婚約解消したいんだけどどう? と問われましても

アソビのココロ

第1話

「君との婚約を解消したいんだけど、どうだろう?」


 いきなりだったので少々驚きました。

 麗らかな春のガゼボでお茶を楽しみながら出す話題ではないですよ、オールトン王太子殿下。

 いえ、従者すら遠ざけてわたくしと話す機会は他にないですね。

 オールトン様の秀麗なお顔は真剣です。


「どう、と仰いましても……。わたくし達の婚約は王命で決められたものです。臣下であるジェンクストン侯爵家の立場からは何も申し上げられません」

「コーデリアは頭がいいから、何かうまい方法を考え付くと思うんだ」

「ええ?」


 無茶振りにもほどがありますね。

 しかし発作的な公開婚約破棄に打って出られるよりはマシと考えましょうか。


「そもそもわたくしとの婚約を解消したいのは何故なのです?」


 もちろん見当は付きますけれども、オールトン様の意思を確認しておかなければなりませんので。


「……真実の愛を見つけてしまった。シルフィと結婚したいんだ」

「シルフィ・ヒューム子爵令嬢で間違いございませんか? 学院で同学年の」

「あ、ああ」


 オールトン様がシルフィ様と逢瀬を重ねていることは存じております。

 王太子殿下が密かに行動するなんてできない相談ですし、陛下やわたくしの元には逐一報告されますからね。


 しかしシルフィ様ですか。

 優しい眼差しが特徴の、美しく控えめな令嬢です。

 外見だけならオールトン様のお相手として相応しゅうございますが……。


「試みにお伺いしたく存じます。シルフィ様を婚約者としたいということを、シルフィ様以外でどなたと相談されましたか?」

「アルバート叔父とマイルズだ」


 アルバート王弟殿下とマイルズ筆頭護衛騎士ですか。

 あのお二人なら他所へ漏れることはないですね。

 他人の心内を忖度しないオールトン様でも、陛下に直談判することはさすがに憚られたようです。


 でもシルフィ様では……。

 穏やかな性格で学院の成績は中程度、王太子妃はとてもムリです。

 そんなことアルバート殿下とマイルズ様の二人はわかってるはずですのに、どうしてオールトン様に言い聞かせないのでしょう?

 あっ!


「……もしかしてアルバート殿下とマイルズ様がわたくしに相談せよと?」

「ああ」


 やっぱり!

 説明をわたくしに押し付ける気ですわ!

 わたくしだって婚約解消と言われれば心に波風が立ちますのに。


「アルバート叔父とマイルズは、シルフィを妃に迎えることは不可能だと言うんだ」


 ……一応ムリだという見解は伝えてくれているのですね。

 その上でわたくしに振るということは……。

 あの二人はオールトン様の短所とわたくしの能力を知る数少ない方達です。

 そうですか、わたくしも覚悟を決めろということですか。


「オールトン様、結論から申しますと、シルフィ様を妃とするのは難しいです」

「難しい? では可能ではあるのか?」

「オールトン様が王太子を降りるのであれば」

「えっ……」


 どうやらアルバート殿下とマイルズ様は、王位はオールトン様に荷が勝ち過ぎていると考えているらしいです。

 でもオールトン様以外の王位継承権保持者となると、家系図をかなり行ったり来たりしなくてはなりません。

 オールトン様を太子から外して平地に乱を呼ぶようなことは考えてないんでしょう?


