第2話 食事

「とりあえず、お茶でも飲んで落ち着きますか」

 慌てるそぶりなどなかったがヒロコは席を立ち台所へと向かう。部屋もよくよく見れば、ビジネスホテルなどではなく生活感あふれるマンションの一室だった。液晶テレビにの前にはローテーブルと、やや型崩れした巨大なビーズクッション。シンプルなデザインの壁掛け時計に、ぽつぽつ予定の書き込まれたカレンダー。目を動かせる範囲で確認したそれらで、香坂はリビングのテーブルにずっと置かれていたのだとようやく気がつく。

 若い娘さんの部屋に、おじさんの生首のインテリアとは如何なものだろうか。

 そこまで考えて、香坂はうら若き女性の自宅をまじまじと観察してしまった配慮のなさに思い至り、急に恥いる。

「ねぇ、おじさんって何飲める?」

「おじさんだって同じ人間だから、多分君と同じだよ!?」

 思わずしてしまった抗議に、台所から顔を覗かせたヒロコは一拍おいてから笑みを浮かべる。

「ごめん、私の言葉が足らなかった。飲み物の好みとか、アレルギーの有無とか、そういうの……」

 おじさん差別の疑いを晴らそうとするヒロコだったが、込み上げる可笑しさに耐えきれず台所に引っ込んでしまった。

 とんだ恥の上塗りに一気に顔が熱くなる。

「ええと、コーヒー!! コーヒーはあるかい、ヒロコさん!?」

「ヒロコ『さん』て。お姑さんじゃないんだからさぁ」

 笑いを滲ませながら来客用の白いマグにインスタントコーヒーを、オレンジのマグに紅茶のティーバッグを入れてヒロコが戻ってくる。

「そうは言うけど、難しいもんなんだよ若い女性の呼び方なんて。一歩間違えればセクハラ待ったなしだし……」

「じゃあ、ヒロコ『くん』で良いよ。それなら、部下みたいで呼びやすいでしょう?」

 ね、とヒロコの提案に、それならばと香坂も了承する。

 どうぞ、と顔の前に置かれたマグは、鼻先にコーヒーの香ばしい湯気を届ける。しかし、軽く頷く程度の動きしかできない香坂には、口を付けることは不可能だった。

「そっか。ちょっと待ってて?」

 香坂のマグを手にして、ヒロコは再び台所に戻りすぐに帰ってくる。マグには氷が数個落とされ、プラスチックのストローが刺さっていた。

「でさ、おじさんって実際、飲み食いできるの?」

 今度の問い掛けは意味がわかった。生首の香坂には消化する内臓も、吸収する胴体もないのだから当然の疑問である。何より、香坂自身の疑問でもあった。

 お腹は空いていないが、少し喉の渇きはあるような気がしなくともない。とは言え、こうやって喋るのだって本来は横隔膜の収縮による空気の取り込みと、吐き出された呼気による声帯の振動が必要になるのだ。さらに言えば、心臓のからの血液による脳への酸素供給が途絶えている時点で、頭が機能しているのは不可能な話なのである。

 香坂は意を決してストローを咥え、吸い込む。口の中にコーヒーが流れ込み、ごくりと喉仏が動いた。興味深く見つめていたヒロコの表情にも驚きが浮かんでいた。

「飲めた……。飲めたよ、ヒロコくん!!」

「ちょっと失礼、確認させてね?」

 ヒロコが喜ぶ香坂を両手で持ち上げる。コーヒーが溢れた形跡はなく、香坂の首の断面は皮膚でしっかりと塞がっていた。

「飲んだもの、何処に行ったんだろう……」

「え?」

 言われてみれば、首の中に液体が溜まっている感覚はない。だからと言って、これ以上飲めるかと言われたら、あと二、三口が限度だろうとも感じている。

「なんか、加湿器みたい」

「嫌でしょ、おじさん型の加湿器なんて」

 あまりにも動じないヒロコの様子に、こんな悪夢のような状況だと言うのに香坂も不思議と気持ちが落ち着いてきていた。

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