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@mikazukiCR
女性_川崎
春が始まった。
世間のレールに則って就活を行い、運良く早めに終えた僕は、学生生活最後に曲りなりにも何かを頑張った証を残したいと考えていた。中でも学生の本分である勉強を頑張りたいと思いながらも、どの分野に絞るか決めあぐねていた。例えば英語はどうだろう。世間では何となく役立つ可能性があるから「頑張った方が良い」という風潮があるが、日本から出る気がない僕にはどうせ関係ない言語であることには間違いない。
アレコレ考えている内に授業期間を迎えてしまった。政治部在学の身でありながらも元々興味があった心理学の授業を取ることは決めていたが、偉人が発見した、〜説とかいうのを、一方的に聞かされる授業だったらしく、熱を入れて学ぶ気にはならなかった。(「エリクソンの発達段階」の回だけ異様に熱中していた話はまた今度に。)
流石に4年生ともなると取得しなければならない単位の数も少なく、特にめぼしい授業を見つけられないまま金曜日を迎えた。金曜日の3.4限にはゼミがある。僕が入っている公共政策ゼミは、政策研究やディベート等の授業準備のために事前に集まったりすることはあったものの、基本的にゼミ生同士の繋がりは薄い。(特に、全員でご飯に行ったりする機会もなかった。そういうのを主体的に開催しようと思うメンバーが居なかったこともその一因だろう。)そのため、授業自体は面白いものの、注力しようと思う気にはならなかった。
久々に、政治部の授業が行われている旧校舎に入り、階段を登る。ゼミが行われる教室は3階にあり、旧校舎というだけあって大学の正門からは真反対に位置しており、オマケにエレベーターもない高待遇っぷりだ。(昔は政治部の評判が良くなかったらしく、臭い物に蓋をするかのように遠ざけられていったらしい。僻地の別キャンパスに飛ばされなかっただけマシではあるが。)
訛った体に鞭を打ち、やっとの思いで階段を登りきり、教室の戸を開けた。
「こんにちは」
「あ、黒須君久しぶりだね」
声がする方向に顔を向けると、右目尻の真下に黒子があり、雛人形のようなお淑やかな雰囲気を醸し出している顔見知りの同級生が、一番乗りで後ろの座席を陣取っていた。
「旗手さんこそ。元気にしてた?」
「私はぼちぼちかな。殆ど勉強に費やしていたから元気かどうか言われるとよく分からないや」
彼女は苦笑しながらそう答えた。
公共政策のゼミというだけあって、このゼミは公務員を目指している学生が大半を占めている。(如何に自分が志低いかが同時に露呈してしまうが。)
「旗手さんって、結局何処受けたんだっけ?」
「国家総合職だよ、行政職のね。前にも話したことあるかもしれないけど、新設のこども家庭庁に行きたいんだ。あ、あとこれから国家一般職と地元の川崎市役所も受けるよ」
「まずはお疲れ様だね。そういえば、卒論も似たようなテーマで書くって話してたもんね。旗手さんらしくて良いね。応援しているよ。」
「、、、うん、ありがとうね」
まるで、休み期間を経て関係性がリセットされたかのような気分になる歯切れの悪さに、思わず間を空けてしまう。というか全体的に旗手さんの周囲の空気が淀んでいる気もする。それに、旗手さんと言えば、こちらが聞いてもないのに推しの韓国人アイドル(名前は忘れた)の話を永遠としてくるイメージがあった。(普段、授業中でも積極的に発言をし間違いを指摘する様子とのギャップが印象的だった。)しかし、最初のやり取りと言い、その話を彼女から振ってこない様子を見ると、やはり少し元気がないように思う。
「なあ、はたてさ────」
「おっはようございまー〜す!!!」
ガラガラと大きな音をたてながら教室に入ってきた同級生によって僕の声は掻き消され、僕と旗手さんの視線は自然と音が鳴った元凶へと向けられることとなった。
