もう一度、あのクジラに会うために
榊 雅樂
第1話 夢
夢を見た。冷たく暗い海。底など見えぬ程の深いところ。海水浴をするような、淡い青の海では無い。真っ暗で、恐怖を感じさせる海。
僕はなぜか、そこにいた。不思議と怖さはなかったものの、心地よいとも思わなかった。ただただ、虚無感に襲われた。
そこで
水の中だからか、夢だからか、体は思うように動いてくれないが、それでも声の主を探そうと、僕は必死に体を動かした。体の向きを縦にすると、巨体が見えた。
しっかりとはわからないが、尾鰭であろう場所が、上下に揺れている。それでようやっとわかった。あれは––––
夢はそこで覚めた。
完全には見えなかった。しかし、やはりあれは––––
「……
ぽつりと呟いてみるものの、何かが起きる訳でもない。当たり前と言えば当たり前なのだが。
夢のことから意識を背けると、今度は耳にうるさい音が響いてきた。目覚まし時計の音だ。針は5時を指していた。
僕はさっさとベッドから立ち上がって、色々準備を始める。歯を磨いて、小さなおにぎりを食べたあと、いつも着ているスーツに着替えた。
少しだけ時間に余裕があったので、特に興味もないが適当にテレビをつけてみた。そこに映ったのは、イルカだった。アナウンサーが有名水族館のイルカショーに行っていた。
「……そういえば、イルカも鯨の仲間だっけ」
ふと口に出てきた言葉。なぜこれを知っているのかは、わからなかった。別に、今までイルカにも鯨にも大した興味は持ってこなかったのに。自分で調べたことも、記憶にある限りではなかったはず。
「ま、いっか」
そうして、時間が来ると、僕は意味もなくつけたテレビを消して、会社へ向かうべく家から出た。
外では涼しい風が吹いていた。近くの家に植えられている
が、そんなことはどうでもいい。そんなものを見ていたら、電車の時間に間に合わなくなってしまう。
僕は時計を見ながら、足早にその場を過ぎ去った。
◆
会社では特に何も起きなかった。いつも通り、おしゃべりな同僚が休憩時間に馬鹿みたいに話しかけてきたけど。
僕はそんなことを思い出しながら、小さなため息をついた。
「ため息なんてついてたら、幸せが逃げちゃうよ?」
歩いているさなか、ふと女性の声が聞こえてきた。横を向くと、堤防の上に座った女性がいた。深い海を思わせるような暗い青の髪が、潮風に揺られていた。
歳は––––僕とさほど変わらなさそうだった。
「……どちら様ですか?」
「えっ、ああ、私は
なるほど、だからスーツを着ているのか。
美海と名乗った女性は、タイトスカートのスーツではなく、パンツ姿だった。なぜか足を組んで座っている。
「僕のことを知ってるということは、名前も?」
「知ってはいるけど……、キミの口から聞きたいな」
「はあ……?」
何を言ってるんだ、この人は。知っているなら、わざわざ本人に名前を言わせるなんて面倒くさいことさせる必要ないだろう。
そう思いながらも、彼女のキラキラとした目に負け、渋々口を開いた。
「
「うん! 大満足だよ」
そういいながら、彼女は満面の笑みを浮かべていた。
彼女の後ろで、もうすぐ太陽が沈みそうだった。三分の一ほど頭を出しているだけで、その他は海の下に隠れていた。
「……じゃあ、僕はこれで」
「あぁ! 待った待った! もう少しお話しようよ」
「友達とすればいいじゃないですか。わざわざ男の僕とする必要は無い」
「や、それもそうだけどさ〜」
彼女はどうしても僕を帰したくないようだ。面倒くさいから正直帰りたいんだけど……。お腹も空いてきたし。
「あ、そうだ!」
「うわっ!?」
急に大きな声を出されたことで、僕は思わず驚きの声をあげてしまった。その素っ頓狂な声に、彼女は声を抑えて笑っていた。それでも、肩が揺れているのだから、すぐにわかった。
「……笑わないでください」
「ははっ、ごめんね。マヌケな声出すからさ」
ムッとした表情で彼女を睨むと、彼女は本題に入った。
「コホン。それで、キミ––––勇那くんは鯨に興味は無い?」
「鯨……?」
なぜ鯨の話が出てくるんだ。というか、なぜ今日なんだ。夢にも出てきたんだぞ。最近は
「ないですね」
「え〜!」
キッパリと言うと、彼女は悲しそうな表情をした。なんでそんな顔をされなきゃならないんだ。
「…………でも、今日の夢には出てきました」
「な、ならさ! 私と鯨探してくれない!?」
「––––はあ!?」
なんだ、この人。本当に意味がわからない。なんでこの意味のわからない女性と興味もクソもない鯨を探さなきゃならないんだ。
「嫌ですよ。自分でホエールウォッチングにでも行ってきてください」
「お願いお願い!」
彼女は必死の表情で、しかもずいっと僕の間近まで顔を持ってきて、手を合わせて懇願してくる。
「僕である必要なんてないでしょう。ご友人と行ってきたらどうですか」
「いるけどさあ、みんなにこの話すると笑われるんだよお」
だからといって、僕が笑わないという確証もないだろう。
「僕だって笑うかもしれませんよ」
「いや、一応聞いて!」
このままでは
「私、何年も前にお金をたくさん貯めて、ホエールスイムに行ったんだ」
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