 せめてアルバート王弟殿下に王位継承権があったなら。

 アルバート殿下の実母は隣国の王女であり、彼の国と関係が悪くなった時に王位継承資格を失ったのです。

 オールトン様を太子から外すのが非現実的であるのならば……。


「シルフィ様は淑女ではありますが、将来の王妃ともなれば臣民を従わせる威厳と能力が必要です。シルフィ様にはどちらも欠けております。オールトン王太子妃としては不適格と言わざるを得ません」


 そしておそらく覚悟も欠けております。

 オールトン様に迫られて甘い夢を見ているだけなのでしょう。


「……子爵家出という家格の問題だけではないのか」

「家格だけなら抜け道はなくもないです。しかし王妃の能力不足は国民を不幸にします。憚りながらわたくしも肝に銘じていることでありますが」

「……だから私が王太子を降りれば可能ということか」

「はい。しかし王太子を返上するという道も、オールトン様にはイバラの道でございます。まず第一に、そもそも王太子を降りるということが可能なのでしょうか?」


 あまりにも無責任だ、あるいは王家の威信を失墜せしめたというかどで厳罰に処されるでしょう。

 次の王位継承権保持者の血が遠いので、オールトン様の次代の王の目を徹底的に潰さないと、国が割れてしまうということもあります。

 ……わたくしの実家ジェンクストン侯爵家に対する慰謝料については触れませんけれども。


「おそらく表舞台には出せないということで、王位継承権剥奪の上、一生離宮に幽閉という措置になるのではないでしょうか?」

「……それでもシルフィと一緒になれるのなら……」


 まだ仰いますか。

 わたくしはこの方の婚約者だということが情けなくなります。


「オールトン様、シルフィ様は王太子に嫁ぎたいのですよ? 離宮に閉じ込められている廃太子の妻になりたいわけではないのです」

「い、いや……」

「万が一シルフィ様がオールトン様との愛に生きる決心をしたとしても、父君の子爵が承諾するとは思えません。ヒューム子爵家に何の得もない上に、笑い者になってしまうのですから」

「笑い者……」


 愚かなことをすると当然笑い者になりますよ。

 ああ、わかってはいましたが、わたくしの婚約者には想像力が足りていらっしゃらない。

 学業成績は優秀でいらっしゃるのに、他人の気持ちを推し量ることができないのです。

 いえ、オールトン様にはそんな必要がなかったからですね。


 第一王子として生まれた時から、将来の王が約束されていたお立場です。

 唯一オールトン様を叱れる陛下御夫妻も、教育は養育係や家庭教師に任せきりで息子には大層甘かったですもの。


 またオールトン様も勉強だけはよくできてさほど我が儘を言わないタイプですから、課題をそつなくこなして褒められるだけの人生でした。

 気付いた時には他者にかしずかれることは知っていても、他者を慮ることのできない欠陥王子のでき上がりです。


 古くからオールトン様と付き合いの深いアルバート殿下とマイルズ様は、問題を最もよく把握されています。


『見かけいい子ちゃんなのであまり知られていないが、思い通りにならないと癇癪を起こすんだ。理屈は通じるから言い聞かせることはできるけどね。ただオレの見るところ、オールトンの精神は六歳児レベルから進歩していない』

『主君に正道を歩ませるのが臣下の務め。しかし察しの悪い主は仕えづらいです。しばしばオールトン様に注意するようにしているのですが、自分以外にお諫めする人間がいないのがどうも……』


 わたくしがオールトン様の婚約者となり、どうにも違和感を覚えてアルバート殿下とマイルズ様に相談した時の言葉です。

 あの二人はオールトン様をある程度見切ってしまっているみたいです。


 ……ただよろしく頼む、とも言われています。

 無神経にも婚約解消の相談を当人にしてくるオールトン様には、わたくしだって呆れ返っているのですけれども。

 わたくしに決定権などないのですよ?

