第25話 白い砂漠

 夜明け前の最も暗く冷え込む時間に、ジークは広間に戻ってきた。


 ジークは、裏地に毛皮のついた防寒のマントをヒラクにはおらせると、ユピを横抱きにして広間を出た。

 

 廊下に人の姿はなく、建物の中は妙に静かだった。


 階段を降りると、正面の入り口の前にいた二人の兵士が険しい表情のまま、眉間をひくつかせて座り込んでいた。


 それがジークの仕業であることにヒラクはすぐに気がついた。


 それでもジークは注意深く廊下を見渡して、階段の裏手にある出口から外に出ようとした。


 そのときだった。


「これは勾玉主様、ずいぶんお早いお目覚めで」


 そう言いながら、ヒラクの前に姿をみせたのはハンスだ。


 わき腹の傷が痛むのか、顔色はあまりよくないが、いつものとぼけた口調は変わらない。それでいて眼光は鋭く、油断ならないといった様子で、ジークのことを見ている。


「ジーク、おまえの話だと、今夜は皆疲れているからゆっくり休むようにと勾玉主様がおっしゃったってことだったよな。怪我人の回復が最優先だなんて、ご自分も疲れていらっしゃるってのに泣けるような心遣いじゃねぇか。なのにその怪我人が朝から動きまわってるんじゃあまりにもお心遣いをむげにしているってもんじゃねぇのかい」


