第十章 白き髪の戦士たち

七十七話 奴隷上がりの大頭目

 千の山と万の里を流れると呼ばれる「緑江(りょくこう)」のほとり。

 

「ちち、ちちちち」


 川べりで魚とか貝を食べ、そろそろ出発しようと思っている、そんな昼下がり。

 嫌がられているのにお構いなしで旅の仲間に加わった星荷(せいか)さんが、鳥寄せを行っていた。


「チュチュン、チュン」


 冬ヒバリとこちらで呼ばれる小鳥が、星荷さんが構えた指先に降り立った。

 うわ、なにあれいいな、私もできるようになりたい。

 でも彼から物を教わるのは癪なので、羨ましい素振りなんて見せないのであった。


「この川を下れば、神台邑(じんだいむら)に行けるんだな」


 翔霏(しょうひ)が地図を広げ、ぽつりとつぶやく。

 そう、私と翔霏が最初に会った、あの河川敷に、この川は繋がっている。

 私たちが目にしている、翼州(よくしゅう)神台邑から遥か上流に位置する緑江の流れは、そのまま戌族(じゅつぞく)の黄指部(こうしぶ)と白髪部(はくはつぶ)の領域を分ける、境界線である。


「昂国(こうこく)に帰るときは、川下りでもすっか?」


 軽螢(けいけい)が楽しげに言った。

 うん、夏の盛りを前にした、いつかその日。

 晴れ晴れとした気持ちで私たちは船に乗り、川の流れに乗って、ヨモギの草が満ちる翼州に帰ろう。

 そのときを思うと泣きたくなるけれど、なんとかこらえて。


「じゃ、行こっか」


 白髪部の領域へ向かうため、渡し船が構えられている位置まで、みんなで歩いた。

 戌族の中では黄色部に次いで勢力が大きく人口も多い、白髪部。

 覇聖鳳(はせお)たちの青牙部(せいがぶ)と、先祖を同じくすると伝えられている。

 彼らも青牙部と同様に、尚武の気風を持つ、厳つい荒くれ者集団と聞いている。


「昂国の若いモンを乗せるなんて、こりゃ珍しいこともあるな」


 筋骨隆々の船頭さんが私たちを見てそう言った。

 することもない船上の時間だ、情報収集に充てることにしよう。

 そう思った私は詳しい話を聞く。


「滅多にありませんか」

「いやあ、奴隷の行き来は珍しかねえけどよ。人買い連中は俺らのちんけな船なんて使ってくれねえからな」


 へっ、と自嘲するように船頭さんは嗤った。

 昂国ではキツイ肉体労働や家庭内の使用人として、奴隷に近い扱いを受けている人たちがいる。

 奴婢や宦官と呼ばれる階層がそれだ。

 けれど彼らも国民として戸籍を持っているし、財産の私有や相続を認められているので、制度の上では完全な奴隷でなく自由市民である。

 例外があるとすれば、後宮を襲って返り討ちに遭った青牙部の兵士のように、刑囚として終身懲役を喰らった人たちだな。

 しかし戌族、特に白髪部では公然と人間以下の扱い、奴隷の身分が存在する。

 重犯罪者、破産者、みなしご、他部族との戦争で得た捕虜などが奴隷に身をやつす。


「今の白髪部の大統(だいとう)も、元は馬糞拾いの乞食、奴隷のようなもんじゃったはずじゃがの」


 流れる雲を見つめながら、星荷さんが軽く言った。

 白髪部の首領さんは、正式には大統という呼称を使っている。

 一瞬、怒りにも似た不愉快な顔を船頭さんは見せたけれど。


「そんな身空からてっぺんに昇ったお方だ。武運天運では昂(こう)の天子さまにも負けちゃいねえ」


 どこか自慢げにそう言い、変わった形の小さな笛を口に咥えて櫂を漕いだ。

 甲高い音から成る、特徴的な旋律をBGMに、私は思う。

 実力さえあれば、生まれ育ちがどうであっても、それこそ奴隷のような境遇からでものし上がることができる。

 それが白髪部の社会であり、そこに属する民の誇りでもあるのだろう。

 青牙部と同じく白髪部にも血統的な差別はないとのことなので、下層からでも夢を掴むことができるのだな。

 一度は奴隷になったとしても、身分が固定し続けるとは限らないわけだ。


「軽螢は首領、大統さんをちらっと見たことあるって言ってたよね? どんな感じだった?」

「シブいおっちゃんだったよ」


 情報量が少ないなあ。

 いぶし銀のダンディくらい、戌族の土地でなくたって、いくらでも。

 いや、私の周りには、いないな?

