後宮の侍女、休職中に仇の家を焼く ~泣き虫れおなの絶叫昂国日誌・第二部~
西川 旭
第八章 八州と北方の境界
五十七話 過去と、今と、未来の麗央那
あれは中学三年の、夏休みが明けた頃だった。
私のクラスで、イジメ的なものが発生していた。
「いい歳して、下らねーことしてんなあ」
私は最初、その程度にしか思っていない、よくいる傍観者の一人だった。
いじめられていた子の名前を、仮にA子ちゃんとする。
明確な暴力や、ものを盗んだり壊したりというのではなかったけれど。
クラスの中で調子づいたバカ数人が、A子ちゃんをことあるごとにいじり倒し、そうかと思えば無視して、あるときは親御さんの職業をバカにした。
確か、A子ちゃんのお父さんは葬儀屋さんだったか、火葬所だったかで働いていたのだったな。
A子ちゃんはぽっちゃり太っていたことも、理不尽ではあるけれど、バカたちを面白がらせる一因だっただろう。
クラスメイトの大半はそれに同調して笑うか、気まずい顔で放置するか。
「もう、死んじゃおっかな」
疲れた顔で公園に一人たたずみ、そう呟いているA子ちゃん。
私はそれを下校中に偶然、見かけたことがある。
一つ一つは些細な嫌がらせ、日常的な、悪気のないイジリだったかもしれない。
そうであったとしても、親御さんをバカにされていることがA子ちゃんにとってキツいダメージであったのは、傍目からも分かった。
ところがある日を境に、いじめっ子の一人であるB男の日常に、悪意のある変化がもたらされた。
B男の家には、公衆電話から無言のいたずら発信が、毎晩九時九分きっかりに、繰り返された。
玄関前には、蟲の死骸が大量に散乱するようにもなった。
「お、おいデブ! テメーの仕業だろ!? ちょっといじってただけなのに、仕返しのつもりかよ!!」
B男はまず真っ先にA子ちゃんを疑ったけど。
「し、知らないよ。あたし、夜は塾に行ってるし……」
そう、ヨシコちゃんは隣町の塾に電車で通っていたので、夜中の犯行は不可能なのだ。
犯人がわからないまま、B男への陰湿な呪いは続いた。
血のような赤い塗料で書かれた手紙が投函され、エッチな業者さんのヌードチラシがB男の学校の机に大量に投入された。
むしろそういうことがあったために、B男が次第にクラスメイトからいじられ、からかわれるようになった。
ひどいときには教室にあるB男のロッカーの中に、お酒の缶やタバコの吸い殻、そしてシンナーの空き瓶が仕掛けられたりもした。
「B男! どういうことだこれは!」
「な、なんだよ一体!? 俺、そんなの持って来てねえって!!」
B男は生活指導室に呼ばれて、詳しく話をすることになった。
自分たちのグループがA子ちゃんを普段からいじってからかっていたこと。
でもA子ちゃんも親御さんも、B男の家に悪戯するのは時間的に不可能であることなどが、確認されたそうだ。
いじめに加担していた他のクラスメイトに害はなく、B男だけが執拗に狙われていることなどもわかった。
「も、もう、やだよ、なんで俺ばっかりこんな目に……最近、ろくに寝れてねえんだ……」
憔悴しきったB男は不登校気味になった。
不眠程度で休むとは軟弱な奴だ、私は週の半分以上で夢遊病を発症しているぞ、などと思った記憶がある。
自然と、B男の仲間たちも気味悪がって、A子ちゃんに対するいじりの度合いを弱めたり、あるいは全くやめた。
事態がつかめないままイジメが収まったA子ちゃんも、決して愉快そうにはしていなかったけれど。
表面上、私のクラスは平穏な状態を維持したまま、中学生最後の年度を、終えたのだった。
「あのときは、指紋でも取られたらヤバいなと思って、冷や冷やしたなあ」
当時を振り返り、私は懐かしむ。
もちろん、B男の家に呪いの嫌がらせ行為を連日、続けたのは、私だ。
「さすが麗央那(れおな)だ。誰も傷つけずに問題を解決するとは」
私の話を聞いて、翔霏(しょうひ)はそう褒めてくれたけど。
「いや、傷ついてんだろ、男の方は。むしろ単に殴られるより怖ぇよ」
軽螢(けいけい)の言うことも、もっともではある。
当時の私は、A子ちゃんと特に仲良くもなかったんだけど。
あいつらがA子ちゃんをバカにしてケラケラ笑っている、その教室の空気がいい加減、耐えられなくなって、B男を狙い撃ちして、陰ながら制裁することを決めたのだ。
正義感でもなければ、A子ちゃんに対する憐憫や同情であるわけもない。
私自身が、あの教室の粘ついた不快極まる空気に我慢できなかっただけ。
ただでさえ、高難易度の高校を受験することを決めていて、普段からノイローゼ気味になるまで勉強していた私は。
自分の精神の平穏のため、ただそれだけに、B男を教室から排除した。
B男一人だけを不気味に陥れれば、他の連中も怖がって行動を改めるだろうと思っていたけど。
あんなに上手くいくとは、正直思わなかったな。
「嫌がらせを受けていた子とそれほど親しくもなかった麗央那だから、疑われることもなかったんだろう。一人を見せしめに大勢に警するのは兵法の常道だと、泰学(たいがく)にも書いてあった気がする」
翔霏が感心したように言った。
