九十二話 虚実転倒

 軽螢(けいけい)が女性の逃げ道を塞ぐようにその前に回り込んで、必死に叫ぶ。


「人違いなわけあるかよ! 俺が邑のモンを見間違うわけないだろ! 砂図(さと)姉ちゃん、子ども、産まれたんだなあ……!」


 目に涙を浮かべて、女の人に縋り寄る軽螢。

 遅れて駆け付けた私に、翔霏(しょうひ)が小声で教えてくれる。


「麗央那(れおな)が邑にいた頃は、つわりがひどくてあまり外に出られなかったんだ。だから親しい付き合いがなかっただろうな」

「そ、そうなんだ。石数(せきすう)くんの、お姉さんが。生きてたんだ」


 直接の面識はなくても、あの石数くんのお姉さんが、ここに!

 行方不明、生死不明だった神台邑(じんだいむら)の人と、ここで会えるなんて!

 しかし、間違いなどではないと固く信じる軽螢と翔霏に対し、女性は嫌悪とも恐怖ともつかない焦燥した顔で、拒絶の意を示す。


「ち、違うって言ってるでしょう! 変なことを言わないで! 人を呼ぶわよ!」


 ここで騒ぎを起こすのは、非常に不味い。

 私たちのことを詳しく調べられたら、覇聖鳳(はせお)の命を狙っている集団だということが、すぐに発覚してしまう。


「注目を浴びぬうちに、離れた方が良さそうでござる」


 他の邑人の視線を気にして、巌力(がんりき)さんもそう言った。

 軽螢の手を振りほどいて、砂図(さと)さんと疑わしき女性は辻の陰へと去ってしまった。

 今にも泣き崩れそうな顔で軽螢はそれを見送り。


「わかった。今は、先を急がなきゃな」


 拳を固く握りしめて、そう言った。

 急ぎ足で邑を出て、小さな沢の程近くに野営地を定めた私たち。


「椿珠(ちんじゅ)兄ちゃん、俺にも酒、くれよ」

「なんだ軽螢、お前行けるクチか」


 腰を落ち着けた軽螢が、椿珠さんにヒョウタンの酒をねだった。


「おい」


 渋い顔をする翔霏。

 軽螢はおどけたように弁解する。


「いいだろ、こんなときくらい。邑の生き残りに会えたんだぜ? どうして他人の振りなんかしてるか、わかんねえけど……」


 嬉しいような、寂しいような顔で、軽螢はちびりとお酒に口を付けた。


「飲みたいと思う大事なきっかけがあるなら、気持ちに任せて楽しく飲むべきだ。そのうち大したきっかけがなくても、飲むためにわざわざ理由を探すようになるがな」


 ろくでもないことを言って、椿珠さんはひひひと笑う。

 やめてよね、うちのお母さんもアル中気味だったから、その理屈が痛いくらいにわかっちゃうのよ。

 と、酔っ払いの戯言はともかくとして。

 私は一つの見解、推定の答えを話す。


「私たちがお尋ね者だってことが知れ渡ってるから、砂図さんは他人の振りをしたんじゃないかな。むしろ私たちをかばってくれたんじゃない?」

「そうだろうなと私も思う。あの場で『やあ良かった、また会えた』などとお互い盛り上がってしまえば、素性が知られてあっと言う間に袋のネズミだ」


 翔霏もこの考えに同意してくれた。

 言われてみれば納得、と軽螢も表情に明るさが戻る。

 

