第20話 世界の始まり

 何もない世界にヒラクはいた。


 それが世界といえるものなのかどうかもわからない。


 世界はヒラクそのもので、広がる空間のすみずみにまで意識と感覚が行き渡るようだ。


 何をもって見るのか、聞くのか、感じるのかもわからない。

 ただ、存在の広がりを自分として捉えている状態だった。


 眩しくて目を閉じているのか、見えているものが眩しいのか、ヒラクにはよくわからない。


(これは……「光」?)


 ヒラクが光を捉えようとしたとき、辺りは闇に包まれた。


 闇の中で、一点だけまぶしく光るものがある。

 ヒラクはそれをみつめている自分の視点に気がついた。


(光が見える……)


 闇の中に輝く光を見ていると、ヒラクはふと太陽を思い浮かべた。


(太陽が暗闇を照らす……)


 そして太陽が生まれ、朝と夜が生れた。


 朝と夜の境界にある地平線と水平線。


 広がる大地……海と風……。


 思うこと、見ること、そして言葉が同時に湧き起こり、世界の中に形をもって生れてくる。


 ヒラクには、それが自分が生み出したものなのか、もとからあったものなのかよくわからなかった。


 ただ、空気も水も光も闇も、すべて自分の中にあるものとして感じ取り、日が昇る場所も風が吹く場所も雨が降る場所も、どこであろうとすべてを知ることができた。


 そのうちヒラクは自分自身を、太陽のように、水のように、土のように、世界の中にあるものとして感じてみたいと思った。


 すると、ヒラクは大地に立ち、風を受け、大海原をみつめる自分がいることに気がついた。


 太陽を浴びて、熱を感じる。


 夜を運ぶ冷たい風を受け止める。


 木々に触れるための手がある。


 水に浸すための足がある。


 ヒラクは自分という世界の中に個である自分を生み出していた。


 それと同時に感じた孤独……。

 世界に投げ出された不安……。


 そんな感情があることを、ヒラクは今、初めて知った。


 そして、闇の中では光を、冷たい夜には太陽を求める自分に気がついた。


(太陽も夜も自分の中にあったものなのにおかしいな……)


 ヒラクはすでに太陽、大地、風や海から分離して存在していた。


 世界は自分を取り巻く環境になり、そこにいる自分は小さくちっぽけで、雄大な自然に翻弄される無力な存在に思えた。


(おれじゃない偉大な何か……)


 ヒラクは、自然をそのように捉えるようになっていた。


 自分が望み、与えられるものは、自然の恩恵であるとして、偉大なる力に感謝した。 


 ヒラクが望んだのは生きるための糧、雨風をしのげる場所、そして自分と同じ種類の「人間」と呼ばれる存在……。


 男女は出会い、合一し、生殖と繁栄をくりかえした。


 ヒラクと同じ種類の人間たちもまた、ヒラクと同じ創造の力を宿していた。彼らはそれぞれ世界を創り、育て、共有し、互いの世界を重ね合わせ広げていった。


 自然を偉大なものだと思いながらも、分離した自分たちは別のものだと考えるようになった人間は、創造の力は自分以外の大いなるものの力と思い込んでいた。


 それでもどこかで自分たちは偉大なるものの一部であることを知っている。


 そして自らが「人間」の形を創ったように、自然の力を持つ存在に人の形を求めるようになった。


 そして、それは人間たちとはまるで異なる存在として、崇めるべき対象となった。


 ヒラクは、一人の人間が自然の中の神を演じ、他の人々が捧げる祈りを一身に受けている光景を眺めていた。


 森の中で火が焚かれ、裸の若者が奇妙な踊りで、火が燃える様子を表現している。


 人々は、その若者を偉大なる火と呼び、祈りを捧げた。


 木の真似をして両手を広げて片足立ちでいる老人の前で祈る人もいる。


 老人を吹き飛ばす真似をして、ぐるぐると回る男は風と呼ばれ、やはり祈りを受けている。


 まるで小さな子どもたちが、ごっこ遊びをするようで、ヒラクはその光景をどこか滑稽に思った。


 けれどもその遊びは人々の間にこれまでになかった感情である卑屈さと尊大さ、優越感と差別意識などを生み出した。


 人間の感情が複雑化するほど、世界では様々な現象が起きるようになった。


 災害や飢饉、殺戮や紛争、そのすべてを、人々は自分たちには関係のないこととして、何かによってもたらされたものと考えている。


 そして自分たちが世界の一部であることを忘れた人間たちは、自分たちに代わる創造の存在としての神をどんどん生み出していった。


(おれたちと同じ姿をした偽りの神……偽神……)


 ヒラクは様々な宗教が生れていくのを見ていた。


 それでもまだ人間は、唯一の何かがあることを知っている。


 そしてそれこそが尊いもので、唯一となるものは他にあってはならないと考えるようになった。


 こうして人々は、善と悪という意識を持つようになった。


 湧き上がる感情を善いか悪いかで判断し、その意識が創りだすものを神の恩寵や裁きであると解釈した。


(神って一体何なんだ……?)


