第3話
内裏での仕事を終えたあと、好古は屋敷に帰りもせず真っ先に上賀茂神社へと足を運んだ。純友追捕に任じられてはたまったものではない――脳裏を占めるのはその思いだ。
好古社の前で手を合わせ目をつぶり「どうか、麿を戦場(いくさば)に送らないでくだされ」と願い終えて目を開けると、側らの名足は退屈そうに片足立ちになってもう一方で擦り、頭の上で腕を組んでいた。
「これ、名足。ここは神前でおじゃる、それに見合った振る舞いがあろうぞ」
「神前ねえ」
名足は社や境内を見回し、
「ただ、人が建てただけの建物があるだけですが」
と発言し、好古を絶句させた。よりによって彼が頼ろうとしている相手を全否定したのだ、体から力が抜けるのも当然のことだ。が、
「神を信じる者を救うなら、世の中、不幸になる者はなくなりますな」
次に名足が発した言葉には、好古も否定しかねる一種の真実が含まれているように思えた。
「名足、そなたのためでおじゃる。さようなこと、余人の前で口にするでないぞ」
「はいはい、承知つかまつりそうろう」
珍しく強い口調で述べた好古に名足はどこか不真面目な声色で応じた。
と、そこで神社の参道を登ってくる複数の人影が視界に入った。。この段になると、相手を避けて帰ることもできない好古は仕方なく相手が社の前にやって来るのを待った。現れたのは意外にも右衛門尉藤原慶幸(よしゆき)だった。朝廷で幾度か言葉を交わしている宮人だ。
「追捕に選ばれるよう参られたでおじゃるか?」
好古は外で会う相手に臆しながらたずねる。
「いや、その逆だ」
「その逆とはまた不可思議な」
「追捕使に選ばれぬよう、神頼みに来た」
相手の言葉に好古は目を見張った。
「俺の親父と兄弟はな坂東の乱に出兵したのだ。ところがだ、結果は無惨に敗退、皆殺しにあった。朝廷でも、俺は笑い者だよ。だから、もう虚しい戦に出ないようにと祈願しに
足を運んだ」
「軽はずみに尋ねる儀ではなかった、申し訳ないでおじゃる」
「なに、禁裏に行けばいくらでも漏れ聞こえる話だ」
申し訳なく思う好古に、慶幸は薄ら笑いで応じた。
「にしても、朝堂の人間の意見ひとつで多勢の人間の行く末が決まるんだから、たまったもんじゃない」
そのせりふに好古は反論できなかった。自分も朝廷の人間だ、その意見を甘んじて引き受けるべき立場にある。
「そうだ、これも何かの縁だ。これをやろう」
慶幸が懐から短刀を取り出した。
「これを見ろよ」促され、好古は刃に顔を寄せる。「傷があるだろ? 親父は最期まで生きようとしだんだよ」
好古は慶幸の悔しげな表情に戦のもたらす悲劇の片鱗を見た気がした。今までは戦は他人事だっというのに、火傷傷を負ったように胸のうちが疼いた。
「やるよ」
あっけない言葉に好古はとっさに何を言っているか理解できない。
「親父の魂がきっとこもってる。いざというとき守ってくれるさ」
「なれど、さように大切な品」
「近くに置いとくと辛いんだ。けど、あんたなら大事にしてくれそうな気がするんだ」
好古の遠慮に、慶幸は淡い笑みで応えた。
「さようか。されば、大事に預からせてもらおう」
「ありがとうよ、一つ荷が下りた」
「それは、いかなる意味で?」
笑んだ瞳の奥に負の感情を読み取って好古は慎重な口ぶりで尋ねた。
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