 レーメルフ王国の将来を思い煩うことなく、わたくしの方から婚約解消できるなら、とっくにそうしています。


「では私はどうすれば……」


 その成績だけはいいおつむを使って考えなさいませと、淑女らしくもなく怒鳴り付けたいところです。

 オールトン様は事実を論理的に繋げて答えを導き出すことには長けていらっしゃいます。

 しかし感情や思惑の交錯する人間関係を捉えることに大変疎いのです。

 ピースを持っていないのにパズルを組み立てるようなもの。

 ですからこんな間抜けな質問が出るのでしょう。


「オールトン様の、シルフィ様を妃に迎えたいという考えは変わらないわけですか?」

「ああ」

「では、シルフィ様を側妃になさるという選択がございます」

「側妃、か。考えなくはなかったが」

「わたくしを正妃、シルフィ様を側妃でしたら何の問題もございません」


 王家とオールトン様側の問題は、です。

 ヒューム子爵家側はどうでしょう?

 シルフィ様は娘三人のヒューム子爵家の長女ですから、子爵としてはシルフィ様の美貌を生かして優秀な婿を得るのが得策だと思います。

 王家からの側妃の要請は、通常でしたらオールトン様とわたくしの婚姻後三年を経過してからになるでしょう。

 いずれ側妃にするとの約束だけを信じ、婚期を逃すことに耐えられるでしょうか?


「やはりムリだ」

「どうしてでございます?」


 オールトン様もムリだと判断しますか。

 しかし最も実現できそうな方策ではありますが。


「私はコーデリアを愛することができない。妃とするのは君に悪い」


 ええ、想定内です。

 わたくしに悪いという言葉が出ること以外は。


「それも問題ありません。オールトン様はわたくしの異能については御存じですよね?」

「……魅了だろう?」


 人の判断力を奪い、術者の虜にする能力です。

 アルバート殿下とマイルズ様は、オールトン様に対して魅了を使えという意図のようです。

 確かにそれがレーメルフ王国のためではありますが……。


「しかし禁じられている術と聞いた」

「いえ、閨でだけは使用を許されておりますので」

「そうなのか?」

「はい、陛下に御確認ください」


 陛下御夫妻ですら御存じでないはずの魅了の副作用を、おそらくアルバート殿下とマイルズ様は知っているのでしょう。

 どうして知ったのかは疑問を感じますが……。


「……コーデリアを正妃とし、魅了で閨をともにして子を授かる。しかる後シルフィを側妃とする。それ以外に道はないんだな?」

「わたくしの考えの及ぶ範囲では」

「わかった。やはりコーデリアに相談してよかった」


 ああ、サッパリしたような笑顔を向けないでくださいませ。

 わたくしはオールトン様を切り捨て、王国の未来を優先する決意を固めてしまったのです。

 悪女と蔑んでくださっても構わないのですよ。

 ……もっともオールトン様の無神経な言動には、わたくしもそれなりに腹を立てておりますが。


「早速シルフィに伝えてくる。さらばだ」


 ここでシルフィ様の名が出ますか。

 どこまで行っても無神経なのですから。

 はあ。


          ◇


 ――――――――――一五年後。


 オールトン様の大葬は無事終了しました。

 現在は従者を排し、アルバート王弟殿下並びにマイルズ近衛兵副長と打ち合わせという名目で話をしています。


「終わりましたね」

「コーデリアちゃんにとってはそうかもね」

「何を言っているんですか。これからですよ」


 わたくしはオールトン様と結婚し、魅了を駆使して五人の子を儲けました。

 もうこれでお役御免でいいんじゃないか、という投げやりな思いもあるのです。


「オールトン様に申し訳ない気がするのです」


 結局シルフィ様を側妃にすることはありませんでした。

 必要がなかったということもありますが、やはりヒューム子爵家が現実的な選択をしたからです。 

 シルフィ様は優秀で優しい旦那さんを得て幸せそうでしたよ。

 オールトン様は嘆いていらっしゃいましたけど。


「コーデリアちゃんが責任を感じることはないよ」

「むしろこの先に責任を持ってください」


 マイルズ様は厳しいですこと。

 どこまでわたくしを働かせる気でしょう?