 潤いが足りない理由はそれかあ。

 もっと細かく教えろよという私の表情を察して、軽螢は言葉を重ねる。


「北方無二(ほっぽうむに)って呼ばれる褐毛の、立派な馬に乗っててサ。覇聖鳳たちみたいな鉄の刀じゃなくて、青銅の直剣を持ってンだ。俺もそれにあやかって、この剣を使ってるンだよ」


 軽螢が持つ唯一の武器、使い古してデコボコが目立つ青銅剣。

 鍔(つば)のない素朴な刀身を撫でながら、軽螢はニコニコと笑っていた。

 馬の通称まで知ってるなんて、結構詳しいな。

 神台邑育ちの軽螢にとって、国境を挟んですぐ向こうにいる白髪部のボスは、憧れの英雄なのかもしれない。


「坊主、見所があるじゃねえか。せいぜい大統みたいに偉くなって、俺を引き立ててくれよ」

「へへっ、俺がいつかでっかい船を買えるようになったら、兄さんに船長をお願いするさァ」


 なにやら軽螢と船頭さんで意気投合し、その後は男子ワールドの他愛のない雑談が続いた。

 どこ行ってもコミュ力高いなあ、コイツ。

 ところで、乗船してから翔霏が一言も喋ってないけれど。


「大丈夫? 船酔いとかしてない?」

「……それは問題ない。が、そもそも船はどうして浮くんだ? 人は水に入れば沈むもののはずなのに」


 あ、そっち系? そっち気にしちゃう系?

 沈むという前提を持ってるってことは、翔霏はカナヅチなんだな。

 はじめて! はじめて運動や体育系の分野で、翔霏に勝てる!

 これでも25メートルくらいなら泳げますんでね!


「あ、船板に穴が」

「なんだと!?」


 私がからかったら翔霏が本気で怖がって、船の縁にジャンプした。

 鉄棍を持っている翔霏の総体重は、並の男性より重いので、船が急激に傾いた。


「お、おい! 嬢ちゃんたち! 大人しくしてくれねえかな! 無事に着けなくても知らねえぞ!」


 怒られちゃったよぅ。

 結局、翔霏は対岸に着くまでの間ずっと、私の衣服の端を掴んで過ごしたのでありましたとさ。

 臆病な翔霏も可愛い、好き。

 鉄棍を手放してくれない限り、もし船が転覆したら二人とも溺れるんだけどね。

 船を怖がっているおかげで、翔霏が事故を装って星荷さんを川に突き落とさなくて済んだのが、なによりだった。


「いい商売のネタを見つけたら、俺にも教えてくれよ」

「ウン、また帰るときに寄るかも」


 船頭さんに軽螢が別れを告げる。

 白髪部の土地に降り立ったけれど、さりとていきなり物騒なことなどあるわけもなく。

 わけもなく。

 あれ?

 

「お前ら、今、河を渡って来たな」

「商人……には見えないが。沸(ふつ)の坊さんもいるのか」


 気が付いたら、屈強な騎馬兵の群れに、周りを取り囲まれている!?

 全員が手に武器を、体には革なめしと鉄片からなる軽装の鎧を装備していた。

 河川敷で軍人に囲まれがちな、特殊な星の下に生まれた麗央那(れおな)さんとは私のことだ。


「麗央那、私が掻き回すから、ヤギに乗って一目散に逃げろ。荷物は置いて行け。あとでどうにでもなる」

「メェ……ッ!」


 翔霏が、今までに見たことがないほどの警戒信号を発して、小声で囁く。

 ヤギもなんか気合い入れてくれてる。

 数百人からなる青牙部の荒武者たちに面しても、余裕の顔を崩さなかった翔霏が。

 目の前に居並ぶ男たちを、それ以上の強敵だと認め、眼光を鋭く光らせている!