「ありゃ、お邪魔しちまったか?」
「、、いや、そんなことねぇから安心してくれ」
変に勘繰られるのも厄介だし、曲がりなりにもこの男は友人であるため無視することは出来なかった。やむ無しと旗手さんとの会話を諦め、後部座席から友人のいる教卓側へ向かう。何だかんだでコイツと会うのも久々だったので、積もる話で講義ギリギリまで盛り上がった。その間、続々と後輩含むゼミ生が沢山教室に入ってきており、初めは2人しか居なかった教室は段々と賑やかになっていった。
友人が「今年の3年生は賑やかだな〜」と話しながら後ろを見回していたので、僕もそれに倣ってみることにした。4年生は人数が減って12人から8人になってしまったが(恐らく卒論が面倒だったのだろう。)、今年の3年生はざっとその倍ぐらいいるのでないか。その中には、教授の手伝いで入ゼミの試験監督と面接官を行ったため、何人か顔見知りがいるのを認めることが出来た。
全体を一瞥した後、友人と話を続けるために前を向こうとすると、その途中で誰かと目が合った気がした。慌てて「バッ」という効果音がするほどの勢いで再度後ろを振り向くと、吸い込まれそうな真っ黒な瞳いっぱいでこちらを見ていた旗手さんと目が合った。何か言った方が良いのかと言葉を探すが、先程の一方的な気まずさを解消できる言葉を一瞬にして思い浮かべられるほど、気の利く人間ではなかったことを自覚することになってしまった。(距離が少し開いていたせいにしておこう。)それは向こうも同じだったのか微妙に口を開きかけている様子が伺える。しかし、タイミング良くチャイムが鳴ってしまい、お互い時が止まったかのように2〜3秒間見つめ合うことになった。
いざゼミが始まると、進級したせいか思ったよりも周りが見れるようになっていたことを自覚した。後輩の顔を一人ひとり見ながら、顔と名前を一致させる作業は思いの外楽しい時間だった。各後輩が話した内容だけではなく、話し方、表情、聞き方等でどういう癖があるのかを見つけることで、自分の中での認識がより高まったような感覚を覚える。それは後輩だけではなく同級生にも共通する話だった。
少人数毎で班を作り、一定の時間が経ったら先輩陣が後輩陣のテーブルに移動して自己紹介をするという時間があったのだが、そこで偶然旗手さんと同じ班になった。1年間同じ授業を受けてきた仲間だったが、知らない面をたくさん見つけることができた。例えば彼女の場合だと、その人の目を見て真っ直ぐ話し、前置きはあるものの言いづらいことはハッキリと伝える人間であった。表情も先輩としてのスイッチが入っているのか少し堅い。だが、移動の際に、厳しく言ってしまったと少し項垂れている様子を彼女の背中越しに感じる場面もあったので、人間味らしさも伺えた瞬間だった。この調子で、彼ら彼女らを見守っている間に講義が終わりを告げる鐘が鳴り始めた。
結局、自分からコミュニケーションを取りに行かなければならないという最上級生の立場にいつも以上の疲労を感じながらも、無事ゼミを終えることが出来た。疲労からか、何時もより早く帰りたいという気持ちが僕の行動を急かさせていたが、教授に次のゼミ長を決めるための会議に呼ばれてしまい結果20分程拘束されることとなってしまった。(このゼミは代々3年生が中心となって運営している。公務員試験が4年の6月付近に行われるため3年生に任せるしかないという訳だ。致し方ない。)
予期せぬ出来事に疲労感を全身から漂わせつつ、一刻も早く帰りたいという気持ちで帰宅の準備を終え、忘れ物がないことを確認して帰ろうと思い顔を上げると、いつもより気持ち少し目にハイライトが欠けた黒目で、感情が読み取りづらい旗手さんが眼前いっぱいに入ってきた。
思わぬ出来事の連続に、一瞬思考が停止する。そのラグを見透かされたかのように、彼女の方から話を切り出してくれた。
「ちょっと、この後残って話でもしない?図書館行って勉強する前の息抜きがしたいんだ」
