第24話 洗濯(11/24の分)
「命の洗濯とか言うけどさ、おじさんはどう? 仕事してた時よりも楽しく生きてる?」
シャンプーハットを被った香坂の髪を泡立てながら、ヒロコは尋ねる。香坂と言えば産湯に使うような大きめの風呂桶の中で、泡に警戒して目と口をぎゅっと閉じている。腕まくりをし風呂掃除用の長靴を履いたまま、泡をシャワーで洗い流していく。ヒロコが買って来た男性用のリンスインシャンプーは爽快感が感じられて気持ちよく、頭皮もしっかりマッサージされているせいか髪が元気になっている気すらする。
「どうだろう。仕事は辛いと言うよりも、生活の一部だったからなぁ。でも、テレビを見ながらのんびりする時間なんて今までなかったから、心は休まっているだろうね」
離婚してから働き詰めだった香坂は、休日も溜まった家事をこなしたり食材を買いに出かけるくらいしかやることはなかった。会社をクビになり生首になって動けなくなってからの方が、確実に休息は取れていた。
「今までの人生、仕事しかなかったんだなと改めて思うよ」
シャンプーハットを外され洗顔フォームの泡立てられた柔らかな感触を頬に感じ、再び目と口を閉じる。こうしてヒロコに洗われるのにもすっかり慣れてしまったのを、ふとした瞬間に可笑しく感じる。中年男性の体臭が受け付けないと言うのは、一緒に暮らしている以上は仕方がない話だと思う。自分の体臭など気にしたことがなかったので、ヒロコによる男性用のシャンプーや洗顔料の選び方、化粧水や保湿クリームの付け方は、今まで気にかけて来なかったら香坂にとって良い勉強になった。
顔の泡が洗い流されれば、そのまま洗面所へと運ばれる。顔にしっかりと化粧水を染み込ませ、顔全体をマッサージするように保湿クリームを塗る。こうしないと、肌がカサついたり脂ぎったりするらしい。顔を触られるなんてとんでもないと思ったが、どうしてもヒロコは譲らなかったので諦めるしかなかった。
「少なくとも、肌や毛根は前より生き生きしてると思うよ?」
ドライヤーの轟音に目を瞑り、熱風を感じる。初めこそヒロコに身を任せるのが恐怖でしかなかった。今では、その丁寧な仕事ぶりに安心して全てを委ねてしまっている自分にも可笑しくなってくる。
タオル越しの指先が優しく頭を撫で、十分に乾き切れば髪を櫛で梳かされる。
お疲れ様、と声を掛けられれば、すっかり綺麗になった自分の姿が鏡に映る。肌のハリなどは明らかに良くなっているのは触れなくても良くわかる。
「いつも悪いね」
「おじさんはウチの犬より大人しくて、手間がかからないから楽でいいよ」
一人きりで、誰にも頼ることなく生きてきた自分が、こんなに人の世話になることを受け入れられるとはなぁ。
ヒロコがポンと香坂の頭に手を置く。
頭に顔に口に、心までも彼女に洗濯して貰ったのだろうなと思うと、香坂は嬉しくもあったが改めて照れ臭くなった。
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