「翔霏(しょうひ)が生まれたのは、きっとこんな夜だったのかも」


 私の呟きに、なるほど、と言う顔で椿珠さんは納得した。


「翔ぶ雪片か。彼女らしい名だ。となると軽螢(けいけい)は螢が飛ぶ夏生まれなのかな」


 軽螢が生まれた日を知っている人は、もうこの世にはいない。

 みんな、殺し尽くされてしまった。

 殺したやつらの家の真ん中、地の果て山の奥に、私は今、立っている。


「あそこにある、尖塔みたいなのが頭に付いてる包屋、あれが武器庫です。そこから少し離れた包屋が燃料庫」


 私が指差す場所を同じく凝視し、椿珠さんが笛を構える。

 出入りする間、必死にじろじろと周囲を観察して、得られた情報を、笛の音に。


「玉楊はこの隣にいるんだったな。で、覇聖鳳は近いうちに帰ってくる、と。手始めは燃料を盗んで、武器庫を焼く、それでいいか」

「はい。のっけから思いっきり派手に、徹底的にやりましょう。混乱こそが、環貴人を逃がす最大の味方です。荒事の敵は躊躇と逡巡です」

「さすが、玄人は思い切りが違うな」


 微笑した椿珠さんは笛に口を当て、ぴゅぅー、と高く澄んだ音を鳴らした。

 なだらかに上下する音階と、長短織り交ぜたブロウイングは、ただの暗号であると思えないくらいに、美しい調べだ。

 夜に笛を吹くと蛇だか化物だかが出ると、お母さんに言われたなあ。


「お前にとっての化物は、私だ」


 小さく声に出し、私は笛の音に聴き惚れるのだった。

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