息抜きは何かを頑張った後にするものだと勝手に思っていたが、旗手さんも慣れない上級生という立場に四苦八苦していたのだろう。(否、そういえば僕は周りを見てばかりで旗手さんに回し役を押し付けていたかもしれない。申し訳ない。)
負担を多くかけてしまったことによる罪悪感と、真っ直ぐ意志の籠った瞳でストレートに思ったことを伝えてくれる旗手さんの姿に、僕の脳内では「No」と返事をする選択肢はハナから存在しなかった。
「いいよ、何処で話す?」
「さっき教授が、この部屋はもう今日は講義として使われないから電気を消しといてくださいね。って言いながら帰っていかれたから、多分ここで大丈夫だと思う」
「よし、ならここでちょっと話してから解散するか」
リュックを手放し、机の上に置き直す。その一瞬のうちに旗手さんは近くにあった椅子を机を挟んだ僕の正面に持って来ており、話す体勢を早急に整えていた。
何から話始めれば良いのか逡巡しているうちに、また彼女から話を切り出してくれた。
「一つ、最近あった出来事を聞いて欲しいの。お時間、大丈夫だったりする?」
どうやら、帰りは日が沈む頃になりそうだ。
だが、この時既に疲労のことは頭からも身体からも抜けていることに気が付いていた。
──────
彼女は、神奈川にある川崎という地で生まれ、22年間の時を川崎で過ごしてきた。川崎という地は世間で言われている評判よりも案外住み心地が良く、幼少期は外に出て公園で砂場遊びを積極的に行うような子だった。彼女自身もこのまま平和に楽しく過ごして行くのだろうと思った矢先、小学校に入るタイミングで父親が蒸発した。これは大学生に入ってから母親に聞かされた事だったが、当時の父親(だった人)は、母親の目を盗んではギャンブルを行う依存状態に陥っていたらしい。案の定、お金を使い果たしてしまい、幼い妹含めた3人を置いて夜逃げに走ったということだ。
勿論、そこから彼女らの生活は一変した。周囲からは、「父親が蒸発した可哀想な一家」というレッテルが貼られてしまい、自然と気を遣われて何時しか敬遠されるようになってしまった。(彼女自身それを機に、外に出て遊ぶこともめっきり減ってしまった。)当然、母親は川崎の地を離れることを考えたが、長女がこの町を気に入っている事も知っていたし、何より、父親を失った直後に幼い娘たちを新しい環境に放り込ませることによって、何か家族としての一体感や結び付きのようなものを失ってしまうのではないかという、漠然とした不安に駆られてしまった。(勿論、娘たちが新しい環境に馴染めるのかといった不安もあった。)そうこうしているうちに時が流れてしまい、遠くの地へ引っ越すという考えは薄れていった。(母親曰く、今でもこの選択が正しかったのかどうか分からないらしい。それを決めるのは貴方だけではないというのに。例え成り行きであったとしても、自分が行った決断に自信を持って欲しい。彼女らの母親なのだから。)
父親の蒸発を機に変化したのは何も母親だけではない。狼狽える母親をみて彼女は、「自分が自立しなければならない」と気負うようになった。中学校を卒業する頃には、パートで働かざるを得ない母親に負担をかけないようにするために、「私が妹の面倒を見る」「私が家族を守る」と宣言し、家事や勉強の面倒もみていた。自分の為というよりも、家族の為にということを意識し努力をし続けた結果(家の事以外することも特に無かったのだが。)、順当に県内トップの公立高校、某有名国立大学へと進学した。大学とアルバイトをしながらも、大学では学年一桁の成績を誇り、返済不要の奨学金も得ることができた。
