日常《ver.1》

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【Attention】

「あおいそこの」の独断と偏見のオンパレードです。

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スマートフォンを持っていない人の方が多いこの世間ですが、歩きスマホにそこのはどうしても理解が出来ません。

駅を見ても、たまに街中にも。どこかしこにも歩きスマホってダメよね?みたいな広告なりポスターが貼ってあると思うんです。人生で一度もしたことがないわけではありませんが、「していない」と言って嘘にはならないくらいにはしていない自信もありますし、実際地図をちょこっと見て顔をあげての繰り返し程度にしかそこのは使用しません。

そもそもスマホに娯楽のアプリが入っていないのもあるでしょう。そこのはカクヨムをわざわざブラウザで利用しております。(アプリ入れろや、と何度も思うのですが)いつか。いつか。入れます。

動画配信系も、あまり好きなクリエイターさんがいないっていうのが主すぎる理由で見ないです。最近は、好きになり始めた人も見てます。

でも歩きながらまで、見たいとは思わないんです。それは本人の好きの度合いでしょうよ!!ってなります。分かります、分かります。

けれども思ってしまうのです。


ルールと破っているじゃないか、と。


この世の事象って基本たいていは例外があると思ってます。時場合によっては嘘を吐いたり、規則に反したことをすることが正義で多くの人の納得を買うことも重々承知、という理解の上です。

そこのは決してルール遵守派でもありません。授業中に絵とか描きますし、小説も書きます。上手い具合にサボったりすることも、まぁ、します。ほぼ授業は聞いてないに等しいです。

それとこれ、何が違うんだって言われたらそれまで過ぎて腹を抱えて笑いそうです。

どこかで見た言葉をまるで自分の言葉かのように言わせていただきます。(一部改変あり)

「人間の本質は悪であり、消滅させることは出来ない。ただそれを隠そうとすることを人は誠実と呼ぶのではないか」

的な素晴らしい言葉をどこかで見かけました。誰だか、忘れました。

そういうルール、規則を破るというのは人間の本質の悪が表に出てきているのであり、それを隠していない道中の人が全員不誠実に見えて仕方がないのです。

不誠実だろうとなんだろうと、すれ違った人がそこのに不快感を与えただけで今後一生の付き合いになるわけでもないのだからそこに損得は発生しませんが。

そういう人たちと、そこのの授業中、上手い力の抜き方の違い。

隠してはいるのです。表には出していない(つもり)なんです。

だからなんじゃ?してるんだから一緒だろう。

腹抱えて笑いそうです。

自分がやっていることを正当化しているようにしか思えないから。ただ本質的なところでそこのは同じにされたくない、と強く思います。

自分可愛さも少し。言葉に出来ない彼奴も少々。デフォルトになりつつある社会も少しなり。

決してそこのは神ではないので、誰かに不快感を少なからずぺいぺいっ、てしていることぐらい分かります。神ではないので。

出来る限り与えないように、と努めること。

自分のする一挙手一投足に誰かを。たとえすれ違った誰かだとしても傷つけたり、嫌な気分を負わせてしまう可能性があると考えて生きること。

疲れちゃうんでぶっちゃけ嫌ですけど。

自分が配慮してもらうためには誰かに対して対価を求めることなく配慮することから始まるのではなかろうか。

実際問題、注意する側の人間だって定義的な休日。安息日的な意味ではない休日にはしているでしょうから形骸化しつつあるのかもしれないですね。

内部的なメディアリテラシーの授業も。ネットの中で起こることではない、機器を扱う上での注意事項エトセトラを教えることも。

もし、自分が規則を作る立場になった時にどうやったら従ってくれるのか、を考えるのって楽しいです。


今日の日記でした。


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《続く》


あおいそこのでした。

From Sokono Aoi.

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