第22話 二つ目の鏡
ヒラクは大広間の大理石の冷たい床の上にあおむけになり、ユピの膝の上に頭を乗せた状態で目を覚ました。
逆光に縁取られて輝く銀の髪と陶器のようなユピの白い顔の輪郭がぼやけて見える。
冷たい指先がヒラクの前髪をなであげる。
自分を見下ろすユピの透き通るような瞳をヒラクはしっかりと捉えた。
「気がついた?」
ユピは青い瞳を細めて微笑した。
ヒラクはユピの手を払いのけて起き上がると、寒さで体を震わせた。
割れた窓ガラスから冷たい風が吹き込んでくる。
空は白く、雪がしんしんと降っている。
「寒いんだね。こっちにおいで」
ユピはゆっくり立ち上がると、ヒラクを背後から抱きしめた。
ヒラクはユピに向き直り、両手で体を押しのけた。
「おれにさわるな」
にらみつけるヒラクを見て、ユピは肩をすくめて笑う。
「ずいぶん冷たいね」
「ユピはそんなふうに笑わない」
ヒラクはユピのどこか尊大な笑みを見て言った。
「ユピはそんなふうにおれに触れない」
ヒラクは悲しそうにつぶやいた。
「おれに触れようとするユピの指先は震えていた。抱きしめると怯えたようにおれの顔を見た。おれが笑うと、ほっとした顔をするけど、それでもどこか不安げで、泣きそうな顔で笑うんだ……」
「今は君が泣きそうだね」ユピは口元に指をあててくすりと笑う。「ユピの心に触れたんだね。だったらユピが何を望むか君にもよくわかっただろう?」
ヒラクは複雑な表情で、床に目をやり、うなずいた。
「ユピの望みは私の望み。そして君の望みでもある」
目の前のユピはわが意を得たりと言わんばかりに満足そうに微笑んだ。
「おまえの望みとは世界の……いや、神の望みなのか」
ヒラクは顔をこわばらせながらユピに問う。
「そうだ。私が世界であり神なのだ」
ユピは白い息を吐きながら、恍惚とした表情で答えた。
「ユピ……いや、ちがう。おまえは赤い勾玉の男……過去に存在した神王だ」
ヒラクは射抜くような目でユピを見た。
そこにいるのはユピとして生まれ変わった神王だ。
「そのとおり。私は神王。神であり王である者だ。そして勾玉を持つ君もまたその一人」
神王はヒラクに近づいて、あご先をなであげるように持ち上げた。
その冷たい青い瞳を見上げながら、ヒラクは戦慄した。
「怖いか?」神王はユピの姿で嘲笑うように言う。
ヒラクは震える自分に苛立ちながら、腕を胸の前で交差して、震えを抑えるように二の腕を強くつかんだ。
「怖くなんてない。ただ、震えが止まらないだけだ」
ヒラクは目に涙を浮かべる。
「おれは世界そのもので、光で、闇で、神だった。おれとおまえは同じ……。神の一部、分離した神」
「そして全体でもある」神王は言葉を重ねた。
「全体? おれは……おれたちは、みんな同じ一つの神だというの?」
「そうさ、バラバラになった神は始源に還り、唯一のものとなる」
神王は平然と笑って言った。
「どうして……」ヒラクはぼそりとつぶやいた。
「考えるまでもないこと。それが神の意志……」
「そうじゃなくて」ヒラクは神王の言葉を遮った。「どうしておれたちはわかりあえないの? 黄金王のことも神王のこともおれには理解できない。それで、どうして一つの神っていえる? おれはおれのことさえわからないよ……」
ヒラクは胸の前で拳を握った。
「おれは一体何? 世界の大きな意識に呑まれたら、おれはおれじゃいられなくなる。生まれ変わるたびに自分ってものは変わっていくの? じゃあ、今、ここで、こうして、考えているおれって一体何なんだ? おれは誰?」
ヒラクが叫ぶと同時に、胸の前で握った拳の指の隙間から、強い光が溢れ出た。
光はヒラクの全身を包みこむ。
手のひらに勾玉はないが、いまやヒラク自身が透明に澄んだ光を放ち、勾玉そのものと化していた。
「神の扉を開く鍵は君自身の中にある。鍵をみつけたのだろう? 扉を開きたいのだろう? 悩むまでもない。勾玉と鏡と剣……。やるべきことはわかっているはずだ」
神王は床に置かれた鏡と剣に目をやった。
鏡と剣は勾玉に共鳴して光を放つ。
ヒラクの胸が高鳴る。