理不尽な人生を自分の努力で変えることが出来ると知った大学2年生の終わり頃、ようやく彼女は「自分のためになること」を考える余裕が生まれていることに気がついた。否、気が付いてしまったのだ。このまま行けば、何となく人生が上手いことレールに乗っかり、家族を養うという目標が達成されるという予感がする。(目標がクリア出来る所に来てしまうと、人間多少は緩んでしまうのだろう。)仮に家族を養えるだけの状態になったとして、「その瞬間、燃え尽きて廃人のようになってしまうではないか?」「自分の人生を自分のために使っても良いでのはないか?」という疑問を抱くようになってしまったのだ。はっきり言って恐怖でしかない。父親と同じように、日々に彩りが無くなってしまった結果奇行に走らないかという心配が募り始めた。そんな焦りを覚え始めた彼女だが、勉強含め家族の役に立ちたい・負担をかけたくないという想いしか持ち合わせていなかった彼女に、急に人生を自分のために使って良いと言われても、何からし始めれば良いのか皆目見当もつかなかった。
大学の就職支援センターや、アルバイト先・大学の先輩を頼り、いくつか民間企業を見始めてみたものの、自分がそれを進んでやりたいのかと言われると、どうやっても「わからない」という答えに辿り着いてしまう。
彼女は視界が開けると同時に、目下が崖であることを自覚してしまった。
_______________
春が始まってしまった。
あれから1ヵ月程粘ってみたものの、納得のいく解を出すことはできなかった。それは講義が始まっても同じだった。決して単位を取りに来ている訳ではないが、もう同じ日々を2年も過ごしているので良くも悪くも講義がルーティンと化してしまいそうな気がしてならない。だからこそ、3年生から始まるゼミ活動にかなりの期待を寄せていた。
特にやりたいことも無かったので、ゼミは教授で選ぶことにした。弊学の政治部は4つのコースに分けられており、元々地方自治に関心があった彼女は公共政策コースを選んでいた。(大学受験を公民で受けたからに他ならない。)そこで1年生の時に出会った教授の講義に惹き込まれ、その教授の門を叩くことを決めた。(今思えば、何も政治や法律を知らない人でも理解出来るほど、視座を下げて説明して頂けたことに感銘を受けていたのかもしれない。)勿論、アイデンティティでもある勉強だけは真面目に取り組んできたので、無事後の恩師となる教授の入ゼミ試験も突破することが出来た。順当に入ることが出来たゼミではあるものの、成績しか眼中に無かったはずが、縁あって興味を持てているのだから、いつの間にか「頑張りたい」と思えるようになっていたことを自覚した。
いざゼミを迎えると、パッとしない同級生たちに対して、先輩達の鋭い指摘や議論に圧倒される日々が続いた。(3年生が主体となって授業を進めなければならないので、きっと先輩方はそれを見かねたのだろう。)彼女自身も、後の判決に大きな影響を与えた事件を調べる判例研究や、都市政策についてのディベートを重ねて行くうちに、次第に自分が政治学部生として誇れるぐらいの視座や知識量が身につき始めたことに気がついた。そして、徐々に慣れ始めた頃に前期が終わり、夏休み───ゼミ合宿を迎えた。
──────
当ゼミは公共政策を専門としているため、市役所や県庁にアポを取り、その地の政策を学ぶということを毎年恒例の夏合宿として行っている。今年は空き家対策として市がどのような活動に取り組んでいるかを学ぶため、石川の地を訪れる運びとなった。
空き家といえば、どの地域にどういった構造があるかを把握するための空き家バンクというシステム等、「空き家をどう活用するか?」がよく話題に挙がるが、本当に注目するべきポイントは「年齢別人口」だと思う。これは金沢市に限ったことではないが、40代の次は70代の人口の割合としては多くなっていることがざらにある。結論何が言いたいのかというと、「子は宝」という事だ。
パチッ。
彼女も中学生の身でありながら幼い妹の面倒を見ており、親の必要性というものを人一倍実感している。
パチッ。
子供が、家族が生きやすい世の中でありますように、と願うことはごく自然のことだろう。彼女も例に漏れずその一人だった。
パチン!