「そっかあ……でも砂図姉ちゃんの子ども、可愛い双子だったな。あんなことがあったけど、無事に生まれたんだな……」


 あんなこと、と言うのはもちろん、青牙部(せいがぶ)による神台邑襲撃、滅亡事件である。

 当時、大きいお腹を抱えていた砂図さんは、抵抗することも逃げることもままならず、覇聖鳳たちに連れ去られたことだろう。

 拉致連行された先の青牙部の村落で、玉のような双子を無事に産んで、どうやらなんとか、暮らしていけている様子だ。


「双子か……」


 翔霏が難しい顔で腕を組む。

 双子だとなにかあるのだろうかと、私は疑問に思い、きょとんとした顔を翔霏に向ける。

 それを察して、翔霏が説明してくれた。


「砂図さんはお腹が大きかったからな、双子か三つ子だろうという話が出て、本人も家族も随分と気にしていたはずだ」

「ま、まあ一度にたくさん生まれた方が、お母さんは大変だよね」


 子どもなんて一人育てるのも目が回るものだろうに、多産児のママなんて忙しすぎる。

 と、当たり前で珍しくもない感覚を私が抱いていると。


「神台邑じゃあ、双子の片割れは余所の邑にあげちまうからな。砂図姉ちゃん、せっかく産んでもいなくなっちゃうって、いっつも泣いてたもんな……」

「え」


 唐突な軽螢の衝撃発言に、私は言葉を失った。

 生まれた子供を、余所にあげちゃう?

 私が混乱絶句していると、翔霏が意外そうに片眉を吊り上げて。


「麗央那は知らなかったか。昔は双子三つ子は禁忌だと言って、一人を残して殺していたそうだがな。流石に今どきそんな迷信で子どもを殺すのもおかしいだろうということで、他の邑に分けることになっているんだ」

「え、ちょっと待って意味わかんない。迷信だってわかってるなら、余所にあげちゃわなくてもいいじゃん!? 双子だろうと三つ子だろうと、可愛がって育てればいいじゃん!?」


 無意識に、私は叫んでいた。

 それぐらい、意味が分からなかった。

 あの優しくて楽しい暮らしを維持していた、神台邑の人たちが。

 不吉だからって言うぼんやりした言い伝えで、子どもを他の邑に、まるで捨てるような形で、放逐していた!?

 私の発言に、軽螢は率直に驚きの表情を見せ。

 やがてその顔が悲しみの色に変わり、こう言ったのだった。


「同じ年頃の子どもばっかり、一つの邑に増えたら食い物が足りなくなるじゃんか。そうならないために、双子や三つ子は他の邑や、子どもがいなくて困ってる街の夫婦にもらって行かれるんだよ」

「あ……」


 そうだった、私は思い込みから失念していた。

 神台邑だって、そもそも豊かな土地ではないんだ。

 ほんの些細な天災が原因で、バタバタと人が死んだのだという話を、私は母を失った軽螢の口から直接に、聞いたはずではなかったか。

 邑が飢えないために多産児を間引くというのは、おそらく古くからの教訓だろう。

 子殺しと言う陰惨な風習が消えた後も、その教え自体は養子を出すという形で残り続けたのだ。

 私が感情をぐちゃぐちゃにしている横で、翔霏が冷静に言う。


「青牙部の邑も決して豊かではないだろうに、三つ子が元気に走り回っていたな。戌族(じゅつぞく)には子を余所に回す習慣がないのか?」


 椿珠さんが首を振ってそれに答えた。


「そんなことはない。むしろ今でも子供の間引きを、白髪部(はくはつぶ)なんかは昔通りにやってるはずだ。今の大統の阿突羅(あつら)爺が、厳格な人口抑制をしてるのは知ってるだろ」

「そ、そう言えば、聞きました」


 私は星荷(せいか)僧人から聞いた、白髪部と阿突羅さんの情報を思い出す。

 土地も資源も限りがあるのだから、人が増え過ぎないようにするしかない。

 それは、夫婦が、大人が子作りするのを抑制することと同時に。

 生まれた子供を、増え過ぎた赤ん坊を、手離したり殺してしまうことも含まれるのだ。


「しかし、覇聖鳳はそれをしていないということでござるな。果たしてそれで、かように痩せた地に住む青牙部の暮らしが立ちゆくのか、浅学な奴才(ぬさい)にはとんとわかりませぬが」


 巌力さんの言葉が、比喩ではなく重かった。

 覇聖鳳は明確に、領内の子どもを、守っている。

 同時に、可愛い子どもを奪われて泣かねばならない運命にある、若い母たちの情も守っているのだ。

 え、ひょっとして。

 神台邑が襲われて、連れ去られてしまった砂図さんは。

 そのまま神台邑にいたら、しきたりに従い、奪われてしまったかもしれない双子の片割れを。

 青牙部の邑で暮らす今、その胸に抱いて、自分の手で、育てられているのか?


