第14話 月(11/14の分)

「おじさん、月見でもしない?」

 ヒロコから切り出された時、香坂は耳を疑った。ヒロコに拾われてから数日が経ったが、未だに彼女には驚かされてばかりだ。

「俺を外に連れてくってこと?」

「いやいや、ここからでも月は見えるよ」

 断りを入れてから、ヒロコは香坂の頭をネックピローごと持ち上げる。テレビの前のローテーブルに香坂を乗せ、カーテンを開ければ満月に近い大きな月が夜空に浮かんでいた。遠くに見える高架線路に、たたんたたん、と音を立てて光の連なりが走っていく。

 ぽつぽつと明かりの灯る家々を見下ろすように浮かぶ姿に、久しく夜空を見上げる余裕なんてなかったなとしみじみ思う。

「なかなか良い景色でしょ。ぼーっとここからの景色を眺めてるとさ、みんなそれぞれに生きてるんだなぁって思えるんだよね」

 民家やビルの放つ暮らしの営みの光は、月に比べれば儚いがそれでも地上で輝いている。

 少し前までは、自分も社会の歯車としてあの中に混じっていたのだな。つい最近のことの筈なのに、香坂には当たり前だった日常は酷く遠いものに思えた。

「おじさんはさ、なんで離婚しちゃったの?」

 あまりに唐突なヒロコの質問に、思わず咽こむ。

「ごめん、言いたくなかったら良いから」

 落ち着かせようと後頭部を撫でるヒロコに、大丈夫とだけ答えて香坂は息を整える。

「俺が家庭を省みず、仕事にかまけていたからだろうな。多分、その寂しさに耐えられなかったんだと思う」

 妻を愛していたのは本当だ。だからこそ、幸せになるために仕事へ精を出した。残業や飲み会など、多少無理してでも家のためと頑張ってきた。妻も、そんな自分を応援してくれていると思っていた。いや、思い込んでいた。

「ある日帰ってみたら、妻は居なくなってたよ。相当、我慢させていたんだと思う」

 真っ暗な部屋には人の気配はなく、自分で点けた照明で浮かび上がったのは、テーブルに置かれた一枚の離婚届だった。

 それが全てだった。

「追いかけなくてよかったの?」

「追いかけられなかったんだ。彼女の苦しみに何一つ気づけなかった俺に、その資格はないって……」

「優しいね、おじさん……」

 驚いてヒロコを見るも、彼女は月を眺めたまま、こちらに横顔を向けている。香坂も窓の外に視線を移し風景を見る。

 続く沈黙は決して気まずいものではなく、二人はしばらく夜の空気に浸っていた。

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