 ヒラクの中に疑問が渦巻く。


(知っていた……本当はわかっていたはずだ……)


 ヒラクの思いは嵐となり、津波となり、火山の大噴火となって、世界中を駆け巡る。


 様々な言語で祈る人間たちの声がヒラクの耳に聞こえてくる。


(誰に祈るの? 何を祈るの? みんな忘れてしまったの?)


 それが誰に向けられる言葉なのか、ヒラク自身ももうわからなくなっている。ただ、祈りの波動に意識を合わせると、なつかしく、穏やかで、満たされたような気持ちになった。


 雲間から日が射し、雨は上がり、虹が出て、森の緑は鮮やかに輝く。

 海は凪ぎ、風は優しく、人々は感謝し喜びにわき立っている。


(ちがう……これは、おれがしたことじゃない)


 ヒラクはいつのまにか自分が神の役割を与えられていることに反発を覚えた。


 祈りは人間たちの中に眠る力を喚起するものであり、ヒラクはそれに共鳴した。

 それはヒラクの中にもあるものであり、世界のすみずみに行き渡るものである。

 それをなんと呼ぶのかはわからない。


(それを神と呼ぶのなら、神は、きっと……)


 そのとき、眩い光が辺りを包んだ。


(これは勾玉の光……?)


 ヒラクは黄金に輝く水の中に意識が溶け込むのを感じた。


(ここ……水の中……?)


 目の前に光の円盤が見える。

 よく見れば、それは鏡だ。

 金に輝く光の中に太陽神の化身とされた黄金王の姿が映る。


(私こそが神である)


 ヒラクの中に黄金王の意識が流れ込んできた。


(どうして? おれは今、黄金王の中にいるの?)


 そう思いながら、ヒラクは水の中から浮上した。

 そして両手で円鏡を掲げると、声高に叫んだ。


「見よ、これこそが、我が我であり、神たる証」


 そこはルミネスキの湖だった。


 ヒラクは以前、女王の記憶に潜り込み、同じ場面を見たことがある。

 今、自分はその場面にいた黄金王の中にいる。


 それがどういうことなのか、ヒラクにはまったくわからなかった。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

【登場人物】


ヒラク……緑の髪、琥珀色の瞳をした少女。偽神を払い真の神を導くとされる勾玉主。水に記録されたものを読み取る能力や水を媒介として他人の記憶に入り込むことができる能力がある。今はユピの記憶に中に入りこみ、ユピが生まれる前の神王の記憶から、生まれてからのユピの記憶、そして自分と出会ってからのユピの記憶まで行きつくと、さらにその記憶の果てにある神の領域に溶け込んだ。


ユピ……青い瞳に銀髪の美少年。神帝国の皇子。ヒラクと共にアノイの村で育つ。生まれた時は青の勾玉主だったが、赤の勾玉主の人格に支配され、自らの勾玉を失う。皇子の地位を捨て、勾玉主としてメーザに迎えられたヒラクの旅に同行し、破壊神の剣を奪うと再び神帝国に戻り王の鏡を手に入れる。そして「神の扉を開く鍵」を得るためヒラクを記憶の中へと誘導する。


★黄金王…最初の勾玉主。黄金の勾玉を持っていた。太陽神とも呼ぼれ、月の女神信仰のルミネスキを支配し、月の女神を妃にしたといわれている。勾玉の導きにより始原の鏡を手に入れるが、その鏡を神の証とし「王の鏡」としたことで勾玉の光を失う。


神王…黄金王の死後現れた二人目の勾玉主。赤い勾玉を持っていた。自らを神の中の神、王の中の王とし、太陽神信仰者や月の女神信仰者は異端として迫害し、メーザ全域を神の統治国家とした。「王の鏡」を奪ったとされている。


神帝…神王の再来といわれ、神王亡き後、国を失ったネコナータの民たちの希望の存在として信仰対象となり、北の大陸ノルドに神帝国を築いた。

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