10 もしそうであれば
広場を少し離れると、そこはすっかり違う町のようだった。
祭りの喧噪はまだはっきりと聞こえるが、その活き活きとした騒ぎは住人の留守にした家々を際だたせる。まるで伝説の廃墟コランバールに迷い込んだかのようだ。
かつて世界一の職人たちが日夜を問わず火を入れていた炉は神の怒りに崩れ落ち、いまでは職人たちの
クラーナは首を振った。ここは廃墟ではない。小さいが、活気に満ちた豊かな町で、人々は年に一度の祭りを楽しんでいる。何となく浮かんだ不吉な思いを振り払うおうと、彼は足早に
ほっとすることに、幾つかの家からは灯りが洩れている。乳児とその母、病人や老人などは在宅しているのだ。おかげで想像力の豊かな詩人も、それ以上薄暗い方向に思いを働かせずに済んだ。
クラーナは何となく深呼吸をすると、丁重に扉を叩いた。
少し待つ。返答はない。
彼はもう一度、戸を叩いた。
同じように、待ちぼうけを食らう。
数
「セル……デン」
クラーナはそっと家の主の名を呼ぶ。
「突然に、すみません。コトが気になって」
立ち上がるのも億劫だと言っていた老人である、思いもかけない訪問者を迎えに出てくるには時間がかかるのかもしれない。クラーナはどうしようかと思ったが、デンに足労をかけるよりは少しばかり無礼を働いてもいいことにして、勝手に屋内に入り込んだ。
ひとつ目の部屋には、昼間と同じように誰の姿もない。そのまま、開いた扉の向こうをのぞき込むと、驚いた顔の老人が、同じように窓辺の椅子に腰掛けていた。
「これは、
「クラーナです」
ほとんど無意識で再び名乗ってから、詩人は小さな部屋を見回した。いるはずの姿が――ない。
「あの……コトは」
「祭りへ、行ったが」
戸惑った声でデンは返してきた。
「祭りへ?」
クラーナは拍子抜けした。ならば、彼が声をかけた人間がたまたま誰も少年を見かけていなかっただけで、ちゃんと子供は祭りを楽しんでいるのか?
「それなら、いいんですけど」
「もしや、老人と退屈な時間を過ごしていると思って、孫を誘いにきてくださったか」
デンは深い声で笑った。
「有難い」
「あの子は、その、楽しんだ方がいいんじゃないかと思ったんです」
言い訳するように、クラーナ。
「余計な心配だったみたいですね。あなたが同じことを考えないはずがなかった」
コト少年は、〈三穀祭〉に参加している。内気な子供は、もしかしたらどこかの木陰でそっと、催しを眺めているのかもしれない。
或いは――母に手を引かれる余所の子供を寂しそうに眺めているかも、しれない。
そんなふうに思うと、感受性豊かな詩人の胸は少し痛んだ。早く見つけて声をかけてやりたいような気がした。
「ところで、あなたのお連れは、魔術師だとか」
突然、デンはそんなことを言った。クラーナは少し戸惑いながらも認める。オルエン当人の主張はともかく、一般的にはどう見たって魔術師だ。
「祭りには、その彼もいらしたか」
「ええ。どうにか引っ張り出しました」
「そうか」
デンはすっと視線を逸らした。
「コトが見なければよいが」
その言葉にクラーナははっとなった。オルエンには黒ローブを脱がせたけれど、クラーナの隣にいるところを見れば、それが話題の魔術師だと気づくだろう。コトは、見ただろうか。
「彼はすぐに帰ったから……見ていないんじゃないかと思いますけれど……」
またも言い訳のようにクラーナは呟いた。だがそこには何の根拠もない。
そして、もし。
とくり――とクラーナの心臓が鳴った。
もし、コトが、祭りの賑わいからひとり去っていくオルエンの姿を見かけたとしたら。
少年は、あとを追わないだろうか?
オルエンはどこへ行った? 宿ではない。森だ!
「デン殿」
クラーナの鼓動は早まり、声は掠れそうだった。老人は首を傾げる。
「どうされた」
「本当のことを話します。オルエン――僕の連れは、今夜、あの森に花を咲かせる植物に興味を持って、この町にきたんです」
「……何」
「言ったように、彼は魔術師だ。毒から身を守る術を持っているのでしょう。ああ、彼のことはどうでもいい。もしコトが森に向かう彼を見て、リアーと魔術師の噂を思い出してあとを追いかけるようなことがあれば」
「そのような」
デンは驚いて立ち上がろうとした。だが、老いた身体は彼の思うようには動かず、老人は椅子から崩れ落ちるような形になった。クラーナは走りより、それを支える。
「そのような……ことが。もし、あの子にまで何かあれば、私は」
「もしそうであれば、僕の責任です」
クラーナはすぐさま言った。
「コトはまだ祭りを見ているかもしれない。でも、あの人数のなかから子供が『いない』ことを確認するのは至難の業だ」
青年は唇を結んだ。
「あの子はオルエンを追いかけたかもしれない。僕はその可能性を考えて、森に行ってきます。あの子がいないことを確かめるために」
「しかし」
デンは希望と絶望が混じり合った、複雑な表情をした。
「それでは……あなたが危ない」
「大丈夫。僕は」
(お前に毒は効かんかもしれんぞ)
(――人外)
「僕には、毒は効かないんです」
何の根拠もない魔術師の言葉を耳に蘇らせながら、吟遊詩人は真剣な声音と顔つきで、そう言った。
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