「……アルバート殿下とマイルズ様はもちろん御存じなんですよね?」

「ん? コーデリアちゃんの魅了の副作用のことかい?」

「アルバート殿下に伺いましたから知っております」


 魅了の副作用、それは被術者の生命力を削ってしまうこと。

 オールトン様が病気がちになり、ちょっとしたカゼを拗らせて亡くなったのは、わたくしの魅了のせいなのです。


「アルバート殿下はどこでお知りになったんですか?」

「先代の宮廷魔道士長から聞いたんだ。コーデリアちゃんはオールトンを魅了すべきだとね。でないとレーメルフ王国は滅びるという危機感を彼は持っていた。おそらく彼から直接聞いたのはオレだけ」


 ああ、なるほど。

 五年前に亡くなった宮廷魔道士長は、オールトン様の難儀な性格をよく御存じでいらっしゃいましたから。

 魅了についてもそのお立場上、詳しく知っていて不思議はありません。

 オールトン様に対して魅了を使えという意図があったから、陛下御夫妻に副作用について報告していなかったのですね。


「危機感、ですか」

「ああ。オレだってオールトンでは国は治まらんと思っていたさ。空気を読まない発言を繰り返して空中分解がオチだ」

「自分も同意見です。そんな時アルバート殿下にコーデリア様の魅了の話を聞き、希望を見出しました」


 希望、ですか。

 わたくしがオールトン様を衰弱死させてまで、次代に血統を繋ぐことが。

 何という残酷な希望でしょう。


「コーデリアちゃんのガキどもは悪くないぜ?」

「ええ。同母の兄弟姉妹がいると全然違うと感じますね」


 王妃様にはオールトン様お一人しか子がおりませんでした。

 側妃様にも子は産まれず、兄弟姉妹による人間関係の構築を行えなかったことが、オールトン様の精神的成長を阻害した原因の一つではあります。

 でも授かりものに文句は言えませんものね。

 魅了の力は借りても、わたくしの子供達は本物です。

 

「ブライアンはやるぜ。覇気がある」

「負けず嫌いですよね。剣術稽古の付け甲斐があります」


 ブライアンは長男です。

 オールトン様の喪が明けたら、王太孫となることが発表されます。


「愛情たっぷりですからいい子に育つのですよ」

「オールトン様だって可愛がられていたではないですか」

「ハハッ、コーデリアちゃんわかってるだろ? 人間は人形じゃないんだ。可愛がるだけが愛情ではない」


 ええ、わかっていますとも。

 亡きオールトン様の分まで子供達に愛情を注ぎ、ブライアンをどこに出しても恥ずかしくない王としなければ。

 わたくしは休んでいる場合ではないのですね。


「ところでコーデリアちゃん、オレの嫁になる気はないかい?」

「ありません」

「俺にも愛情をくれよ」

「子供達に注ぐ分で品切れです」

「ええ? じゃあ魅了するだけでもいいから」

「お断りいたします」


 アルバート殿下は何を仰っているのだか。

 マイルズ様が苦笑しているではありませんか。


 ……洒脱なアルバート殿下は、昔からわたくしの憧れの殿方ではありました。

 でも互いの運命が交わることはあっても、赤い糸が交わることはなかったですね。

 わたくしの気持ちを察してくれたのもアルバート殿下だけでした。


 ああ、本当にアルバート殿下が王位継承権を剥奪されていなかったなら。

 アルバート殿下とともに国を統治するという、ベストな選択ができたでしょうに。


「うまくいかないものだ」

「それはわたくしの言いたいことですよ」


 三秒ほど、アルバート殿下と視線が合いました。

 マイルズ様が見ないふりをしてくれているのがおかしくて、ちょっと笑ってしまいました。


「さあさあ。お二人には今後もブライアンの教育に協力してもらいますよ」

「おう」

「はい」


 アルバート王弟殿下を慕うわたくしの気持ちを、オールトン様が知ることはなかったでしょう。

 人の心を読まないことでわたくしを苛立たせたオールトン様への、ささやかな意趣返しですよ。

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