 

「は、話せばわかるんじゃねーかなァ……?」


 軽螢も口ではそう言いながら、腰の剣に手をかけた。

 へっぴり腰なのが丸見えであった。

 

「話は聞く。俺たちが一方的にだ」

「どこの間者だ? 覇聖鳳の小僧に言われて来たんなら、全身の生皮を剥いで送り返してやるか」


 男たちは問答無用で、私たちを束縛、拘留しようと、カチャカチャ武器防具を鳴らせて、にじり寄って来る。

 川一本を挟んだだけで、世界観が変わりすぎじゃねーかなこれ!?

 白髪部の大統さんは、どこぞの世紀末覇王ですか!?

 群れの後ろには、さっきまで私たちを船に乗せて、雑談していた船頭さんの姿も。


「悪ィな、嬢ちゃんたち。これも商売でね」

「あの笛の音、白髪部の軍隊に知らせるものだったんですか」


 船の上で船頭さんが唐突に吹いた笛。

 あれが対岸にいる人への、なにかしらの暗号や狼煙の役割を担っていたのだろう。

 渡し守をしながら、素性の怪しいやつを見つけたら軍隊に引き渡すことも、船頭さんの仕事だったわけね。


「どうしたもんかな~」


 光速で動け、私の脳細胞。

 シナプスよ駆け廻れ。

 ここで暴れて逃げることは、翔霏もいることだし、ギリギリ可能だと思う。

 でもそれを選ぶと、今後、白髪部の領域を動き回るのに大きな障害を残すことになる。

 私たちが散り散りになってしまうリスクも、考慮しなくてはならない。

 星荷さんは、まあどうでもいいけど。

 逆に、この場は大人しく捕まったとして。

 目の前の相手が私たちを、安全で自由な状態に置く可能性は、極めて低い。

 白髪部のみなさんは青牙部その他からのスパイにピリピリしており、私たちが肉体的な拷問を受けないとも限らない。

 なにより、時間が無駄に奪われることは確実だ。

 この思考の間、流れた時間は約1秒。

 嘘、もっとかかった。


「不本意だけど、ごめんなさい!」


 脱出を決意し、翔霏にゴーサインを出そうとした私。

 その肩に、ポンと手が置かれた。


「そう気色ばむでないわ。どのみち、阿突羅(あつら)のところへは出向くつもりじゃったからのう。逃げも隠れもせんから案内せい」


 星荷さんがいつもの糸目を見開き、赤い瞳を向けて白髪部の男たちに言った。

 阿突羅というのは、彼らの首領、大統の名前である。

 その名を出されて、明らかに目の前の男たちは顔に戸惑いの色を見せた。


「お館の名前を、軽々しく呼ぶなッ!」

「ま、待て、その紅眼(こうがん)、矮躯(わいく)……ま、まさか!?」


 小さなおじさんに睨まれて、後ずさる屈強な騎馬武者たち。

 彼らの前で、星荷さんは毅然とした振る舞いで、一喝した。


「僧号は星荷、親から授かった赤目(せきもく)としての名は斧烈機(ふれき)。おぬしらの親玉、阿突羅の嫁の兄じゃ。義弟と妹にワシが会いに来て、なにが悪いかッ」


 堂々とした名乗りと、刺すような視線を受けて、男たちは揃って馬から降りる。

 そして、腕時計を見るかのような、肘から拳を胸の前で水平に構えた姿勢を取った。

 右拳平礼(うけんへいれい)と呼ばれる、相手に敬意を示す挨拶の一種だ。

 武器を持つ右手を戒めることで、相手に敵意がないことを示すのである。


「お、大姐(おおあね)の御兄弟とはつゆ知らず、無礼を働きました!!」

「平に、平に容赦を賜りたく!!」


 武骨な兵たちが一転、頭を並べて下げ、恐縮してかしずいている。

 正体不明のクサレ坊主。

 宗教人としての号を星荷、本名を斧烈機と名乗る彼は、赤目部(せきもくぶ)の大人(たいじん)の家系に連なる、名士であった。

 赤目部から白髪部にお嫁さんに来たのが、星荷さんの妹ということになるか。

 大姐と呼ばれているからには、きっとかなり位の高い、周囲から尊敬されている奥さまだろう。

 そのことを、私たちははじめて知ったのである。


「なんなんだ、面白くもない」


 まったく信用していない星荷さんに場を収められて、翔霏はむくれていた。

 先に言えや、と私ももちろん、不愉快であった。

 ううう、凄い人なのかもしれないけれど、尊敬したくねえ~~~~。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る