リビングヘッド
ヤマダ
第1話 むかしばなし
ずしりと重い頭の痛みで目覚めれば、見知らぬ天井を見上げていた。
原因は、慣れない酒のせいに違いない。会社でどうしても断れない飲み会の次の日は、いつも二日酔いに悩まされていたものだ。
香坂実の頭に、苦い記憶が蘇る。
それにしても、どうして自分は苦手なアルコールなど飲んでいるんだ。週末はまだ遠く、翌日も仕事があると言うのに、とそこまで考えて一気に血の気が引く。レースのカーテンから漏れる光はしっかりと明るく、最早日は高く上り切っているのは明白だった。
「遅刻じゃないかっ」
ベッドから跳ね起きたはずだった。そのはずだった。身体はぴくりとも動かず、香坂は仰向けのままだ。
酔っているからか、と改めて全身に力を入れようとするもびくともしない。いや、びくともできない、と言った方が正確だ。首から下の感覚が、失われているのだ。
まさか、脳疾患による全身麻痺か?
見知らぬ場所で助けも呼べない絶望で香坂がパニックに陥っていると、頭上に人影が現れる。
「おじさん、大丈夫?」
二十歳くらいの女性だった。髪をやや明るい茶色に染めているが、化粧っ気はなくトレーナーにロングスカートというラフな服装である。
酔って、娘でも可笑しくないような子に手を出したのか、俺は!?
ぐるぐると記憶を巻き戻す香坂の気など知らず、彼女は香坂の頭を両手で持ち上げる。
「おじさんさぁ、どうしてこんなになっちゃった訳?」
すっと視界が上昇し、彼女と目線が合う。
香坂の首から下に連なるはずの身体は、あろうことか消失していた。
みっともなく悲鳴をあげた香坂は、そのまま意識を失ってしまった。
再び香坂が目覚めた時、全て悪夢であってくれと願いながら開いた視界にあったのは、変わらず見慣れぬ天井だった。もちろん、首から下は相変わらずなく、何が何だかわからない状態は依然継続中である。
これはもう、見知らぬ誰かでも頼らざるを得ないだろう。恥を捨て、意を決して女性に呼びかけようとした所で彼女から視界に入り込んできて、思わず声を上げてしまう。
「あぁ、ごめんごめん。死角から急に現れたら怖いよね」
次からは声かけるようにするわ。軽い調子で答える彼女は、断りを入れてから香坂の頭を立てる。
「さて、おじさん。貴方は何者? 幽霊? それとも妖怪の類い?」
落ち着いているが愉快そうに目を細める彼女は、どうやらこの信じられない状況を楽しんでいるようだった。
「今朝、ゴミ捨てに行った私は、積まれた可燃ゴミの袋の上に置かれた貴方を見つけた。側に所持品らしきものはなかったし、ヘアカット用のマネキンかと思ったけどね。でも、ハリのない肌の肉感と、寝息を立てることに気づいて保護した。これが、私の知ってる貴方の情報の全て」
こちらの手の内は明かした。そう言いたげな彼女に、香坂もない腹を括るしかない。
「俺は、香坂実。しがないサラリーマンで……」
そこまで行ってから、会社に遅刻していることを思い出す。
「話の途中で申し訳ないが、会社に風邪で休むと連絡だけして貰っていいかな? いや、こんな状況で風邪も何もないんだけれど!!」
「生首でも出社ってできるんだ?」
ウケる、と言いつつ彼女はスマートフォンを手にして香坂に会社名を促す。伝えればネットで検索してくれたのか、発信中の画面を香坂の横顔にかざしてくれた。
数秒後、受付の女性による勤務先の名前にホッとしつつ、上司に繋げて貰えるように頼むとすぐに聞き馴染みのある部長の声が飛び込んでくる。
「どうした、香坂」
「すみません部長、本日は携帯を失くして連絡も取れず……。その、朝から体調が優れず休暇にして頂きたくて」
恐る恐るの申し出に、電話の向こうから怪訝な声が返ってくる。
「何言ってんだ、香坂。お前、会社クビになったの忘れちまったのか?」
「クビ……?」
その言葉で、一気に記憶が蘇る。仕事に精を出し、家庭を省みなかったが故の離婚。会社に全てを捧げた末のリストラ。退職後にやぶれかぶれのまま入った飲み屋。
香坂の耳には、もうかつての上司の呼びかけなど届いてはいなかった。
「で、クビになったから首になった、ってことでいい?」
「いや、よくはないけども、それ以外に思いつかなくて……」
椅子に腰掛けた彼女と、テーブルに置かれた香坂は向かい合う。生首と臆せず会話する彼女は異様にも思えたが、今の香坂の状態では相談できる相手がいるだけでもありがたいことだった。
「元会社員で、離婚してて、リストラまでされてるなんてね」
「それも今じゃもう昔話だよ。今は自分じゃ動くこともままならない生首さ」
「なら、私の所有物にならない?」
彼女の申し出に、暗い顔をしていた香坂も驚くしかなかった。目を丸くする香坂に、変な意味じゃなくて、と彼女は続ける。
「だって、おじさん動けないでしょ? 私さ、オカルト大好きなんだよね。生首のおじさんとか、興味ありまくりだからさ」
悪い話じゃないでしょ、と笑う彼女にぐっと詰まってしまう。確かに、今の香坂にはまたとない提案だ。しかし、初めて会った若い女性に面倒を見て貰うなんて。その葛藤が顔にも出ていたのか、彼女はにやりと笑う。
「もしかしたら、おじさんのこと元に戻せるかも知れないし」
「本当に!?」
咄嗟に食い付いてしまった。我に返り耳が熱くなるも、彼女は肯定と取ったのか香坂の頭を軽く撫でる。
「私は藤野浩子。気軽にヒロコって呼んで良いよ」
よろしく。緩く笑うヒロコに香坂も小さく、よろしくお願いします、と返すしかなかった。
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