九十話 越境
追手が来ないことを確認し、林の中で小休憩に入った私たち。
「情報を整理しよう」
覇聖鳳(はせお)を討ち漏らして以降、しばらくどんよりしていた翔霏。
今はすっかり元気を取り戻して、いつもの澄ました顔で、続けて言った。
「覇聖鳳はおそらく青牙部(せいがぶ)の領内、安全なところまで逃げた。麗央那(れおな)の毒串を喰らった以上、傷を癒すために何らかの処置を取るか、長く休養に入るだろう。しばらく目立った動きはするまい」
その見解は妥当だと私も思った。
青牙部(せいがぶ)と白髪部(はくはつぶ)の境界にある邑は今、斗羅畏(とらい)さんが制圧している。
おかしな理屈をつけて族長選挙である輝留戴(きるたい)の大会議に乗り込む可能性も、かなり低いのではないか。
軽螢(けいけい)が椿珠(ちんじゅ)さんの顔を、ニヤニヤしながら見て言った。
「で、環家(かんけ)のお二方は、実家がごちゃごちゃしてるついでに、麗央那(れおな)の顔を見たくてわざわざここまで来たってワケね」
「そういうことにござる」
「巌力、黙ってろ」
勝手に答えた巌力さんを、椿珠さんが肘で小突いた。
私の嘲笑にも似た視線を感じ取った椿珠さんは、あからさまに顔を歪めてこう言った。
「ほとぼりが冷めるまでは、俺も巌力も環家(いえ)には戻らんつもりだ。玉楊(ぎょくよう)を取り戻しても、角州(かくしゅう)辺りをぶらつきながら、情報を集めて過ごすことになるかな」
「詳しいことは私にはわかりませんけど、事態が良い方向に収まればいいですね」
気休めのような私の言葉にも苦笑いを返しただけで、椿珠さんは黙りこくって考え込んでしまった。
彼も彼で、気が気でないことをたくさん抱えているのだろうな。
代わりに、巌力さんがこれからの指針を提案する。
「馬鹿正直に街道を通れば、白髪部の兵が検問をしているのに見つかりましょう。しかし青牙部の領域はもう目と鼻の先。身を隠しながら山越えで向かうがよろしいかと、奴才(ぬさい)は愚考します」
幸いにも大きな旅荷物を巌力さんは背負っている。
食料や防寒具はある程度、なんとかなりそうだけど。
「いよいよとなれば、鹿でも狩って食うとするか」
「肝は俺にくれよな」
私の不安を払うかのように、楽天的なことを言っている翔霏と軽螢の山育ちコンビであった。
「まことに頼もしい。麗女史は良い友をお持ちですな」
「えへへ。巌力さんと椿珠さんの関係も、とても素敵ですよ」
私はすっかり巌力さんの存在にメンタルがケアされて、つい先日に覇聖鳳を殺し損ねたことが嘘のように気力体力が回復しているのを感じた。
その後、私たちは計画通りに、人気のない山を慎重に進む。
武器を白髪部の兵隊さんたちに奪われてしまったけれど、そこは商人の椿珠さん。
「こんなこともあろうかと、新しい得物を持って来たんだ」
そう言って取り出したのは、やはり鋼鉄製の棍。
だけれど、やけに短く、翔霏が今まで使っていたものの三分の一ほどの長さしかない。
翔霏はそれを受け取って明らかに訝しがる。
「ないよりマシな状況で贅沢は言わんが……ん、なんだこれは」
「あ、それはな」
椿珠さんが説明する前に、翔霏はヒュンと棍を振った。
突如、片腕ほどの長さしかなかった棍が、ギューンと伸びて、翔霏の背丈ほどになった。
ああ、海外の警察や警備員が使う特殊警棒のように、伸縮機能があるのか!?