この事実に気づいた瞬間、自分の核となっているものが「家族を守りたい」という想いであったことを思い出した。それは同時に、足りないものを埋め切ったパズルが完成した瞬間でもあった。
「そうだ、それを仕事にすればいいんだ!」
彼女は踵を返し、崖を後にした。
─────
政治家から保育士まで(なんなら主婦も)を可能性の視野に入れ、ひとつひとつ吟味をして行った。「こども」に集中につつ、自分の影響を日本全土に与えたいという軸で考えた結果、来年度(2023年)の4月に設立されるこども家庭庁に行きついた。こども家庭庁では、単に少子化対策を行っているだけではなく、こどもの居場所作りや、自殺防止の施策等が展開されている。勿論、こどもだけではなく、ワンオペ育児をしている方や、学費を払えない方への授業減免等、大人向けの施策も存在している。
『きっと、私がやりたいことはここにある。宮内庁と聞くと、激務だの過労死ラインだの職場に連泊だのなんだの色々難癖を付けて反対してくる人も一定数いたし、なんならそれは事実かもしれない。だが、「一生をかけてやり遂げなければならないことだ」という運命のようなものを感じたのだ。誰になんと言われようと私はやる。私がやらねば誰がやるんだ!』
そう意気込んで完璧に意思が固まったのは夏の終わり頃になってしまった。今は3年生の9月。国家公務員総合職の試験日は次の4月だ。普通であれば、大学2年の冬より前から勉強をスタートしなければならないぐらいのレベル感である。はっきり言って無謀であることには変わりない。だが、まだ始まってすらいないのだ。始める前から諦めてどうする。そう自分を奮い立たせて机に向かう日々が始まった。自費で公務員予備校にも通い(進度スピードと授業料も鑑みて映像授業のコースにした)、朝昼晩の勉強の事だけを考え続けていた。この頃既に妹も自立しており、今まで受けた分の恩返しをするかのように、彼女の生活をサポートしていた。
日が暮れるスピードが段々と早くなり始め、遂に雪が降り始めた。季節は移り変わって行くが、彼女の生活は寸分たりとも違わない。
教授陣も理解ある人間で、奨学金の件で彼女のバックグラウンドについて知っていたお陰もあって、特別に授業の出席も免除となった。試験も友人たちが総出で協力をしてくれてなんとか乗り越えることが出来た。そうして全て勉強に費やした後期期間が終わり、雪だけが溶け始めた。
──────
目を開けると春を迎えていた。
勉強は思いの外順調に進んで行った。大学受験の貯金を持ちつつ、日頃から勉強の習慣が身についていた彼女に取って、机にしがみつくことは造作でも無かった。試験当日の1週間前、初めて過去問で合格点を超えることができた。しかし、彼女は「目標がクリア出来るところにきてしまうと、多少なりとも緩んでしまう」という自身の性格を思い出し、身のひきしまる思いで再度机に向かった。ここまでは良かった。が、一度緩んでしまったペットボトルの蓋を、元と同じような強度で閉めることが出来ないのと同様に、以前と同じ熱量で勉強をすることが出来なくなってしまった。協力してくれる教授や友人、ひいては家族の想いも背負っているというのに、こんな自分ではダメだと分かっていながらも勉強に熱が籠らない自分に本当に嫌気がさしてしまう。それでも真面目な彼女はジレンマの中勉強を続け、(今思うとここが転機だったのだろう。結局周りが負担になっているのだということを妹は隣で見ていて気づいていた。)2023年4月9日。試験当日を迎えた。
─────────
「というのが、私が生まれてから今この瞬間までの話」
恐らく時計の針は1時間分しか経っていないのだろうが、彼女という人間から出る情報量の多さに、シリーズ物の映画を連続で観たような気分にならざるを得なかった。仲の良い友人なら気軽に質問したり、茶化して笑いに持っていくことも出来ただろうが、彼女との仲はそこまで深い訳ではないので、どうしても言葉を選ぶことに慎重になってしまう。