「……」


 ジークは唇を引き結んだまま、何も答えようとはしない。

 ハンスはジークが抱きかかえるユピの死体に目をやった。


「そいつは新しく神帝になった奴の死体だろう? 一体どこへ運ぶ気だ?」


 ハンスは抜け目ない目でジークを見る。

 ヒラクは思わずハンスの前に出て言った。


「おれがジークに頼んだんだ。ユピをさらし者になんてしたくない。ユピは神帝でもなんでもないんだ。もう、放っておいてよ」


 ヒラクの目から涙がこぼれる。

 ハンスは困ったように笑ってため息をついた。


「なるほどねぇ。こうなったら確かに弱いよな」


 ハンスが言うと、同意するようにジークも軽く吐息した。


「見逃せとは言わない。ただ、今は、ヒラク様の気のすむようにさせてやりたいのだ」


 ハンスは血の気の失せたジークの顔をじっと見た。

 ジークのケガがどの程度のものかはハンスにもよくわかっている。

 死体を運ぶのは生きた人間を運ぶよりたいへんなことだ。

 その魂の抜け殻は想像以上に重みがある。


 ハンスはそれ以上何も言わず、見て見ぬふりをするように背を向けた。


 ジークはヒラクに目配せすると、裏口から外に出て行った。



 外は雪がやんでいた。

 青白く浮かんで見える雪原が城壁までのびている。


 ユピの亡骸を抱きかかえ、鉄製のシャベルまで背負い、雪をこいで歩くジークの足取りは重い。顔色は悪く、額には脂汗が滲んでいる。


 そしてとうとう、ジークは雪の中に膝を落とすと、ユピの亡骸から手を放してうずくまった。


「ジーク!」


 ヒラクは駆け寄って、ジークの顔をのぞきこんだ。

 ジークはつらそうに顔を歪めている。


「ヒラク様……申し訳ありません。すぐに立ち上がりますから……」


 ジークは息を荒げながら、何とか立ち上がろうとする。

 けれどもすぐには動くこともできないようだ。


 ヒラクは後ろを振り返る。

 ずいぶんと歩いてきたようだが、後にした居館からそう離れてもいない。


「ジークはここにいて」


 そう言うと、ヒラクはユピを背負い、雪の中を歩き出した。


 ジークはすぐに追おうとしたが、痛みとめまいで、なかなか立ち上がることもできない。


 そんなジークを振り返ることもなく、ヒラクはひたすら雪の中を歩き進む。。

 ユピの亡骸は重く、ヒラクの足は雪に深く沈み、なかなか前に進まない。


 昇る太陽が一面の雪を桃色に染めていく。


 まつげの先が凍りつき、朝の光をまぶしく弾く。


 やがてきらめきの中に真っ白な世界が広がって、ただ自分の荒い呼吸だけが静寂の中に響き、ヒラクは今、自分がどこにいるのかもよくわからなくなった。



 時間さえ静止したように感じる。



 そこに突然強い風が吹き、地吹雪で辺りが見えなくなった。


「真っ白だ……真っ白な砂漠……」


 ヒラクはユピと初めて会った砂漠を思い出した。

 風で舞い上がる粉雪が砂漠の砂のように見える。


「ユピ……ここは砂漠みたいだ……あの日、始めて会った日の砂漠だ……」


 そしてまた強い風が吹いた。


 ジークは前方にヒラクの姿を捉えながら、必死に後を追おうとしていたが、地吹雪で視界が悪くなり、その場で足を止めていた。



 やがて風はおさまり、辺りを見渡せるようになったが、ユピを背負ったヒラクの姿はもうどこにも見えなかった。


 ヒラクが雪の中に残した足跡は途中ですっかり消えていた。


 ジークはただ呆然と雪原に一人立ち尽くしていた。


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【登場人物】

ヒラク……緑の髪、琥珀色の瞳をした少女。偽神を払い真の神を導くとされる勾玉主。水に記録されたものを読み取る能力や水を媒介として他人の記憶に入り込むことができる能力がある。ユピの記憶に入りこんだヒラクはなぜか黄金王や神王の過去の記憶にもつながった。そしてそれまでの勾玉主が成しえなかった神の扉を開くが、唯一無二の神としての全体の統合を拒む。


ユピ……青い瞳に銀髪の美少年。神帝国の皇子。ヒラクと共にアノイの村で育つ。前世は神王。始源の鏡と剣を手に入れたユピの中の神王は、勾玉主であるヒラクを利用し、唯一無二の神となろうとするが、ヒラクに阻まれる。激高した神王からヒラクを守るため、ユピは神王を道連れに自ら命を絶つ。


ジーク……勾玉主を迎えるために幼いころから訓練された希求兵。勾玉主であるヒラクをみつけだし、ルミネスキのあるメーザ大陸へ導いた。一時はユピの言葉の支配を受け、ヒラクのそばを離れたが、ユピの支配も解け、神帝国で再会したヒラクとの絆をさらに深める。


ハンス……ジークと同じ希求兵の一人。成り行きでヒラクの旅に同行しているが、頼りになる存在。ヒラクを守りながら神帝国兵たちを蹴散らし大活躍するも重傷を負う。


※希求兵……ルミネスキ女王に精鋭部隊として育てられた元ネコナータの民の孤児たち。幼少の頃から訓練を受け、勾玉主をみつけ神帝を討つ使命のもと神帝国に送り込まれ、15年以上潜伏していた。


★黄金王…最初の勾玉主。黄金の勾玉を持っていた。太陽神とも呼ぼれ、月の女神信仰のルミネスキを支配し、月の女神を妃にしたといわれている。勾玉の導きにより始原の鏡を手に入れるが、その鏡を神の証とし「王の鏡」としたことで勾玉の光を失う。


 神王…黄金王の死後現れた二人目の勾玉主。赤い勾玉を持っていた。ユピの前世。自らを神の中の神、王の中の王とし、太陽神信仰者や月の女神信仰者は異端として迫害し、メーザ全域を神の統治国家とした。神の証の鏡に加え、偽神を打ち払う剣があれば真実の神になれると思っていた。


 神帝…神王の再来といわれ、神王亡き後、国を失ったネコナータの民たちの希望の存在として信仰対象となり、北の大陸ノルドに神帝国を築いた。前世の神王と生まれ変わったユピの中の神王に利用されただけの存在。我が子であるユピを恐れ、神帝国から追放した。


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