こんな精巧な仕掛けの施された武器を作ることができるというのは、やはり。
「西方の、沸教(ふっきょう)の人たちから伝わった技術ですか?」
「そういうことだ。ちょうど珍しいものをいじってた最中に、屋敷の中がバタバタしはじめてな。とるものもとりあえず、手近な品を適当に袋に詰めて飛び出してきた」
椿珠さんの説明もそこそこに。
私は目をキラキラと輝かせて、翔霏に小さな声で、あることをお願いする。
「……なんの意味があるんだ?」
「一生のお願い! どうしてもやって欲しいの!」
「そんなに言うなら、断る理由も特にないしな……」
首をひねりながらも私の懇願を聞き入れてくれた翔霏は、伸縮棍棒をもう一度、短い状態に戻し。
キッ、と鋭い顔つきで構え直して。
「伸びろ! 如意棒!」
ピュンッ! と見事に風を切るスイングと共に、再び棍を長く伸ばした。
素早い翔霏の挙動と、不思議に一瞬で伸びる伸縮棍の機能がマッチして、最高すぎる~~~!
「麗央那、感、無量!」
「なんなんだ、いったい……」
一人で興奮して喜んでいる私と、バカに付き合わされて複雑な顔をしている翔霏。
そんな可憐な乙女二人を置き去りにして、大中小の男三人が地図を広げて作戦会議をしていた。
もちろん大が巌力さん、中が椿珠さん、小が軽螢である。
彼らの立ち姿を後ろから見ていると、まるで携帯電話のアンテナ三本線のようであるな。
「北上して森を抜ければ、一応は青牙部の領域ってことになってる。この地図に書いてないだけで、新しい邑があったりするかもな」
とは椿珠さんの談。
青牙部は住民の数が激増中なので、古い地図では把握しきれない新しい集落がいくつも散らばっている可能性がある、ということだ。
話の内容を受けて、軽螢と巌力さんが相談する。
「また変装して邑に紛れ込みながら、覇聖鳳の足取りを追うことになるンかね」
「それがよろしかろう。もっとも、奴才も麗女史たちと同じく、覇聖鳳に顔が割れておりまする。邑人相手の物資の取引や情報集めは、三弟に表に立っていただくのがよろしいかと」
そうか、この中では椿珠さんだけが、覇聖鳳や青牙部の兵たちと直接の面識がないんだな。
覇聖鳳の消息と同時に、私たちは気にすべきことがあることを、椿珠さんに告げる。
「翼州(よくしゅう)から連れ去られた人たちが、どうしているかも知りたいんです。大勢の人をすぐにはどうこうできなくても、無事に暮らせているかどうか、気になるので」
「わかった。結構な数が人攫いだの人買いだのの憂き目に遭ったって話だからな、翼州の国境沿いは……」
沈痛な顔を浮かべて、私たちに同情してくれる椿珠さん。
そんな彼を冷めた目で見て、ぶしつけな質問を翔霏が投げかける。
「おたくのご実家は、まさか人の売り買いにまで手を出していないだろうな」
聞いた椿珠さんは当然、顔を歪ませて不愉快な感情を露わにした。
「ちょ、翔霏、失礼だよ!」
「聞いておかねばならんことだ。国境の外まで商売の手を広げているなら、昂国(こうこく)では禁制となっているものの取引も手掛けていて不思議ではない。法の外だからな。私たちに必要なのは正しい情報なのだから、知っていることを隠されても困る」
睨み合っている翔霏と椿珠さんの間で、オロオロするしかない私。
椿珠さんは大人の態度を見せ、表情を平らかに変え、答えた。
「少なくとも俺の知る限りでは、環家が人身売買に手を染めてる形跡はない。ただ紺(こん)さん、あんたが言うように、ウチに連なる商人の一部が、その手のやり取りに関与している可能性自体はある。俺も把握しきれんぐらい、店も取引所も多いからな……」