だが、下を向いてばかりだと彼女に気を遣わせるばかりなので、彼女の目を真っ直ぐ見つめて当たり障りのないところから会話を試みることにしてみた。(彼女が勝手に話したのだから気を遣わないくても良いはずだろうが、人として最低限のことは守るべきだろう)
「、、こちらこそ貴重なお話ありがとう。そうなると、試験結果はいつ出るんだい?4日前に試験を終えたばかりだろう?」
「さっき出たわ、貴方と話し始めた10分前の17時に。落ちてしまったの」
え?彼女の言葉に思わず思考がフリーズした。彼女の瞳には、まさに「開いた口が塞がらない」といった様子の僕が映っているだろう。その自覚があるぐらいには衝撃を受けていた。
「流石にビックリなんだが、、、国家総合職ってそんなに結果でるの早いの?」
「勿論嘘だよ。黒須君って、頭の中で考えてることがそんなに表情に直結するタイプだったんだね。嘘をついた甲斐があったわ。でもね、一部は本当なの」
「流石に、人生がかかった出来事をスルー出来るほど情がない訳じゃないよ、、。少し安堵しかけてたけど、一部ってどういうことだい?」
意外にも悪戯癖があるらしい彼女に振り回され、思わず苦笑しながら答えてしまった。
「構内に予備校の支部みたいなものがあってね、そこに自己採点を頼んでいた先生が来てくれていたの。その先生が持ってきた自己採点がギリギリ数点足りなくて不合格ラインだったという訳」
それって実質不合格ではないかと思いつつ、だから旗手さんは「この後図書館に行って勉強をする」と言っていたのかと腑に落ちてしまった。だが、国家試験に類似するものは年によって合格点が変動するという風に聞いたことがある。それで奇跡的に受かっていたりしないのだろうか。
「なるほどね。今年の試験が難化していたりして、合格基準点が下がったりしないの?」
「そう、黒須くんの言う通りで、難化していたら多少の変動はあるわ。毎年10点前後が目安ね。でも可能性は殆どないとのことなの。」
彼女自らに合格の可能性を否定されてしまっては、「受かってるかもよ!」と励ますことも返って逆効果になるのではないかと勘ぐってしまう。
「それでも、1か月後には国家一般職の試験が控えてるんだろう?さらに6月には市役所もある。もう勉強は始めてるの?」
「そうね、国家一般職は若干難易度が下がるだけだから何とかなるかもしれないわ。市役所も大学のセンター試験、あ、今は共通テストだったね。それをイメージしてもらえば問題ないかな。だから、今までやってきたことを継続すれば恐らく大丈夫なはずだよ」
旗手さんがそう言うのであれば、それを信じるしかないのが僕に出来ることだろうが、そういえば旗手さんは何故一連の話を僕にしてきたのだろう。応援の言葉を枕に置きつつ返事をすることにした。
「旗手さん、そういえば何でこの話を僕にしてくれたんだい?別に慰めて欲しいとかそういった類いのものを求めている訳ではないんだろう?」
「私を何だと思ってるんだい黒須君は!私だってか弱い乙女なんだよ!?」
ククク、と笑いながら彼女は答える。失言をしたと思う一方で、恐らく失意の中それ軽々とを受け流す旗手さんに感銘を受けた。
(失言を受け流してくれてありがとうございます。)
「閑話休題、確かに慰めて欲しいというつもりではなかったと思う。自分でもあまりよく分かってないんだけど、とにかくこのやり場のない感情を誰かに聞いて欲しかったっていうのが正しいのかもしれない。変に親しい人に話すと、「理想の私」とは違った姿を見せてしまうことになるからね。黒須君ぐらいの関係性が丁度良かったのかもしれない。利用するみたいな感じになっちゃって本当にごめんね」
僕の方こそ、僕が今後の人生で関わる事がなさそうな人種の話を聞かせてくれてありがとうという気持ちなのだが、趣味の悪い人間だと思われるのはプライドが許さないので、(発言からして、多分常識がないとは思われているだろうが。)それを口に出すことは憚られた。