「う、うう、うううう、うううううううう」


 な、なんだ、これは。

 頭が割れて、胸が、引き裂かれそうだ。

 体が猛烈な拒絶反応を示している。

 認識したくない、理解したくないと、脳と体が激しく仲間割れを起こしている。


「どうした麗央那、大丈夫か?」


 心身の不協和音に襲われて、唸り声を上げている私を、翔霏が気遣う。

 彼女が体をさすってくれると、いつもならとても安心して気持ちが良くなるのに。


「お、おおぅぇぇぇ」


 私は悪寒と頭痛にさいなまれ、さっき食べたものをすべて、その場に吐き出した。

 胃の奥までひっくり返されるような、猛烈な嘔吐だった。

 そんな、そんなことがあってたまるかと感情では思いながらも。

 私の理性は、認めざるを得ない。

 誰からも捨てられて見放された命を、小さな子どもたちを、その母親の慟哭を。

 覇聖鳳が拾い直して、その腕の中に大事に大事に、抱いている。


「あぐ、うぅ」


 そのまま私は気絶した。

 薄れゆく意識の中でみんなの声が聞こえたけれど。

 翔霏も、軽螢も、雷来おじいちゃんたちも、阿突羅大統も、他のみんなも。

 子どもを奪われ、余所に捨てられ、泣いている母親の声を、今までやり過ごしてきたんでしょう?

 それを掬い上げようとしてるのが覇聖鳳とか。

 おいおい、なんの冗談だよ。

 考えることを拒否した私の脳は、ぷっつりと電源を落としたのであった。


「またこの夢か」


 現実世界で意識を失い昏倒した私は、夢の中で目覚めた。

 定番の明晰夢を見ているのだ。

 私が激しいストレス下にあるとき、猛烈な疲れを感じたときにこの夢は訪れるので、このタイミングは妥当とも言えるな。

 相変わらず、謎の古びた木造建築の中である。

 しかしいつもと違うことが一つあった。


「廊下じゃなくて階段かい」


 そう、私が歩いているのは、やや急角度の、狭い階段。

 果てしなく長く先が見えないことは共通しているものの、いつも見る廊下の夢とは違う景色が目の前にあった。

 夢の中なので体力は消耗しないけれど、気分的に、疲れる。

 とか思いながら、しばらく無為に歩いていて気付いたことがある。


「中書堂の階段じゃん、これ」


 昂国(こうこく)は首都後宮の南東にそびえ立つ、木造五階のガリ勉の塔。

 現実には半焼してボロボロになったはずの中書堂の階段が、健全な状態で私の夢に現れた。

 音も無く静かで薄暗いその階段を、私は登っている。

 私がそう認識した瞬間に、階段は果てのない無限である姿を変えた。

 今、私がいるのは、中書堂の三階。


「百憩(ひゃっけい)さん、いるかな」


 決して、夢の中であの人に会いたいわけではないのだけれど。

 一時期は通い慣れた、三階東の間へ私の足は向かう。

 果たして目的の人は、いつもの席に座って私を迎えた。


「おや、なにかお悩みでしょうか」

「そないな顔をしとったら、せっかくのぴちぴちお肌に皺が彫り込まれてまうで」


 横には、ヒョロガリ若白髪の役人まで立っていた。


「姜(きょう)さん、百憩さん、こんにちは」


 ぺこりとお辞儀の挨拶をして、私は二人に問う。


「私、どうすれば」


 あくまでも私の脳内情報から再構成された、昂国最高の叡智を代表する二人。

 いわば百憩さんと姜さんのエミュレータに、私は夢で教えを請うのだった。

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