「椿珠兄ちゃんは、言うて妾の三男坊だからなァ。家に関する大事で深いことまで知らんのも仕方ないと思うゼ」
決してバカにしているわけではなく、椿珠さんの立場を正しく理解して冷静な意見を挟む軽螢。
なるほど、と翔霏は納得した表情で軽く頷く。
「失礼な詮索だった。しかし誠実に返答していただき、感謝する」
「いいさ。これから死地に向かうともがらだ。隠し事はナシにしよう」
どうやら剣呑な空気にはならず、ちゃんとわかり合えてくれたようでなにより。
しかし、ホッとして胸をなでおろしていたのも束の間。
「話の途中で申し訳ござらんが、怪魔にござる」
私たちをかばうように仁王立ちした巌力さんが、いつもと変わらない口調で言った。
カサカサ、と枯れ木枯枝を踏み分けて私たちの眼前に現れた異形の化物は。
「ホッ! ホアッ! ホアァーーーーーーー!!」
巨大なサルであった。
いやもう、見た目は完全に、悪い薬でもキマっているゴリラ。
ナックルウォークしている体高は2メートル以上ありそうなので、足腰を伸ばして立ち上がったら3メートルくらいだろうか。
なんでこんな寒い地域にゴリラの怪魔が出るんだろう、などと私が緊張感のない感想を抱いていると。
「フンハッ」
巌力さんが突進の頭突き、相撲で言うところの「ぶちかまし」を巨猿の怪魔に仕掛ける。
「ホアキョッ!?」
ガゴォォン! と交通事故のような衝撃音が鈍く鳴り響く。
巌力さんの頭突きで横顎をしたたかにブチ喰らわされた巨猿は、まるで格闘ゲームの気絶状態にあるかのように、その場でグラグラ、フラフラと上体を揺らした。
おそらく視界には無数のヒヨコが飛んでいることだろう。
「ぬうん」
無防備になった怪魔の頭部を巌力さんは両手で掴み、力任せにぐいぃと横方向に捩じった。
「フォホ」
か細い断末魔を上げ、巨猿の怪魔は首の骨を捻り折られ、バタムとその場に倒れたのだった。
「後宮の宦官やべぇ。超やべぇ」
「メメメエ……」
軽螢とヤギくんが、抱き合って震えていた。
「本当に人間か?」
「いや、翔霏も同じジャンルだけどね」
唖然としている翔霏に、私はこれ以上ない的確なコメントを返すのだった。
そんな些細なトラブルやオドロキイベントを挟みつつ、私たち一行は野を超え山を越え。
「邑の灯りが見えるな」
青牙部の領域で、見知らぬ集落を視界の果てに捉えた翔霏が言った。
私たちはあくまで平静を装い、ただの通りすがりの戌族(じゅつぞく)の若者であるかのように振る舞って、こだわりもなく邑に足を踏み入れる。
「北の方へ、親戚に会いに行く途中でね」
と、適当な嘘八百を口にして、邑の入り口を守る衛兵を椿珠さんがやり過ごす。
寒いので全員、ほっかむりや耳当ての付いた毛皮の帽子を装備しており、人相がハッキリわかるということはない。
翔霏の武器も普段は短いまま、服の陰に隠して持ち歩いているので、一目で「棍を持ったサル女」とばれることはないだろう。
きっと、多分、大丈夫。
そうでなければ困る。
「おい、ちょっと待てお前ら。そのヤギ……」
と思っていたら、私たちの人相より先に、不自然にデカすぎるヤギが衛兵に怪しまれたよ!
ど、どうする!?
全員に緊張感が走り、翔霏が袖の内に隠した伸縮鉄棍を握る。
けれど、この場で刃傷沙汰は起こらず。
「立派なツノだなあ。潰して食うなら、ツノだけでもうちのガキにくれねえか? タダでとは言わねえからよ」
「メェ!?」
はあ、純粋に興味を持たれただけだったか。
食料になる前提で話が進んでいることに、ヤギが不安がったのだった。
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