「さっき話してくれた通り、やっぱり、周囲からの期待が大きいのがストレスになってる感じなの?」
「私としては、それを肯定すると協力してくれた友人、教授方や家族を裏切ることになってしまうからあまり大きな声では言えないんだけど、試験日が近づくにつれて無視することが出来ないくらい大きな負担になっていったことは自覚してる。このことは内緒で頼むよ。この通り!!」
両手を合わせながら頭を下げて大袈裟にお願いをしてくる旗手さんをみると、周囲が思っているよりも人間味が強い子なんだと認識を改めた。(そういえばさっきもそういう場面に出くわした気がする。)
「勿論、僕と旗手さんの仲だからね。頼みは聞くさ」
「その言い方、やっぱり根に持っているだろう!!」
旧校舎には、日が落ちてきたこの時間帯に講義を行う教授がおらず、いつもより2人の笑い声が校舎全体に響いた気がした。
「もう日も落ちてきたし、今日はこの辺で失礼しようかな。悩みは消えそうかい?」
「う〜ん、いまはこうして君と話せているから楽なんだろうけど、また日常に戻ると思うと気が重いね」
これは、またこういう機会を設けた方が良いということだろうか?彼女の微妙に紅潮した頬を見る感じだと、もう既に「お願い」をしているから、更なるお願いを図々しく思われないか心配しているのだろうか。僕と彼女の仲だというのに。
「また来週、ゼミ終わりに話すかい?」
今度は旗手さんが、黒目いっぱい眼を大きくさせて驚くような表情を作っていた。どうやら、良くも悪くも彼女にはあまり期待されていなかったようだ。
「、、、うん。そうしてくれるとありがたいな。ぜひよろしくお願いします」
教室を出ると、想像通り辺り一面を暗闇が包み込んでいた。白い吐息が出ると迄は行かないが、まだこの季節は微妙に肌寒い。その寒さが一層ぼくを帰路につかせようとする。旧校舎は図書館と最寄り駅の中間に位置しているため、旗手さんを見送りたい気持ちもあったが、そこまでの仲でも無いかと自分に言い聞かせ、お互いの関係値がリセットされたかのように淡白な別れ方をした。多少なりとも寂しさと申し訳なさを覚えながら、後ろを振り返ってみる。だが、旗手さんの背中は景色と同化し、既に手の届かない所に行ってしまっていた。
──────
紫陽花が花弁を散らす時期。
あれから旗手さんと話をする機会もなかったので彼女の動向はわからない。話をして来なかったということは彼女は独りでもやっていけていたということだろう。(別に、元々自分からから見に行くような性格でも関係性でもなかったのでお互い話をすることもなかった。もしかしたら、4月13日の出来事は嘘だったのかもしれない。)今日も足早にゼミの教室から立ち去ろうとすると、「待って」という声とともに、背中のフード部分をぎゅっと掴まれた。なんだと思いながら後ろを振り向くと、真っ直ぐな瞳でこちらを見つめている旗手さんがいた。(やはり彼女は着物が似合いそうだ。)
「そんなに慌てた素振りでどうしたいんだい?僕に話しかけてきたということは、何かしら困ることでもあったのか?」
「いや、そうじゃないの。あれからのことを話そうと思って。今日で全てが終わったの。最後のお話、聞いてもらえるかしら」
僕にも聞く権利をくれるだなんて、彼女はなんて律儀な人なんだ。贅沢だと感じる一方、結末を聞くことに恐ろしさを覚える。背中にひやりと汗が伝わるのを感じた。だが、これは彼女にとっても僕にとっても果たさなければならない使命でもあるのだと思う。この話を聞くことによって全てが終わり、新しい生が始まるのだろう。そう願わざるを得ない。息を飲んで、開口する決意を固めた。
「勿論、僕と旗手さんの仲だからね」
If @mikazukiCR
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