そこには恐れ以上に怖いもの見たさの好奇心のようなものがあった。
黄金王も神王も果たせなかったことが今のヒラクにはできる。
それでどうなるのかはわからない。
わからないからこそ試してみたいという気持ちがある。
それが自分の意志なのか、それともそうなるように仕向けられていたことなのか、考えるのも面倒で、ヒラクは心が向くままに動いてみたいと思った。
それは破滅への衝動か、それとも創造的意志か。
ヒラクの心は決まっていた。
「剣よ」
そう言って、ヒラクが右手をのばすと、床に横たわっていた破壊の剣は硬質で玲瓏な音を響かせ、宙に浮き、ヒラクに吸い寄せられていく。
ヒラクが右手でしっかりと剣の柄を握ると、剣先から光がほとばしり、目も眩むような明るさで、広間全体が白んだ。
神王はまぶしそうに顔をしかめながらも、食い入るような目で成り行きを見守っている。
「鏡は二つ」
ヒラクは剣先で鏡を示した。
床にあった鏡は剣の響きを反響させながら、宙に浮んでヒラクの手元に近づいてくる。
「一つはここに」
そう言って、ヒラクが光の剣をあてると、黄金の装飾は砕け散り、むき出しの円鏡になった。
鏡は二面鏡になっていて、裏と表の両側を光に反射させながら、ヒラクの胸の前でくるくると縦に回転した。ヒラクは鏡の縁をじっと見る。
「もう一つはここにある」
ヒラクは狙いを定めて剣を振り下ろした。
背中合わせの両面の鏡を引き離すように、円周に沿って亀裂が走る。
一枚の二面鏡は二枚の鏡に分かたれた。
二枚の鏡は宙に浮いたまま、それぞれの鏡の面を映すように向き合った。
ヒラクは剣を床に置いた。
そして宙に浮かんで向き合う二枚の鏡の間に立って、祈るかのように胸の前で手を組み合わせた。
そしてゆっくり目を閉じた。
ヒラクの全身の光が組み合わせた手の中に集ってくる。
ヒラクは目を開け、手の中を見た。
そこには透明に澄んだ光を放つ勾玉が現れていた。
手を開くと勾玉はゆっくりと浮かび上がり、合わせ鏡の真ん中で、一際まぶしい光を放った。
「さあ、いよいよだ。いよいよ始まる! 唯一無二の神となるときがきたのだ」
神王は頬を高潮させ、食い入るような目で勾玉を見ている。
合わせ鏡の中に勾玉が連なって映る。
勾玉は虹色の光を放ち、鏡の中で一つ一つの色を変えていく。
ヒラクはその様子をもっとよく見ようと、鏡の中をのぞきこんだ。
合わせ鏡の中にヒラクの顔が連なる。
鏡の中の鏡に映る自分の顔が少しずつ違って見える。
一つ一つの勾玉の色がちがうように一人ひとりが別の人間であることにヒラクは気がついた。
「父さん、母さん!」
合わせ鏡の手前には薄い緑の勾玉と母ウヌーア、その後ろには赤褐色の勾玉と父イルシカの顔が見える。
前の人物に重なって次第に見えにくくなるが、その一人ひとりがヒラクの知る人物に似ている気がしてならない。
「ピリカ、イメル、アスル、ルイカおばさん!」
ヒラクはなつかしい名前を叫ぶ。
それぞれの勾玉が色とりどりの光を放つ。
キッドの勾玉はオレンジで、ジークの勾玉は藤色だ。
ハンスは黄土色の勾玉とともにいて、聖ブランカやロイの勾玉も小さく見える。
カイルやアクリラ、テラリオも連なる人物の中にいて、それぞれの勾玉の色を輝かせている。
海賊島の海賊たちはもちろん、老主やミカイロ、大神官や軍帥までもが勾玉とともに鏡に映る。
「みんな……それぞれ自分の勾玉を……」
ヒラクが呆然としていると、神王が背後に近づいた。
「どうした? 何が見える?」
ユピの姿が合わせ鏡の中に連なる。
背後には赤い勾玉とともに過去の神王の姿が映っている。
連なる鏡の先には黄金の勾玉が見える。
けれどもヒラクの目は、目の前の鏡に映るユピの姿を捉えていた。
「ユピ……」
鏡の中のユピの隣に青い勾玉が見える。
ヒラクは鏡の中にいるユピに手をのばす。
ユピは悲しげに微笑んだ。その笑顔はどこまでも透明に澄んでいる。
「ユピ、ユピーっ!」
ヒラクは鏡に拳をくり返し打ちつけて、ユピをそこから出そうとした。
「よせ、気でも狂ったか!」
