第4話 温室(11/4のお題)

 ヒロコの手で歯磨きや洗髪洗顔など散々弄ばれ、香坂がようやく解放されたのは昼半ばのことだった。

 若い女性にもみくちゃにされるなんて初めてで、軽くキャパオーバーを起こし再び置かれたリビングテーブルの上で呆然とする香坂に、ヒロコは調べ物があるから大学へ向かうと言う。

「待ってくれ、俺を一人にする気!? 動くこともままならない俺を!?」

 四十を過ぎた大人の発言とは思えない、なんと情けない台詞だろう。後悔しても仕方がないが、何が起こっても受容の道しかないこの身には、初対面の若者にすら側に居て欲しいと願ってしまう不安が付き纏うのだ。

「心配し過ぎだよ、おじさん〜。家の中に居れば安心だって」

 みっともない中年男性の嘆きなどものともせず、ヒロコは手提げカバンを肩に掛け戸締りを済ませる。

「じゃ、そんなに遅くはならないから」

「ヒロコくん!? ヒロコくーんっ!!」

 ガチャリと施錠の音が部屋に響き、香坂は一人部屋に取り残されてしまった。


 窓から差し込む日差しが、少しずつ翳りを見せ始める。部屋の家具たちと一緒に、僅かに残る温もりを浴びていると自分もインテリアの一つになったように思えて来る。

 温室で育てられる植物も、こんな気持ちなのだろうか。適温に保たれた室内に、手入れしてくれる誰かがいて水やりも剪定も事欠かない。

 そこまで考えて、自分は人間であることを香坂は思い出す。

 自分はこのままどうなってしまうのだろうか。生きているかも死んでいるかも分からない、ましてや生首になった理由すら思い当たる節がない。ヒロコにいつまでも世話になる訳にはいかないのは分かっているが、ここから離れたとして自分は生きていけるのだろうか。

 夕陽に変わりつつある日の色が侘しさを引き立たせ、香坂の気持ちにも影が落ちていく。


 ぱちり、と電気のスイッチの音で香坂は意識を取り戻す。いつの間にか眠っていたようだ。

「ごめんごめん、ちょっと買い物するつもりが多くなっちゃって」

 ビニール袋に入った大荷物を入り口に下ろしてヒロコはリビングの電気を点ける。

 お帰りと声をかける香坂に、ヒロコは軽く驚いた表情を浮かべる。

「おじさん、泣いてたの?」

「え?」

 全く気が付かなかったが、頬が濡れている感覚があった。

「ごめん、今度は電気くらい点けていくから。おじさんも生首である前に『人間』だものね」

 何か言おうとしたが、ティッシュで顔を拭われ鼻をかまれ、口を封じられる。

 幼児に対するような扱いに抗議を入れたかったが、ヒロコが帰ってきた安心感に口を開けば弱音が出てきてしまいそうで、香坂はなすがままにされる他なかった。

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