ミッドライフリサージェンス

巧 裕

第1話 告白

「あなたのことが大好きです! 付き合ってください!」

 会社からの帰り道。

 吊り革に捕まり、電車に揺られること三十分。駅から自宅へ徒歩で約十分。服装も、見るからに安い服を着古したボロい服。髪もボサボサ、ヒゲも三日ほど剃っておらず、清潔感もあまりない。歳は四十五歳。側から見れば、背中を丸めたくたびれたサラリーマン。

 そんなわたしの目の前に、曲がり角から突然一人の若い女性が現れてそんなことを言った。

 わたしは、女性が誰かと間違えているのだと思った。きっと、わたしの後ろを歩いている男性に告白しようとしたのではないか。そう思い、後ろを振り返るが誰もいない。周囲を見るがいるのはわたしと女性だけだ。

 女性はわたしを真っ直ぐに見てきた。

 歳は二十歳くらい。背中半ばまで届く長い髪。色はやや茶髪か。キレのある目、整った鼻筋、小ぶりな唇が、瓜実顔の中にバランスよく収まっている。身長は、およそ160センチくらいで、わたしより少し低い。ようするに、文句なしの美人だった。

 着ている服も、そこらの安物ではないことがわかった。

 ──ああ、絶対に悪戯だ。わたしはため息をついた。

 もう十八年前も前の、高校時代の過去のイヤな記憶が蘇った。

 当時、わたしはイジメを受けていた。と言っても、そこまで酷いものではなかったが、それでもわたしはイヤな気持ちだったし、学校に行くのが陰鬱の日々だったことに違いはない。

 その日々の中で、別クラスの女子から突然告白をされてことがあった。かなり可愛くて、わたしの心の暗雲を吹き飛ばしてくれると、大いに期待した。が、それは、わたしに嫌がらせをしていた男子の悪戯だったのだ。

「バーカ。お前に告る女がいるかよ」

「ホント、わたしがアンタなんかを好きになるわけないでしょう。ちょっと考えた分かるでしょ。身の程を知りなさい」

 二人はわたしを見て蔑んだ目で見て笑っていた。

 それからわたしは、女性をあまり信じられなくなり、これまで、彼女は全くできなかった。一応、自分を変えようとして婚活やらマッチングアプリなどは頑張ってみたが、全く上手くいかなかった。仕方なく性欲は風俗やAVで発散していた。

 そんな生活を続けて、わたしは現在四十五歳の独身になっていた。

 会社でもモテないし、どちらかと言えば無口だし、周りともあまり話をしない。そんな男がある日突然、見知らぬ若い美女から告白をされる。こんな沸いて出たうまい話をまともに受け入れられるほど、わたしは自惚れていない。

「どこのどなたか存じませんが、初対面でいきなり告白するような人は無理です」

 至極真っ当なことを言って、わたしは通り過ぎようとした。あまりにも胡散臭すぎる。

 しかし、女性はわたしの腕をしっかりと掴んできた。

「待ってください! わたしの話を聞いてください! いきなり告白なんて驚かれるのも無理ありませんけど、わたし真剣なんです!」

「あなたみたいな若くて綺麗な方に知り合いはいません。宗教の勧誘ならお断りですし、のこのこついて行って、身元不明の死体とかになりたくありません。美人に告白されたことは嬉しく思います。いい思い出をありがとうございました」

 礼を言って、その場から無理矢理立ち去ろうとするわたしの腕に、彼女はしがみついてきた。

「お願いです! 待ってください! 一生のお願いです!」

「今まで、そうやって男の前でどれだけ一生のお願いをしてきたんですか? わたしには通用しませんよ」

 わたしは一刻も早く家に帰ろうと頑張ったが、彼女もしつこかった。

 少しの間、わたしと彼女との引っ張り合いが続き、根気負け──というか、年齢差による体力負けで、わたしは荒い息をついていた。

「……な、何なんだきみは? いったい何が目的なんだ? こんなくたびれたオッサンをどうしようというんだ」

「ですから、あなたのことが大好きなんです。あなたと一緒じゃなきゃ、わたし生きていけないんです」

 目に涙まで浮かべて彼女は言った。

 あなたと一緒じゃなければ生きていけない? 単純に捉えれば、これ以上ない逆プロポーズであろう。こんな若い美女からこんな顔でそんなことを言われる機会は、今後の人生、絶対にない。

 しかし、あまりにも胡散臭すぎる。

「なら聞くけど、わたしのいったいどこを好きになったというんだ?」

「あなたを見た瞬間に、身体中に電気が走ったんです。こんなことは初めてで、それ以来あなたのことが気になって仕方なかったんです。完全に一目惚れでした」

 わたしは、信じられないとばかりに頭を左右に振った。

「……スマホか何かが漏電していたんじゃないのか? たまたまたわたしを見た時に感電したとかで、それを恋の衝撃と勘違いしてしまっているんだよ」

「違います!」

 彼女は顔を近づけて、また真っ直ぐにわたしを見てきた。……風俗嬢以外で、こんな近くで女性の顔を見たことがないわたしは思わず目を逸らした。

「わたしも最初はいっときの感情だと思って、一ヶ月は様子見たんです。だけど、その間も一度見たあなたの顔が忘れられなくて、だんだん胸が締め付けられるくらいに苦しくて、夢にも見るようになって……」

「……悪夢じゃなくて?」

「だから違います! わたしは真剣なんです!」

 目の前で彼女は言って、目を潤ませた。

「……どうしたら信じてくれるんですか? あなたに会いたくて、側にいたくて、どうしようもいくらいに苦しくて、だからこうやって我慢できなくなって勇気出して告白したのに」

 涙を溢す彼女を見て、わたしは狼狽え、周りを見回した。ここはもうわたしの住まいの近くだ。こんなところを近所の誰かに見られでもすれば、余計な噂が立つに決まっている。

 かと言って、家に連れ込むわけにもいかない。うちのボロアパートの壁は、隣の住人の話し声が普通に聞こえてくるくらいに薄い。わたしの部屋で女の声がすれば、必ず上下左右の住人が、壁やら床やら、脚立とか使って天井やらに耳をそばだてること間違いない。……実際、わたしが、上の住人の部屋から女の声が聞こえてきたから、脚立を使って天井に耳を押し当てていて、バランスを崩して派手に倒れたことがあった。他の部屋の奴らも絶対そうに決まっている。

「と、とりあえず場所を変えよう。落ち着いて話をしよう」

 わたしがそういうと、彼女は少しぐずりながらも頷いた。

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