B男を的にかけた理由は、単にバカ連中で私の家から一番近いのが、B男の家だっただけ。
勉強の合間に気晴らしで散歩している道すがら、電話をかけたり、虫の死骸を集めてB男の家に投げ入れてやった。
小学校が同じだったので、B男が虫嫌いなのも知ってた。
A子ちゃんと仲良くもなく、B男ともなんら確執がない私が疑われるということは、まずなかったのだ。
「麗央那の気持ちも分かッけど、ちょっとやり過ぎじゃね? 陰湿過ぎね?」
軽螢は、麦のおモチ的なものを頬張りながら、私の武勇伝に若干引いていた。
私たちは今、首都である河旭城都(かきょくじょうと)の北西にある中規模の町で、旅の休憩、夕食中である。
忙しくもみんなが仲良くしていた、神台邑(じんだいむら)の生まれ育ちである軽螢。
彼にとって、埼玉の公立中学校内で起こるイジメだのイジリだのの空気は、細かくわからないかもしれないな。
武蔵の国は、昔から子供同士のイジメが酷く度が過ぎている、と評した小説家は、誰だったろう。
「麗央那は学堂(がくどう)の秩序のため、被害を受けていた女の子のために、必要なことをしたんだ。本来なら教師が戒めるべき話だろう。大人たちが頼りないのが悪い」
「そうかも知ンねえけど、やりようってもんがあるだろ。もしもバレたら、麗央那が悪ガキどもから仕返しされっかも知れねえんだし」
「フン、麗央那に文句があるような輩は、私が返り討ちにしてやる」
「いやいや、去年の話だってーの。翔霏はいないだろ、そこに」
私の中三エピソードのせいで、翔霏と軽螢がやいのやいのと議論を始めてしまった。
ま、こういう時間も楽しいものだけれどね。
この話を打ち明けたのは、翔霏と軽螢がはじめてだ。
埼玉の友だちも、お母さんも、私がそんなことをしていたとは知らない。
周りに知られたら、私に面倒が被さって来るのがハッキリしてたからね。
ただでさえ勉強のノイローゼであっぷあっぷしてたのに、それ以上のことは抱えきれなかったんだよな。
「干し柿、食べないなら貰っちゃうよ」
「あッ……」
議論に夢中になって、最後の干し柿を食べられなかった翔霏が、切ない声を出した。
濃厚な甘みを楽しみながら、私は考える。
「姜さんも若い頃、似たようなことがあったって言ってたな」
首狩り軍師、除葛(じょかつ)姜(きょう)さんの、故郷での武勇伝。
彼も理不尽な扱いを受けていた友人のために、徒党を組んで相手をやり込めた逸話を持っていた。
だから私は姜さんにいくばくかの親近感を抱いたけれど、やっぱり私と姜さんは違うな、と思う。
姜さんは仲間のため、自分が住む街のために行動をしていたんだろう。
私は、自分がスッキリしたいから、気持ちよく教室で勉強したいから、ただそれだけのために、B男を追い落としたのだ。
なにより私は、人望がないから集団でわいわいやる中心に立てないし。
成長して大人になった姜さんは、仲間とワイワイやることよりも、ただ目的を果たすことを優先するマシーン、化物になってしまったけれど。
「私は、大人になったらどうしてるのかなあ」
「普通に働いてンじゃね?」
特に根拠もないけど、最も現実性が高そうな答えを軽螢に貰う。
できるなら私も、それが一番いいと思ってるよ。
「仇を討ち果たした、その後か……」
食べるものがなくなって、寂しそうに遠くを見ながら翔霏が呟いた。
万事めでたく覇聖鳳(はせお)たちをブチ転がし、各所にお礼と挨拶行脚を済ませたとして、さあその先は。
大前提として、私は埼玉のお母さんのところに帰るつもりだけれど。
翔霏や軽螢、翠(すい)さまや玄霧(げんむ)さんと会えなくなるのは、嫌だなあ。
ぼんやり考えながら夕陽を眺めていると、町の子どもたちがチャンバラ遊びをしている光景が目に入った。
「ならずものたちよ、きけーい。われこそは、よくしゅうさぐんふくし、しご、げんむなるぞー」
おかっぱ頭のはなたれ小僧が、玄霧さんに成りきって木の枝を振り回していた。
マジかよ玄霧さん、超有名人じゃん。
「お、おのれー、こんなにもはやく、たどりつくとはー」
「ひけ、みなのもの、ひけーい」
あれま、敵役の子どもたちは、ひょっとして覇聖鳳たち、戌族(じゅつぞく)のつもりなのか。
後宮襲撃騒ぎからまだ、十日ほどしか経っていないと言うのに。
「噂話が広がるのは、早いものだな」
腰の入っていない子供たちの闘争遊戯を優しい目で見つめて、翔霏が言った。
急ぐ旅ではないんだけど、私たちも早く、覇聖鳳たちとの決戦の場に、辿り着かないと。
「逃がすか野良犬どもー! 翼州(よくしゅう)が生んだ義侠の流れ星、この応(おう)軽螢サマが貴様らを討ち取ってくれる―!」
「メエエエエエエェェ」
いつの間にか軽螢と巨ヤギが、子どもたちの群れに突っ込んで、遊びに混じってしまった。
「うわ、なんだこの兄ちゃん!?」
「そんなやつ、しらないよ、だれだよ」
「でっけーヤギ!!」
笑われながらも、一緒に走り回って、大いに楽しそうにしている軽螢であったとさ。
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