背後から鏡をのぞき込んでいた神王はヒラクの肩をつかんで鏡から遠ざけた。
「もう始まってしまったのだ。神の意志に逆らうことはできない」
その言葉のとおり、左右の鏡の中心に浮かぶ勾玉が再び透明な光を放つと、合わせ鏡の中に連なる色とりどりの勾玉は、手前に向かって奥から順に形を重ねて合わさっていった。
そして最後の勾玉が、左右の鏡の中から抜け出てくる。
左右の鏡の間には、ヒラクの透明な勾玉の他に二つの勾玉が現れた。
鏡の中から現れた勾玉は、互いの尾を追うようにその場でぐるぐると回転し始めた。
二つの勾玉は完全な円になろうとしている。
光は増幅し、円はどんどん大きくなっていく。
「父さん、母さん、ユピ……。みんな、あの円の中に」
ヒラクは色とりどりの勾玉が回転の中で強い光を放つうち、それぞれの色を失って、目もくらむまぶしさに溶け込んでいくのを見た。
「消えていく……色とりどりの勾玉が……一人ひとりの勾玉が……」
ヒラクは自分が関わった一人ひとりの顔を思い出していた。
その関わりの中で自分が抱いた様々な想いが、感情が、甦る。
自分だけではない。
心は互いに反応し合う。
分かち合う喜び、傷つけあう痛み、求める苦しみ、与える愛。
誰かを憎む心で誰かを慈しみ、何かを奪う心で何かを護ろうとする。
そのすべての感情を推し量ることはできないが、人の数だけ想いや気持ちがあることを、ヒラクは他者との関わりの中で知っていった。
「みんな……いなくなってしまうの……?」ヒラクは小さくつぶやいた。
回転する光の円の中にヒラクの勾玉が吸い込まれていく。
それを見たヒラクは思わず床に置いた破壊の剣を手にとった。
そして両手で柄を握りしめ、切っ先を天井に向けて振り上げたかと思うと、光の円めがけて剣を振り下ろした。
「おれはこんなの望まない!」
ヒラクが振り下ろした剣は、今まさに完了の時を迎えようとしていた光の円を打ち砕いた。
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【登場人物】
ヒラク……緑の髪、琥珀色の瞳をした少女。偽神を払い真の神を導くとされる勾玉主。水に記録されたものを読み取る能力や水を媒介として他人の記憶に入り込むことができる能力がある。ユピの記憶に入りこんだヒラクはなぜか黄金王や神王の過去の記憶にもつながった。そして過去の勾玉主が成しえなかったことをやり遂げようとしていた。
ユピ……青い瞳に銀髪の美少年。神帝国の皇子。ヒラクと共にアノイの村で育つ。生まれた時は青の勾玉主だったが、赤の勾玉主だった前世の神王の人格に支配され、自らの勾玉を失う。ユピの中の神王は破壊神の剣と鏡を手に入れと「神の扉を開く鍵」を得るためヒラクを記憶の中へと誘導する。
ジーク……勾玉主を迎えるために幼いころから訓練された希求兵。ヒラクに忠誠を誓うが、ユピに対して強い警戒心を抱いていたが、勾玉主ではなくヒラク個人への忠誠心を抱いていることをユピに逆に利用され、ヒラクのそばを離れてユピに従った。
ハンス……ジークと同じ希求兵の一人。成り行きでヒラクの旅に同行しているが、頼りになる存在。ヒラクを守りながら神帝国兵たちを蹴散らし大活躍するも重傷を負う。
※希求兵……ルミネスキ女王に精鋭部隊として育てられた元ネコナータの民の孤児たち。幼少の頃から訓練を受け、勾玉主をみつけ神帝を討つ使命のもと神帝国に送り込まれ、15年以上潜伏していた。
キッド……海賊島の女統領グレイシャの一人息子。グレイシャ不在の海賊島で次期統領争いに巻き込まれ命を狙われたことで島を脱出。ヒラクに同行し、ノルドに向かう。グレイシャを助け出し親子の絆を取り戻す。
大神官……神帝を神王の生まれ変わりとして祀り上げ、神官としての権威を誇りながら軍師と共に神帝国の二大勢力として君臨していた。ユピの言葉の支配により、死の二択を迫られ自ら命を絶つ。
軍師……神帝国の兵士を統率する軍部の長として権威と影響力をもつ存在。神帝を王の器と認めておらず、信仰対象としての神として神帝を祀り上げる大神官とは反目している。ルミネスキ戦で希求兵の手にかかり戦死する。
《アノイ編》
イルシカ……ヒラクの父。ノルドの少数民族アノイ族の長の息子。禁忌を侵し山を越え、ヒラクの母の双子の妹と出会い恋に堕ちるが、妻としたのは身代わりとなったヒラクの母だった。
ウヌーア……ヒラクの母。プレーナの娘として聖地プレーナで生まれ育つ。アノイの地でヒラクを産むがヒラクが五歳の頃プレーナへ戻る。
ルイカ……イルシカの姉。イメル、アスル、ピリカの母親。
ピリカ……ルイカの末っ子でヒラクより年下。ヒラクが旅立つ日、アノイの女のお守りの腰ひもをヒラクに渡す。ヒラクの妻になることが夢だったが、最後にヒラクが女だということに気づいた。
イメル……ルイカの長男。ヒラクの従兄。ヒラクが女だと気づき、ヒラクをユピと引き離して娶ろうとする。
アスル……ルイカの次男。ヒラクの従弟。ヒラクが特別視するユピのことが気に入らない。
《セーカ編》
カイル……セーカの若者。神帝国に自由を求めた時期もあったが、プレーナ教徒のアクリラのためにセーカに留まる。プレーナ教崩壊後は狼神の旧信徒たちと共に神帝国に囚われるが、神帝国の義勇兵に解放され、彼らに加勢しルミネスキ軍と戦う。
アクリラ……プレーナ教徒の娘。ヒラクが偽神プレーナを消滅させたことでプレーナ教は崩壊。アクリラは旧狼神の信徒たちと共に神帝国に囚われていたが義勇兵に協力するカイルたちにより救出される。
テラリオ……カイルの幼馴染でかつては神帝国への逃亡を企て狼神の使徒とも関りが深かった。ユピを狼神の代わりとして利用しようとしたが逆に利用されてしまう。ユピの支配から逃れた後はカイルと共にルミネスキの義勇兵と行動を共にする。
老主……プレーナ教の教祖。特権意識の権化。最後はプレーナ教徒の手で命を落とす。
ミカイロ……狼神の使徒でセーカの影の支配者。神帝国とも精通していた。狼神復活を願っていたが利用するはずのユピに逆に心を支配され自ら命を絶つ。
※セーカは、水の女神プレーナを信仰するプレーナ教徒と異端とされる狼神を信仰したプレーナ教徒の末裔(狼神の旧信徒)によって構成された地下の町だった。暗躍していた狼神の使徒はユピにより壊滅。プレーナもヒラクにより消滅。セーカは神帝国に土地を奪われ、多くの人々が奴隷として神帝国に連れてこられた。
《ルミネスキ編》
聖ブランカ…ルミネスキ女王。ジークたち希求兵に勾玉主をみつけだすことを命じていた。神の証とされる黄金王の鏡を手に入れるため、ヒラクを南へ向かわせた。ユピの言葉の支配により神帝国と開戦する。
ロイ……かつてジークと対となり希求兵を目指していた。女王に命を救われ城の神官となる。前世婚姻関係だったことから、女王に特別な感情を抱く。
マイラ…黄金王がルミネスキの湖から引き揚げた鏡が土着の月の女神の姿を消そうとしたとき、その月の女神の存在がその時ちょうど命を落とした老婆の体に入りこんだ。それがマイラの正体であり、マイラは不死の身である自分の存在の根源を求め、王の鏡を手に入れようと画策していた。
★黄金王…最初の勾玉主。黄金の勾玉を持っていた。太陽神とも呼ぼれ、月の女神信仰のルミネスキを支配し、月の女神を妃にしたといわれている。勾玉の導きにより始原の鏡を手に入れるが、その鏡を神の証とし「王の鏡」としたことで勾玉の光を失う。
神王…黄金王の死後現れた二人目の勾玉主。赤い勾玉を持っていた。ユピの前世。自らを神の中の神、王の中の王とし、太陽神信仰者や月の女神信仰者は異端として迫害し、メーザ全域を神の統治国家とした。神の証の鏡に加え、偽神を打ち払う剣があれば真実の神になれると思っていた。
神帝…神王の再来といわれ、神王亡き後、国を失ったネコナータの民たちの希望の存在として信仰対象となり、北の大陸ノルドに神帝国を築いた。前世の神王と生まれ変わったユピの中の神王に利用されただけの存在。我が子であるユピを恐れ、神帝国から追放した。
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